雪と氷の近未来を舞台にした哲学的ハードボイルドSF
雪と氷に覆われた近未来の地球。
雪に埋もれた列車の向こうの雪原を歩くふたりの人影。
エセックス(ポール・ニューマン)とヴィヴィア(ブリジト・フォッセー)。
ふたりが目指しているのは、「ザ・シティ」と呼ばれる人類の生き残りが暮らしている建物。
五角形の25階建て、5つのセクションに分かれている。
かつては数百万の人々が暮らしていたといわれるが、出生することがなくなった人類は減少の一途。
この「ザ・シティ」もその例外でなく、暮らしているのは中高年ばかり。
エセックスもかつてここで暮らしていたが、アザラシを追って南に行き、そのアザラシも絶滅したので、兄を訪ねて戻ってきたという次第だ・・・
というところから始まる物語で、70年代後半に流行したディストピアSFの一種。
兄のもとにたどり着いたエセックスとヴィヴィア。
兄とともに暮らしている人々はヴィヴィアが妊娠していることを知り、胎児が希望の星だと願う・・・
と、常套SFならば、この胎児が「人類再生の希望」という展開になるところだが、共同で脚本書いているロバート・アルトマン監督流の皮肉か、ヴィヴィアは、エセックスが外出している隙に、兄家族とともに爆死してしまう。
爆発現場にいた怪しい人影を追ったエセックス。
彼が発見したのは、喉を斬られたくだんの怪人物。
その懐に兄を含めて6人の人物の名があり、彼は殺された怪人物・レッドストーンの名を使って、事件の真相に近づこうとする・・・と展開する。
ここへきて、映画はハードボイルドミステリへと転回するわけだが、ハードボイルド映画となかなか気づきづらいのが難点。
というのも、「ザ・シティ」が登場する序盤で、建物の富裕層(といっても、それほど裕福に見えない)が興じているゲームがあり(ゲームの名が「クインテット」)、その内容が早々に説明されているから。
その上、不味いことに、そのゲームの内容がわかりづらい。
映画で示されるゲームの内容は次のとおり。
五角形のボードに6人のプレイヤー。
ボードは3重で、外側2つはいくつかに区切られている。
プレイヤーのうち5人がプレイし、5人は、それぞれ3つの駒を持ち、2つのダイスを振ってボード上での駒の最初の場所を決め、その後は、ダイスの目によって駒を動かし、3重の区切りの中で居合わせた同士が再びダイスを振って勝敗を競うというもの。
勝った駒は、負けた駒を「殺した」と呼ぶ。
6人目のプレイヤーは、5人のうち最後に残った1人の勝者と直接対決し、その勝者が真の勝者となる。
まぁ、こんなところ。
で、エセックスが手に入れたリストはこのゲームのプレイヤーのリストで、ボードゲームが現実の殺人ゲームとなっているところがハードボイルドミステリとしての面白さなんだけれど、脚本に難ありで、ボードゲームの内容を観客に早めにわからせたのはいいが、内容がわかりづらい。
内容がわからないので、面白くない。
もしくは、わかってしまって、映画としての謎が底割れ、ということになってしまった。
さらに不味いのは、主人公エセックスが、このボードゲームの内容を知っているのか知らないのかが、観客にわからないこと。
本人は「下手なプレイヤー」と言っているが、ボードゲームを模していることに気付くのが遅いというか。
ま、そんなことがあるとは思わないのかもしれないが。
で考えたのだが、「そんなことがあるとは思わない」というのが、この映画の核心で、雪と氷に覆われ、新生児が生まれない世界。
つまり、死ぬのを待つだけの世界で、凍死する貧乏人は死んだら犬に食われるのがオチ。
凍死はしないが生きる希望を失った富裕層は、死ぬまでの時間はただ無為に時間を潰しているだけ。
それもそうそう死ぬということがないことを知りながら。
そういう中で、ボードゲームを模した現実世界での殺人ゲームは「死と隣り合わせの生」を感じることができる唯一の喜び。
主人公にそう最後に告げるゲームの管理者の言葉は、ヒリヒリするぐらいの哲学性を秘めている。
が、全般的に上手くいっていないのは、どういうことかしらん。
「死と隣り合わせの生」を描いたSFハードボイルドといえば『ブレードランナー』を思い出す。
作られたのは、本作の方が少し早いか。
SFでないサスペンス映画だと、デイヴィッド・フィンチャー監督の『ゲーム』も思い出される。
雪と氷に覆われた世界の列車といえば『スノーピアサー』。
あと、よくわかったようなわからないようなSFといえば『未来惑星ザルドス』か。
なお、本作全編を通じて画面の周囲が白くぼやけているのだが、これは想像するに、冒頭のロケであまりの寒さにカメラのレンズが曇ったのだろう。
あまりに寒いとカメラが動かず、温めながら撮影したので曇った。
ロケシーンだけ、画面の周辺がぼやけているのも不自然なので、セット撮影でも人工的にぼやかした、といったところだと思われる。
ただし、セット撮影でも、役者がセリフをいう際に、白い息が写っているので、相当寒かったと思われるが。