レオ・マッケリーとゲイリー・クーパーの真髄を見た。
見終わってから、複数の評を見たが、誉めてる人がいない。
いわく、クーパーが馬鹿にしか見えない・・・。
これは、ゲイリー・クーパーを想定して書かれた脚本ではないか。このサムという人物はクーパーそのものだ。それを馬鹿と言っては、まるでクーパーを否定されるようで悲しい。
よっぽど戦後間もない頃は、安っぽい人情物が多くて、この映画もその1本に見られてしまったのか。
◎注意 《この先ネタバレあります》
序盤、普通の映画と違って、あまり大きなことは起こらない。クーパーとアン・シェリダン(美しい)の、やり取り・細かい表情を見てるだけで飽きが来ない。見事な映画の運びである。
終盤は、奇蹟のような事が二つ起きてクーパーの善意が報われる。ここらが、まぁあの頃のアメリカ映画だなぁと思わせるが、それも含めてが、この作品の美点であると思う。
ビング・クロスビーの連作でキャリアの頂点を築いたマッケリーだが、「善人サム」を発表した後、急速に力を失う。
やはり、この「善人サム」、1948年にしてその善意は時代遅れと見られたのか。
私は大好きな映画なのだが・・・。