2022年1月7日に鑑賞。DVDにて。1時間33分54秒。ビスタサイズ・カラー。MEDIAPRO=VERSATIL CINEMA=GRAVIER PRODUCTION=PONTCHARTRAIN PRODUCTION。一部、フランス語。
ウディ・アレンの映画を観なくなったのは、いつからだろう。「SEXのすべて」(1972)から「セレブリティ」(1998)までは映画館で22本を観ている。「マンハッタン殺人ミステリー」(1993)と「セプテンバー」(1987)は未見である。もっとも最近観たのは映画館で「さよなら、さよならハリウッド」(2002)、2015年にDVDで観た「マッチポイント」(2005)が直近である。その後の17作品は未見である。う~ん、近作は今ひとつの評価だなあ。
相変わらず、タイトルは「黒地に白字」である。イングマル・ベルイマンの影響だとアレンは言っている。
本作は2011年作品である。「ラストナイト・イン・ソーホー」(2021)の皆さんのレビューで比較されているので鑑賞する。
本作は、「夜ごとの美女」(1952・監督:ルネ・クレール、主演:ジェラール・フィリップ)の翻案でしょう。
余りにもノスタルジーに浸り過ぎである。ハリウッドと決別したアレンの心情が濃く反映されている。「あの頃は良かった」と。ミア・ファローとの養女と関係を持ったアレンには、アメリカでは批判が多すぎて(今でも)映画製作に集中できないのでしょう。
レイチェル・マクアダムズ、レア・セドウ、マリオン・コティアールは良いが。
ラストからは、やっぱり「今」が一番いいとギルは気づいたということだ。イネズはともかくアドリアナも既に忘れている。アドリアナへの想いにふけるというラストならともかく。過去への憧れは、現在の不満・不安からである。婚約者と別れたことによって「逃避先の1920年代のパリ」への憧れも消えて、もう二度と過去へ行くことはないでしょう。そうなると、この2010年→1920年への遡行そのものに全く意味がないよ。自分が解放されて本来の自分を取り戻し、今の自分に自信を持てるならば、過去への夢なんか阿呆らしい限りである。と、考えてこの映画を観ると、つまらん映画です。
主人公の脚本家ギルが婚約者の真珠のネックレスを戴いて、新たな女性アドリアナにプレゼントしようとする。2人の女性に対してありえない行動でしょう。イアリングが新品じゃないと分かるし、婚約者イネズの香水の匂いがついているよ。脚本家で小説家になろうとする男にしては、何と女性心理を理解していない鈍感男なんでしょう。こんな男に小説は書けないよ(笑)
モディリアーニやピカソの愛人のアドリアナは実在の人物ではないらしい。ギルが古本市でアドリアナの日記の古書を入手する。そこに「私はジル[ギル]・ペンダーに恋をした。彼がプレゼントにピアス(実際にはイアリングと発音している)をくれた」と書いてある。というのは、余りにも作り事でしょう。
一番面白いのは、美術館でピカソが描いた例の「アドリアナの肖像画」を、ポール(イネズの浮気相手)が傑作だと言うのを、ギル「彼女の美を表現していない。駄作だ」と言う場面である。ガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)も「これは肖像画じゃない。静物画だわ」と否定している。
ギルが最高の時代だと思う1920年代のパリから、アドリアナが憧れる1890年代のベルエポックへ。強く思い念じれば「行ける」ということなんでしょうが、安易でご都合主義である。探偵がルイ王時代のヴェルサイユ宮殿に行く。探偵は念じていないよ。このギャグは不要である。
アーネスト・ヘミングウェイはなかなか良いことを言う。彼の著作から引用しているのでしょう。「汚れまみれの死は高潔じゃない。だが潔く死ぬなら、その死は高潔かつ勇敢だ」「彼女に潰されるぞ。作品に集中しろ」「何を書いてもいい。真実を語り簡潔で、窮地における勇気と気品を肯定する限りな」「死を恐れたら書けない。彼女を抱く時、真実の情熱を感じ、その瞬間は死の恐怖を忘れる。真実の愛は一時死を遠ざける。小心は愛のなさゆえに起きるのだ。愛ある者は勇敢に死に立ち向かう」
登場する有名人たちは、他にコール・ポーターと妻リンダ、スコット&ギルダ・フィッツジェラルド、パーティーの主催者ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、ジューナ・バーンズ、アーチボルド・マクリーシュ、サルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル、マン・レイ、トム・スターンズ[T・S]エリオット、マティス、[ベルエポック]ロートレック、ゴーギャン、ドガ・・・。ギル「フォークナーにも会ったよ」