1969年の前半に、ファスビンダーは仲間たちと共同生活をする住居を拠点とし、そこで生活と創作活動が一体化したコミューンの理想を追求しました。これが劇団「アンチシアター」の始まりでした。ファスビンダーはアメとムチを使い分けて、劇団のメンバーたちを嫉妬と屈辱で苦しめながら支配していたそうです(なんかイヤな感じ)。
アンチシアター時代、ファスビンダーは1年足らずで9本の映画を撮りました。9本目の『聖なるパン助に注意』は、ファスビンダーとアンチシアターがたどり着いた地点を冷徹に描き出したもので、同年に撮られた『ホワイティ』製作時の撮影現場の混乱を反映させています。
映画のバックステージものという面白さはありますが、『聖なるパン助に注意』は『アメリカの夜』でも『81/2』でもありません。愛すべき人々が一人も出てこないのです。ヴェンダースの『ことの次第』や、ゴダールの『パッション』とも違って、『聖なる…』で描いているのは、まさに崩壊寸前の「アンチシアター」であり、ファスビンダーの「アンチシアター」への決別の意が込められた個人的な作品である、と言う点で大変特異な作品だと思います。
【ストーリー】
スペインのホテルで映画製作の準備を進めているクルーたち。資金難や人間関係のトラブルから準備は一向に進まない。監督(ルー・カステルが演じていますが、ファスビンダーのトレードマークの黒い皮ジャンを着ていて、ファスビンダーの投影と言われています)は怒鳴り続け、元恋人を殴りつけ、気に入らない女優に「クビだ!」と言い放ち…目に余る態度だが、クル―たちはいやいやながら従っている…。皆が皆、お互いに傷つけあう中で撮影は進んでいく…。
ちなみにファスビンダーは、監督に怒鳴り散らされるプロデューサーを演じています。ファスビンダーのファンやファスビンダーに興味がある人が観れば、当時のアンチシアターの雰囲気をかいま見られて面白いのですが、商業的に成功するような作品ではありません。この映画全体を笑い飛ばしてもいいのであれば、気の利いたブラックコメディだとも言えるのですが…。
この作品もまた誰も幸福にならない映画でしたが、ファスビンダーの作品がいやな感じの人間関係やイヤラシイ人物像を描きながらも意外と見やすいのは、その描き方が大変ドライで、演劇的に異化されているため、リアルなようでリアルでない不思議な感覚を持っているからだと思います。生理的嫌悪感に迫ってくるような生々しさはなく、ある意味あっさりした作劇であることが救いであり魅力です。
劇中の映画製作のゴタゴタの中、ハンナ・シグラ演じる主演女優だけは超然と女神様のような笑みを浮かべていました。アンチシアターの中でも彼女はそんな特別の存在だったそうです。そして後に、アンチシアター出身者の中で唯一、国際的な大女優になりました。
ファスビンダー版、映画のバックステージもの。ぜひご覧ください。