地獄の黙示録

じごくのもくしろく|Apocalypse Now|Apocalypse Now

地獄の黙示録

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レビューの数

61

平均評点

79.2(479人)

観たひと

860

観たいひと

71

(C)1979 Omni Zoetrope. All Rights Reserved.

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 戦争
製作国 アメリカ
製作年 1979
公開年月日 1980/2/16
上映時間 153分
製作会社 アメリカン・ゾエトリベ・プロ作品
配給 日本ヘラルド
レイティング 一般映画
カラー カラー
アスペクト比 70mmワイド(1.2.20)
上映フォーマット 70mm
メディアタイプ フィルム
音声 6chステレオ

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1960年代のベトナム戦争下のジャングルを舞台に1人のアメリカ軍将校暗殺を命じられた大尉が4人の部下と共に目撃する戦争の狂気を描く。製作・監督は「ゴッドファーザーPARTII」のフランシス・フォード・コッポラ、脚本はジョン・ミリアスとフランシス・フォード・コッポラ、撮影はヴィットリオ・ストラーロ、音楽はカーマイン・コッポラとフランシス・フォード・コッポラ、音響はウォルター・マーチ、編集はリチャード・マークス、ウォルター・マーチ、ジェリー・グリーンバーグ、リサ・フラックマン、製作デザインはディーン・タヴォラリス、衣裳はデニス・M・フィル、ジョージ・リトル、ラスター・ベイレス、ノーマン・バーザが各々担当。出演はマーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、フレデリック・フォレスト、アルバート・ホール、サム・ボトムス、ローレンス・フィッシュバーン、デニス・ホッパー、G・D・スプラドリン、ハリソン・フォード、ジェリー・ザイスマー、スコット・グレン、ボー・バイヤーズ、ジェームズ・キーン、ケリー・ロッサル、ロン・マックイーンなど。日本語版監修は戸田奈津子。イーストマンカラー、パナビジョン。1979年作品。劇場初公開は1980年2月16日(配給:日本ヘラルド)。2016年4月16日よりデジタル・リマスター版を上映(配給:boid)。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

狂うような暑さのサイゴンの夏。ブラインドの降りたホテルの一室で、ウィラード大尉(マーティン・シーン)は空ろな視線を天井に向けていた。505大隊、173空挺隊所属、特殊行動班員である彼に、それからまもなく、ナ・トランの情報指令本部への出頭命令が下った。本部では3人の男が彼を待ちうけており、そのうちの1人がウィラードに、今回の出頭目的を説明した。それは第5特殊部隊の作戦将校であるウォルター・E・カーツ(マーロン・ブランド)を殺せという命令だった。カーツはウェストポイント士官学校を主席で卒業し、空挺隊員として朝鮮戦争に参加、数々の叙勲歴を持つ軍部最高の人物であったが現地人部隊を組織するという目的でナン川上流の奥地に潜入してからは、彼の行動が軍では統制できない異常な方向へと進んでいった。情報によると彼はジャングルの奥地で原地人を支配し、軍とはまったく連絡を絶ち、自らの王国を築いている、というのだ。そのアメリカ軍の恥である錯乱者カーツを暗殺しなければならない、というのが軍の考えだった。この密命を受けた若い兵士ウィラードは、4人の部下、クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ランス(サム・ボトムス)、シェフ(フレデリック・ホレスト)、チーフ(アルバート・ホール)を連れ、巡回艇PBRに乗り込んだ。まず、ウィラードは、危険区域通過の護衛を依頼すべく、空軍騎兵隊第一中隊にキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)を訪ねた。ナパーム弾の匂いの中で目覚めることに歓びさえ感じているキルゴアは、花形サーファーであるランスを見ると彼にサーフィンを強要した。ワーグナーの“ワルキューレの騎行”が鳴り響く中、キルゴアの号令で数千発のナパーム弾がベトコン村を襲った。キルゴアのもとを発った彼らは、カーツの王国へとPBRを進めた。河岸に上陸するたびにウィラードに手渡される現地部隊からの機密書には、カーツの詳細な履歴と全行動が記されており、読めば読む程ウィラードには、軍から聞いたのとは別の人物であるカーツが浮び上ってきていた。王国に近づいたころ、クリーンが死に、チーフも死んだ。そして、王国についた時、ウィラードはそこで、アメリカ人のカメラマン(デニス・ホッパー)に会い、彼から王国で、“神”と呼ばれているカーツの真の姿を聞かされる。カーツは狂人なのだろうか。それとも偉大な指導者なのだろうか。ウィラードにもわからなかった。そして遂にカーツとの対面の日がきた。テープレコーダーや本に囲まれたカーツの元にやってきたウィラードは、軍の命令に従い、“神”と呼ばれる人間カーツを殺すのだった。(日本ヘラルド映画配給*2時間33分)

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2017年7月上旬号

MOVIE at HOME:「エマニエル夫人」「地獄の黙示録」インタビュー 坂上直行[元日本ヘラルド映画宣伝部]

2016年4月下旬号

UPCOMING 新作紹介:「地獄の黙示録 劇場公開版〈デジタル・リマスター〉」

傑作は何度でも再来(リヴァイヴァル)する:地獄の黙示録 インタビュー 矢作俊彦 1980年、ふたつの“戦争” 「地獄の黙示録」『気分はもう戦争』

2011年9月上旬号

MOVIE at HOME お家でDVD & Blu-Layを:DVDコレクション 「地獄の黙示録」

1980年4月下旬号

外国映画批評:地獄の黙示録

1980年3月下旬号

〈現代〉と〈映画〉論考:第12回 「ディア・ハンター」と「地獄の黙示録」(下)

外国映画紹介:地獄の黙示録

1980年3月上旬号

〈現代〉と〈映画〉論考:第11回 「ディア・ハンター」と「地獄の黙示録」

1980年1月下旬号

特別カラー・グラビア:地獄の黙示録

グラビア:地獄の黙示録

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集1 自説12人-話題作をめぐって

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集2 そこに、ベトナムの戦場があった

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集3 海外特別寄稿「地獄の黙示録」論-父性超克の寓話

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集4 賛否両論の渦の中に投げこまれた話題作

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:完成台本

1979年12月下旬号

「地獄の黙示録」リレー特集:第5回 アメリカの闇の奥

1979年12月上旬号

「地獄の黙示録」リレー特集4:「地獄の黙示録」の問題点

1979年11月下旬号 創刊60周年記念特別号

「地獄の黙示録」リレー特集3:「地獄の黙示録」を観て

1979年11月上旬号

「地獄の黙示録」リレー特集:戦争の爆音と狂気

「地獄の黙示録」リレー特集:荒涼とした哲学

「地獄の黙示録」リレー特集:偉大なる啓示

1979年10月下旬号

特別カラーグラビア:地獄の黙示録

グラビア:地獄の黙示録

「地獄の黙示録」特集:1 この映画はベトナムそのものだ

「地獄の黙示録」特集:2 アメリカで見た「地獄の黙示録」

「地獄の黙示録」特集:3 「地獄の黙示録」について

「地獄の黙示録」特集:4 〈ヴェトナム〉を突き抜ける狂気の文明論

1977年8月上旬号

〈ルポ特集〉日本とアメリカを直撃する4本の映画:2 「地獄の黙示録」のためのコッポラの戦い PART2・後篇

1977年1月下旬正月特別号

「地獄の黙示録」におけるコッポラの戦い:第2回

1976年10月上旬秋の特集号

特別カラー・グラビア:「地獄の黙示録」

グラビア:「地獄の黙示録」第一報

「地獄の黙示録」のためのコッポラの戦い:

2018/05/19

2018/05/19

80点

映画館/神奈川県/TOHOシネマズららぽーと横浜 


善と悪と狂気

凄まじい映画である。
何度も観ているが劇場で観るのが、やはり素晴らしい。

善と悪、正義と欺瞞、ベトナムの狂気の中で覚醒していく人間の業・狂気。
決して戦争はんたーい。って映画ではない。良いことをしながら悪いこともするという普通の人間の業というものが、極限状態で狂気に変わっていく姿を描いている。
大事なのは、狂気が悪でも善でもないということ。軍の上層部も善であり悪である。

この映画、オープニングの「ジ・エンド」も素晴らしい。ワーグナーも素晴らしい。全編にドアーズの香りがする。ヒリヒリする映画だ。

2018/05/15

2018/05/17

80点

映画館/神奈川県/TOHOシネマズららぽーと横浜 
字幕


コッポラの黙示

ネタバレ

ベトナム戦争に赴任中の大尉が、奥地で原住民を従えて君臨した米軍大佐の暗殺に向かう。
大尉の所属は情報部、任務は極秘だ。数人の部下を与えられてベトナムの海岸から山奥のほうへ川を上っていく。冒頭の海岸を皮切りに途中途中の米軍の拠点で情報と燃料を入手しながら上っていくが、登場する順序がそのままアメリカがたどったベトナム戦争の状況をたどっていくようだ。
最初の海岸での攻撃は「ワルキューレの騎行」をヘリコプターから大音量で鳴らしながら行われる。恐らくこの作品で最も有名な場面だ。攻撃部隊の指揮官はこの海岸でサーフィンをやろうと、つまり米国そのものを持ち込もうと息巻いている。次に寄った拠点では、大きく作られたステージにプレイメイトの慰問団が来る。夜間照明に浮かび上がるプレイメイトたちに湧く兵士たちがついにはステージに押し寄せ大混乱になる。MPや上官の指示が及ばなくなっている。さらその上流の拠点では架けられた橋をめぐる戦闘が起きている。しかし、もはや現場の指揮官が不在、混乱が支配している。もう末期的状況だ。
川を上ることが時間の経過に沿っている。その理解の上でストーリーを追うと、末期的状況の拠点がこの時点での米軍の、言いかえれば米国の状況に他ならない。任務対象の大佐が作った王国と呼ばれる場所は更にこの先にある。つまり、川の上流には米国の未来を想像した世界が広がっている。米軍大佐が君臨する王国には、首をつるされた死体がいくつもあり、生首まで転がっている。大佐を取り巻くのは無言で従う原住民だ。
1980年公開時に見て以来の再見。当時は末期的状況の拠点の辺りまではストーリーについていったのだが、そのあと、肝心の任務を履行する王国の部分が僕の理解を超えていた。前半から中盤にかけてのベトナム戦争の描写に圧倒されていたのかもしれない。
恐らくコッポラ監督は、敗北で終了したとはいえベトナム戦争に参戦した米国の根本にあった米国の論理、理念、思惑がこのまま続くならば、その先には大佐が作った王国が待ち受ける、米国が大佐の王国になってしまうことになるという懸念をこの作品に込めた。そして、そうならないことを願って大尉を派遣させた。今回見て強く思った。
今の米国が約40年前にコッポラ監督が懸念した国家になっていないことを願う。

2018/05/16

2018/05/16

100点

映画館/愛知県/名古屋 ミッドランドスクエアシネマ 
字幕


歴史に名を残す最高傑作

ネタバレ

午前十時の映画祭で久々に鑑賞した。そしてあの40年近く前に感じたことに加えて、世界と自分自身の時間の流れがさらにこの映画の素晴らしさをもたらしてくれた。至高の時間であった。

この映画が歴史に名を残す大傑作であることは、立花隆さんの”解読『地獄の黙示録』”に詳しい。もしこの映画を初めて見ようとする方、あるいは初めて見た方はこの著書を読まれることをお勧めする。この映画の素晴らしさを映画以上に追体験できる素晴らしい著書である。

詳細は立花氏の本に譲るとして、個人的にこの映画を当時鑑賞して、その時の衝撃がいまだに残っている。そしてその衝撃が素晴らしい映画館のデジタルリマスターによって、より臨場感たっぷりに伝わってきた。

映画の主人公、マーティン・シーン演じるウィラード大尉と、ベトナムの奥、インドネシアで自分の軍を組織したカーツ大佐との闘いである。ウィラードはナン川を遡りベトナム戦争の現実を体験する中で自己矛盾に陥り、殺すかずのカーツの心情に重なってゆく。殺そうとする敵に感化されてゆく過程が見事である。

当時まだ、アメリカの戦争映画は戦争を美化したものばかりであった。しかしこの映画は、ベトナム戦争の矛盾をさらけ出し、戦争そのものをむしろ否定的に映画いている。その後オリバー・ストーンの『プラトーン』やスタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』などでベトナム戦争が全く無意味であったことが露見され、最近だと『ペンタゴン・ペーパーズ』があの戦争を結論づけている。結局アメリカのポピュリズムそのものがこの映画で否定されたとみるべきなのかもしれない。

しかし、こうした政治的な流れのことなどよりも、この映画の映像、音声、演出の全てが見事に構成され、どのシーンを切りとっても芸術的なカットであることが、この映画の価値をさらに高める。そして、当時はまだコンピューターが開発される前であることを知れば、ここで起こっている爆発シーンの全てが本物であることを認識するべきである。膨大な資本とコッポラの個人資産をほぼすべてを投じてまでこの映画を撮る必要があった。そうした意味で価値は永遠だ。

チャップリンが『殺人狂時代』で、人を一人殺せば殺人犯だが、大勢殺せば英雄だ、という最後のメッセージは、この映画のカーツ大佐に語り継がれている。そしてそのカーツを殺そうと指令を受けたウィラードは、カーツを殺したあと、カーツのメモに「殲滅せよ」という文字を目撃する。しかし、この後のラストシーンは、公開当時のカットでは何も語らない。

実はフレンチプランテーションを組み込んだディレクターズカット版のこの映画のラストシーンは、カーツ帝国の殲滅をほのめかす大規模な爆破シーン(それはオープニングシーンでもある)を示し、その爆発した炎がアポカリプス・ナウの文字となって終わるのだ。

この公開当時のバージョンには全くテロップがない。テロップによる説明や作者など映画に携わった人々の関与が示されていないがゆえに、映画が将来に向けて”詠み人知らず”であろうとする意思を示している。

どこを切っても話が終わらないような永遠の傑作である。

2018/05/13

2018/05/13

87点

選択しない 


午前十時の映画祭で初鑑賞

ネタバレ

恥ずかしながら初めて見た映画だったけれど魂が震えるほど面白かった。
面白いという表現があっているかはわからないけれど、とても揺さぶられた。

とにかく最初から最後までずっと何かが狂っていた。
戦争がそうさせたんだろうけれど、誰もかれもがイカレてた。
わざわざワーグナーに合わせて爆撃、戦地のど真ん中でサーフィン、薬に溺れ、大声で罵り怒鳴り合う。
それを狂ってた男が少しの距離を取って見ている。
その距離感で観客も見ることができるのだと思う。

海外のこの手の映画ってよく宗教の話になるけど、いかに外国に宗教とか神が根付いてるかっていうのを見るたびに考える。日本はなかなかないからなぁそういう宗教観。
最後の大佐のところはカルトなんだけど極限になると人は何かに縋りたくなるからこうして国が出来てしまうんだろうな。いいことなのかどうかの判断はできないけれど、わかる気もする。

ただのドンパチしている戦争映画じゃなかったのが良かった。また少し時間をおいて観たい。ただし心が元気な時に。

2018/05/08

2018/05/13

-点

映画館/東京都/立川 CINEMA CITY/TWO 
字幕


奇跡的に生まれた名作

今も手元に東京・有楽座の前売指定席券の半券がある。半券には昭和55年2月16日、午後3時15分の回のゴム印。この日、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』が日本で初めて上映された。記憶が定かでなくなってしまったが、午前中の回は確か招待者や報道関係者に配分されていたのではなかったか?正式な日本公開は、2月23日だが一部の劇場では先行公開された。この日のチケットを当時、苦労して入手し、同級生と授業をさぼって駆けつけた記憶がある。高校2年生だった。

先日、午前十時の映画祭・先行上映『地獄の黙示録』を極上の音響で観賞した。しかも、映画評論家の町山智浩氏の解説付きで(20世紀名作映画講座)。町山氏といえば、ラジオなんかでは映画秘宝時代のお仲間なんかとじゃれ合っている親父さんといった一面もあるが、本当は豊富な知識を背景としてわかりやすくクリアな映画解説に定評のある人。上映終了後の解説のつかみで「音すごかったでしょ。この作品をきっかけにどの映画もドルビーサラウンドを採用し始めた。当時その音が再現できるのは東京では有楽座しかなかったし、ぼくも高校生だったとき有楽座でこの作品を初めて観て驚いた」ということで、より一層氏への親近感が深まった。CGやVFX全盛の現代ではもう製作不可能なくらいの物量投入と音響開発があったという冒頭の話も観賞直後の気分にピッタリとはまった。『地獄の黙示録』は、現代において再び月面着陸することと同じくらい再現困難な技が尽くされた20世紀の名作と言える。

台風によるオープンセットの倒壊、フィリピン軍より借り受けたヘリコプターのスケジューリングトラブル(やはり実戦が優先)、主人公ウィラード中尉役の度重なる交代劇、マーティ・シーンの心筋梗塞発作、到着したマーロン・ブランドの体型の問題と作品への介入。こうしたトラブルによる度重なる製作中断。製作期間の大幅な延長により膨らんでいく予算とその資金繰りなど。これらのエピソードは、あまりにも有名で、『地獄の黙示録』は、しばしば完成したこと自体が奇跡と評されてきた。しかし、この日の町山氏の話を聞いていると『地獄の黙示録』は、ストーリー展開や作品のテーマ性においても実につぎはぎで危うい橋を渡った末にようや出来上がったことがわかる。

そもそもこの作品は、USC映画学科に在籍していたジョン・ミリアスが英作家ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」を下敷きにして脚本を書き、ジョージ・ルーカスらと製作しようと考えていた戦争映画。ジョン・ミリアスは右翼的思想の持ち主なので彼の脚本は当時ベトナム戦争中でありつつも社会への批判的な視点などなかったであろう。ともすると単に戦意を高揚する作品になりかねなかった。町山氏によると製作中の作品を彼らの先輩格にあたるコッポラが興味を示し、あらためて製作者として権利を譲り受けたのがはじまりとのこと。そしてコッポラが引き継いだ本作は、大作として滑り出したものの、かく言う多重トラブルに翻弄された。挙句彼自身が「撮っていても途中で何をテーマとした作品なのかわからなくなってしまった」と発言したのは至極有名な話だし、精神のバランスも崩していく。この言葉は製作の条件や環境のみならずストーリーラインすらめちゃくちゃになっていたことを示している。

ラストでコッポラはウィラード中尉とカーツ大佐の劇的とも言える対決を想定していたが、それはロケ地入りしたマーロン・ブランドの当時の体型によって水に流れてしまった。ラストの演出を悩みに悩んだコッポラは友人デニス・ジェイコブ(クリエイティブ・アドバイザーとクレジット)の助けを借りてひねり出された結果が「王殺し」である。立ち回りは暗殺劇に差し代わり後付けのアイデアながら、カーツの洞窟のテーブルには、ジェームズ・フレイザーの「金枝篇」やアーサー王伝説などの民俗学研究で知られるジェシー・ウェストンの著作が無造作に置かれ、なんとかテーマを裏付ける演出をすることが出来た。
また、コンラッドの「闇の奥」を物語の骨格として残し続けたのも正解だった。川を遡るなかで明らかになる白人の未開人以上に野蛮な自身の姿、これこそ白人自身の存在をゆるがしかねない恐怖を偶然にも導き出すことが出来た。
これにより『地獄の黙示録』が、当初に企図されたミリアス色の強い戦意高揚映画でも、戦場ドキュメンタリー映画でもなく、思考的なつぎはぎは否めないものの程よく哲学的なひねりの効いた(文明の果てにある狂気と野蛮といった自己矛盾)作品に仕上がったのもまた奇跡と言えば奇跡だろう。

蛇足ながら終わりに町山氏は、『地獄の黙示録』には二つのラストが存在するという解説をしていた。つまりカーツの王国が爆撃により崩壊「する」バージョンと、「しない」バージョンがあると。今回観賞した劇場版〈デジタル・リマスター〉は後者でおそらく日本公開時の70㎜版をリマスターしたもの。
わたしはストーリーが二つ存在するのではなく、爆撃はおこなわれたのであろうと考えている。洞窟内の机上の書類のなかに「爆弾を投下し、全員をせん滅せよ」とカーツ大佐の走り書きのメッセージがあるのだから、その意思を引き継ぐものとしてウィラード中尉は実行に移したに違いない。よって『地獄の黙示録』には、カーツの王国が爆撃により崩壊していく様を背景としたエンドクレジットが「ある」ものと、「ない」ものがあると言った方が正確だと思う。

2018/05/12

2018/05/12

-点

映画館/三重県/イオンシネマ東員 
字幕


午前10時の映画祭にて。初めて映画館で鑑賞。
DVDで見たときは、すごい長いバージョンだったけど、午前10時の映画祭は、劇場公開時バージョンなので2時間半くらい。
なんと言ってもキルゴア中佐やね。映画史に残る名場面だと思います。映画を見るより先に、MAD3のライブを見たから、余計にね。