地獄の黙示録

じごくのもくしろく|Apocalypse Now|Apocalypse Now

地獄の黙示録

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レビューの数

74

平均評点

78.6(584人)

観たひと

1011

観たいひと

82

(C)1979 Omni Zoetrope. All Rights Reserved.

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 戦争
製作国 アメリカ
製作年 1979
公開年月日 1980/2/16
上映時間 153分
製作会社 アメリカン・ゾエトリベ・プロ作品
配給 日本ヘラルド
レイティング 一般映画
カラー カラー
アスペクト比 70mmワイド(1.2.20)
上映フォーマット 70mm
メディアタイプ フィルム
音声 6chステレオ

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1960年代のベトナム戦争下のジャングルを舞台に1人のアメリカ軍将校暗殺を命じられた大尉が4人の部下と共に目撃する戦争の狂気を描く。製作・監督は「ゴッドファーザーPARTII」のフランシス・フォード・コッポラ、脚本はジョン・ミリアスとフランシス・フォード・コッポラ、撮影はヴィットリオ・ストラーロ、音楽はカーマイン・コッポラとフランシス・フォード・コッポラ、音響はウォルター・マーチ、編集はリチャード・マークス、ウォルター・マーチ、ジェリー・グリーンバーグ、リサ・フラックマン、製作デザインはディーン・タヴォラリス、衣裳はデニス・M・フィル、ジョージ・リトル、ラスター・ベイレス、ノーマン・バーザが各々担当。出演はマーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、フレデリック・フォレスト、アルバート・ホール、サム・ボトムス、ローレンス・フィッシュバーン、デニス・ホッパー、G・D・スプラドリン、ハリソン・フォード、ジェリー・ザイスマー、スコット・グレン、ボー・バイヤーズ、ジェームズ・キーン、ケリー・ロッサル、ロン・マックイーンなど。日本語版監修は戸田奈津子。イーストマンカラー、パナビジョン。1979年作品。劇場初公開は1980年2月16日(配給:日本ヘラルド)。2016年4月16日よりデジタル・リマスター版を上映(配給:boid)。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

狂うような暑さのサイゴンの夏。ブラインドの降りたホテルの一室で、ウィラード大尉(マーティン・シーン)は空ろな視線を天井に向けていた。505大隊、173空挺隊所属、特殊行動班員である彼に、それからまもなく、ナ・トランの情報指令本部への出頭命令が下った。本部では3人の男が彼を待ちうけており、そのうちの1人がウィラードに、今回の出頭目的を説明した。それは第5特殊部隊の作戦将校であるウォルター・E・カーツ(マーロン・ブランド)を殺せという命令だった。カーツはウェストポイント士官学校を主席で卒業し、空挺隊員として朝鮮戦争に参加、数々の叙勲歴を持つ軍部最高の人物であったが現地人部隊を組織するという目的でナン川上流の奥地に潜入してからは、彼の行動が軍では統制できない異常な方向へと進んでいった。情報によると彼はジャングルの奥地で原地人を支配し、軍とはまったく連絡を絶ち、自らの王国を築いている、というのだ。そのアメリカ軍の恥である錯乱者カーツを暗殺しなければならない、というのが軍の考えだった。この密命を受けた若い兵士ウィラードは、4人の部下、クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ランス(サム・ボトムス)、シェフ(フレデリック・ホレスト)、チーフ(アルバート・ホール)を連れ、巡回艇PBRに乗り込んだ。まず、ウィラードは、危険区域通過の護衛を依頼すべく、空軍騎兵隊第一中隊にキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)を訪ねた。ナパーム弾の匂いの中で目覚めることに歓びさえ感じているキルゴアは、花形サーファーであるランスを見ると彼にサーフィンを強要した。ワーグナーの“ワルキューレの騎行”が鳴り響く中、キルゴアの号令で数千発のナパーム弾がベトコン村を襲った。キルゴアのもとを発った彼らは、カーツの王国へとPBRを進めた。河岸に上陸するたびにウィラードに手渡される現地部隊からの機密書には、カーツの詳細な履歴と全行動が記されており、読めば読む程ウィラードには、軍から聞いたのとは別の人物であるカーツが浮び上ってきていた。王国に近づいたころ、クリーンが死に、チーフも死んだ。そして、王国についた時、ウィラードはそこで、アメリカ人のカメラマン(デニス・ホッパー)に会い、彼から王国で、“神”と呼ばれているカーツの真の姿を聞かされる。カーツは狂人なのだろうか。それとも偉大な指導者なのだろうか。ウィラードにもわからなかった。そして遂にカーツとの対面の日がきた。テープレコーダーや本に囲まれたカーツの元にやってきたウィラードは、軍の命令に従い、“神”と呼ばれる人間カーツを殺すのだった。(日本ヘラルド映画配給*2時間33分)

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2018年7月下旬特別号

巻頭特集 キネマ旬報創刊100年特別企画 第1弾 1970年代外国映画ベスト・テン:ベスト19グラビア解説

2017年7月上旬号

MOVIE at HOME:「エマニエル夫人」「地獄の黙示録」インタビュー 坂上直行[元日本ヘラルド映画宣伝部]

2016年4月下旬号

UPCOMING 新作紹介:「地獄の黙示録 劇場公開版〈デジタル・リマスター〉」

傑作は何度でも再来(リヴァイヴァル)する:地獄の黙示録 インタビュー 矢作俊彦 1980年、ふたつの“戦争” 「地獄の黙示録」『気分はもう戦争』

2011年9月上旬号

MOVIE at HOME お家でDVD & Blu-Layを:DVDコレクション 「地獄の黙示録」

1980年4月下旬号

外国映画批評:地獄の黙示録

1980年3月下旬号

〈現代〉と〈映画〉論考:第12回 「ディア・ハンター」と「地獄の黙示録」(下)

外国映画紹介:地獄の黙示録

1980年3月上旬号

〈現代〉と〈映画〉論考:第11回 「ディア・ハンター」と「地獄の黙示録」

1980年1月下旬号

特別カラー・グラビア:地獄の黙示録

グラビア:地獄の黙示録

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集1 自説12人-話題作をめぐって

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集2 そこに、ベトナムの戦場があった

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集3 海外特別寄稿「地獄の黙示録」論-父性超克の寓話

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:特集4 賛否両論の渦の中に投げこまれた話題作

巻頭大特集 「地獄の黙示録」:完成台本

1979年12月下旬号

「地獄の黙示録」リレー特集:第5回 アメリカの闇の奥

1979年12月上旬号

「地獄の黙示録」リレー特集4:「地獄の黙示録」の問題点

1979年11月下旬号 創刊60周年記念特別号

「地獄の黙示録」リレー特集3:「地獄の黙示録」を観て

1979年11月上旬号

「地獄の黙示録」リレー特集:戦争の爆音と狂気

「地獄の黙示録」リレー特集:荒涼とした哲学

「地獄の黙示録」リレー特集:偉大なる啓示

1979年10月下旬号

特別カラーグラビア:地獄の黙示録

グラビア:地獄の黙示録

「地獄の黙示録」特集:1 この映画はベトナムそのものだ

「地獄の黙示録」特集:2 アメリカで見た「地獄の黙示録」

「地獄の黙示録」特集:3 「地獄の黙示録」について

「地獄の黙示録」特集:4 〈ヴェトナム〉を突き抜ける狂気の文明論

1977年8月上旬号

〈ルポ特集〉日本とアメリカを直撃する4本の映画:2 「地獄の黙示録」のためのコッポラの戦い PART2・後篇

1977年1月下旬正月特別号

「地獄の黙示録」におけるコッポラの戦い:第2回

1976年10月上旬秋の特集号

特別カラー・グラビア:「地獄の黙示録」

グラビア:「地獄の黙示録」第一報

「地獄の黙示録」のためのコッポラの戦い:

2020/02/07

2020/02/08

80点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


ややこしい変種の数

◎ 1979年に公開された版のほかに、2001年の「特別完全版」と2019年の「ファイナルカット版」がある。上映時間はそれぞれ153分、203分、182分とかなり異なる。今回放映されたのはタイトルの後ろに”redux”とあるので「特別完全版」かと思ったが、203分もない。たくさんの変種を作ってややこしくするのは全くやめてもらいたい。
◎ 今回観て気づいたのは、ベトナムやカンボジアを舞台にしていながら、まともな現地人が一人も出てこないということだった。少なくともコッポラにとっては、アジア人は自分たちの仲間でなかったのだろう。

2020/01/08

2020/01/08

-点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


Shall we dance!

ワルキューレ
サティスファクション!
ローレンス・フィッシュバーン

2000年代

2019/05/24

90点

購入/DVD 
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取り敢えずメモ代わりに…

自分のレビューを見直そうとしたら見当たらない。「特別完全版」のDVDを所有しているので書いたつもりになっていただけでした。なので再見までのメモ代わりに取り止めなく記します。

ワルキューレの騎行を聴くと思い出すのはマイケル・シェンカー・グループと本作です。マイケル・シェンカーは取り敢えず置いておいて、あの爆撃シーンは凄まじい衝撃でした。映画の魅力が凝縮された奇跡の映像だと思います。あれを観るだけでも並の戦争映画100本分の価値は有ると断言しましょう。

あの頃よく「前半100点、後半0点」と揶揄されていましたがある意味その通りと感じます。"後半が悪い”というより示唆的過ぎるというか、イメージ先行というか、要は思索や考察を過度に要求されるというべきですかね~。直感では心にストンと落ちて来ないのです。

映画の形態はロードムービーであり、世界観に寄り添い易い構成だと思います、少なくともカーツ大佐の王国に入るまでは。ただ、印象論なのですがラストが難解。製作時点でも二転三転したようですが若干、力業過ぎる纏めかと。ベトナム戦争の無益さが生んだ狂気を散りばめたアプローチは今も色褪せていないのは流石と言えますが。

個人的には説明過多ではない劇場オリジナル版のほうが本作のテーマには合っていると思います。

1980/03/23

2019/05/06

95点

映画館 
字幕


深い闇

ネタバレ

エリート軍人でありながらも軍を脱走し、自らの王国を造ったカーツの狂気。平穏な日常に耐えられず、戦場という非日常への復帰を渇望するウィラードの狂気。さらには、そんな兵士を造り上げたことなど一顧だにせず、事件そのものを極秘裏に葬り去ろうとする米軍の狂気。

いわば「狂気」の多重構造なかで進行する王国への船旅は、ヘリの旋回音とザ・ドアーズの「ジ・エンド」によるオープニングから、「ワルキューレの騎行」や「スージーQ」へと至る凄まじい音響の数々を背景に、サーフィンのための爆撃にはじまり、プレイメイトによる慰問や、指揮官の居ない最前線といった戦場におけるさまざまな不条理を禍々しく表出していた。

そして、カタルシスのない物語の割り切れない顛末からは「ベトナム戦争」の深奥へと迫りながらも、自らがその深い闇に迷い込んだ感があるF・F・コッポラの映画監督としての矜持と限界が、一米国人としての良心と苦悩が、名手V・ストラーロが紡ぎ出す翳りを帯びた画面に見事なまでに露呈された秀逸の戦争映画だと思う。

あと、茫漠とした表情が印象的なM・シーンや、エキセントリックな役柄を見事に演じきったM・ブランド、R・デュバル、D・ホッパーとともに、H・フォード、L・フィッシュバーン、S・グレンといった俳優陣のブレイク前のチョイ役出演が心に残る。ちなみに、「七人の侍」や「アラビアのロレンス」とともに、若かりし自分を映画ファンへの道へと引きずり込んだ思い出深い映画ということでの5点加算とした。

2019/03/04

2019/03/04

88点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


迷走している

公開時に、ラストシーンの違う2種類のバージョンが違う劇場で同時公開されていた。それぞれ鑑賞した友人たちと感想を話し合っても、みんなとらえ方が全く違っていた。突き詰めると、これは傑作なのか駄作なのかというこになる。私自身わからない。「ワルキューレの騎行」を流しながら海岸の村を攻撃するシーン、プレイメイトの慰問のシーンは現実的だ。しかしボートがカーツ大佐の王国に到着してからラストに至るまでは、リアリズムの観点から理解できない。とくにラストシーンは監督ですら迷って二つのパターンを提示したのではないか。うがった見方をすれば、評論家や観客の反応を見ながら、一つに選択したのではないかと思ってしまう。結局言えることは、この映画は大変な問題作ということかな。

2019/03/01

2019/03/02

70点

テレビ/無料放送 
字幕


ハートブレイクな村おこし

BSで。最初に観たのは30年ほど前だろうか。そのあと1回か2回は観ている気が。戦場のファーストシーンのごった煮感、牛が吊られるので、ピカソのゲルニカを連想したり。狂気対狂気対狂気というのがテーマか、何が狂って壊れているのかわからない。
ラジオ、ロック、サーフィン、拡声器。スピードと上下には戦争と映画の技術のマッチがある。ヘリコプターの特性が出てる。アジア対アメリカというよりも、亜と米のコラボというべきか。平和と戦争の同居、安全と危険のハイブリッドというキルゴアの達観がある。
ジャングルのスケール感がたまらない、小人のような兵隊さん、テーマパークにあるようなジャングルクルーズの悪夢版というか。モノローグ、文書や録音といった記録主義の断片が戦場ないし熱帯の交通網に行き交う。照明、このエレクトリカルパレード感。
ドラッグ、バイク、スキヤキ、サヨナラ、ピンナップ、文化の持ち込みなしには前線を維持できない。慰問と仮設、このネットフェンスもいい。こういうPAで増幅された音楽、この技術の興りは、やはり戦場由来なのだろうか。
そして遡上すれば、その先の環境や文化と混淆せずにはおれない。まず、モード、服装や化粧が置き換わる。外装、たとえばボートの幕(膜?)材などがカムフラージュされる。原色が褪せ、アースカラーに馴染んでしまう。
銃声ビート。小さな多くの爆発が湿度のある大気を叩きまくる。そしてマンソンのニュースが新聞で。同胞愛と小さなものへの愛がある。船での遡行という静けさ。闇や川霧による視界の限定。死に際にみせる一瞬のダンス。
パブリックな要請というのは、戦場において最大限にテンションをかけられる。その強力な要請とプライベートな部分を各自がどう折り合いをつけるのか。カンボジア国境地帯で、要請や監視が緩んだとき、ウィラードはその私的な興味で彷徨うわけだが。
カーツの行動を、最も穏当な言葉で捉えるなら、村おこしといっていいだろう。それは人類学にのっとり、軍事で補強されたコミュニティでもある。狂気は、結局、環境と文化との調整の問題にすぎないが、うまくチューニングすれば、狂った行動と村おこしは、実践として一致する。
カーツによるコミュニティデザインが成功しているかどうか。映画の撮影クルーというのも一種のコミュニティであり、その興行までも含めた運命共同体でもある。この映画には、映画という実践をとおして近現代のコミュニティにアプローチをしている。
カーツの語りパート。なんという反ワクチン。そしてカーツのダンス。ちょっとだけ、アジアをアルカイックに描きすぎている気もするが、自分の住んでる村のあたりも、まあジャッジをどこかへ委任したような諦観と無機のような表情はあるわけだが。