モーツァルトを一言で例えるなら「無邪気」であろう。特にそれを印象付けるのが、酒の場でサリエリのモノマネをするシーンである。屁をこぎながら嬉しそうにピアノを弾いているモーツァルトは「無邪気」という以外言い表しようがない。
「芸術音楽」という神に愛された能力ゆえに、それ以外のものは何もなく、周りからは理解されず、知らず知らず人を傷つけ、最後には落ちぶれていく様が痛々しい。
この映画でキーマンになるのは、ライバルのような立ち位置のサリエリである。このサリエリが嫉妬に狂い、モーツアルトを徐々に追い詰めていく。天才が凡人に潰されいく様を見て、実に不愉快に感じる人もいるかもしれない。だが、そのサリエリもモーツァルトに狂わされて可哀そうな人間の一人でもある。神に自分の全てを捧げたのに、与えられた能力と言えば、「モーツァルトがいかに偉大なのか」ということを、他の誰よりもわかってしまうということである。モーツアルトは神に何も捧げていない不埒な男なのに、なぜ自分が望むすべてを与えられているのか、悩み葛藤するのである。
この対照的な二人の人生の物語はいつ観ても面白い。