かつて長尺の映画が苦手だった。ミロス・フォアマン監督『アマデウス』はその苦手意識を初めて払拭させてくれた作品だった。2時間半以上もあるのに全く時間を感じさせない展開に見終えて本当に驚いた。あれから何回この作品を見たことか?正直なところ半世紀に一本の傑作だと思っている。
初見は1985年の日本初公開時。前売り券を買って新宿ピカデリーだったと思う。きっかけはその数年前に松本幸四郎(サリエリ)、江守徹(モーツァルト)、藤真利子(コンスタンチェ)の舞台「アマデウス」(こちらがピーター・シェイファーのオリジナル)を池袋のサンシャイン劇場に見に行っていたせいもあって。実はモーツァルトなど全くわかっていないくせに本作では次々と繰り出される楽曲の美しさに酔いしれたと言うのが正直な感想。反省してイギリスのネヴィル・マリナー指揮のサウンドトラックも買った。本作がアカデミー賞を8部門で受賞したこともあり公開時、ちょっとしたモーツァルトブームにもなって旋律で気持ちが落ち着く、集中力がアップするなどと言われ、国家試験を目前に控えていたのでさんざん聴いたし、試験会場にもCDウォークマンに入れて持ち込んだ。
さて、『アマデウス』は、凡庸なるものの「才能」への「嫉妬」がテーマ。F・マーリー・エイブラハム演じる神聖ローマ皇帝の宮廷作曲家アントニオ・サリエリが主役なのだがモーツァルトが非常に際立って「モーツァルト映画」とみなされてしまうのは何故だろう。それは見る側の多くが凡庸さを自覚しているがゆえに自身に目を向けるのが辛く、サリエリ同様、奔放かつ天才のモーツァルトに嫉妬と憧れを抱きながら見てしまうためでは無かろうか?また、学校の音楽室に飾ってあるあの上品なモーツァルトの肖像のイメージを喝破するモーツァルトの造形。トム・ハルスが目一杯自由奔放に演じて見せた驚きも一つ。
久しぶりに見て気づいたことは、エイブラハムの特殊メイクはあのディック・スミスなんだね。ゴッドファーザー、エクソシスト、タクシードライバーのあの顔、顔、顔を世に放ってきた人。あと、これは楽器の歴史を知らないので疑問に思ったのは、たくさんピアノを弾くシーンが出てきたけど、あれって時代的にチェンバロなんですかね?音もピアノみたいに鉄線をたたいているようには聞こえなかったので。どうなんだろう?今度調べてみよう。