ミスター・ノーバディ(2011)

みすたーのーばでぃ|Mr. Nobody|MR. NOBODY

ミスター・ノーバディ(2011)

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レビューの数

47

平均評点

74.1(308人)

観たひと

450

観たいひと

95

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル SF / ドラマ
製作国 フランス ドイツ カナダ ベルギー
製作年 2009
公開年月日 2011/4/30
上映時間 137分
製作会社 Pan Europeenne
配給 アステア(アスミック・エース 提供)
レイティング PG-12
カラー カラー/シネスコ
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 ドルビーSRD/DTS

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

死を間近にした老人の脳裏に浮かぶ様々な人生の岐路を描く「八日目」のジャコ・ヴァン・ドルマル監督作。出演は「チャプター27」のジャレッド・レト、「スプライス」のサラ・ポーリー、「イングロリアス・バスターズ」のダイアン・クルーガー、「真夜中のピアニスト」のリン・ダン・ファン。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

老人の風貌をしたニモ(ジャレッド・レト)が目を開けると、そこは2092年の近未来で自分が118歳であると知らされる。世の中は不死の世界となっていたが、ニモは唯一死ぬ事の出来る人間だった。ニモは自らの過去を遡っていく……。両親の離婚によって、9歳のニモは母(ナターシャ・リトル)と行くか、父(リス・エヴァンス)と残るかという選択を迫られる。母が乗り込んだ電車が動き出すとニモは父の手を離し、電車に乗り込む。一方、時は戻って母が乗り込んだ電車をニモが追いかける途中、ニモの靴ひもが切れる。ニモは足を取られて立ちすくむ。母について行き、15歳になったニモが浜辺で座っているとアンナが一緒に泳ごうと声をかけてくる。ニモは泳げない事を隠そうと冷たく答えるが、その選択の先には大人になったニモが子供連れのアンナと駅ですれ違うという未来があった。「かなづちで泳げない」とアンナに正直に打ち明けたニモ。2人は恋に落ちるが、両親にばれ、アンナはNYへ。35歳になったニモとアンナ(ダイアン・クルーガー)はまだお互いを想い続けていた。父と残る事になり、15歳になったニモはエリースと出会う。ニモは告白を決意、手紙を手にエリースの自宅へ向かうが、彼女が男と一緒に家から出てくるのを目撃、ニモは告白をやめる。その帰り道にニモの運転するバイクが転倒、病院へ運ばれ生死をさまよう。一方、エリースの家に到着したニモは、無事手紙を彼女に渡すがあっけなくふられてしまう。その悔しさと当てつけから、その日初めて踊った子と結婚すると決意する。ニモがエリースに無事手紙を渡す。彼女が何か言おうとするのを制止し、愛を告げる。2人はその後結婚。だが元々情緒不安定なエリース(サラ・ポーリー)は結婚後に鬱状態となる。ニモは懸命にエリースと子供たちの世話をするが、彼女は荷物を持って出て行ってしまう。エリースにふられたニモがその日初めて踊った子がジーンだった。バイクの後ろに彼女を乗せながら、人生設計をその場で決める。ジーン(リン・ダン・ファン)との結婚は全て設計通り。ジーンとの関係も情熱のない単調なものだった。ジーンもそんなニモの態度に気付きながらも必死で夫を支え続ける。ニモと関わる3人の女性たちとその結婚生活。別々の場所に同時に存在し、幾通りの人生を語るニモの人生はどれが真実なのだろうか……。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2011年5月下旬号

REVIEW 日本映画&外国映画 公開作24作品、72本の批評:「ミスター・ノーバディ」

2011年5月上旬号

UPCOMING 新作紹介:「ミスター・ノーバディ」

2023/10/10

2023/10/10

40点

VOD/U-NEXT 
字幕


最初から最後まで意味不明だった。

2021/11/08

2021/11/08

65点

レンタル/東京都/ゲオ/ゲオ三鷹南口店/DVD 
字幕


SFファンタジー

人生のさまざまな選択を時間という概念が無くなった未来にはどう捉えるのだろうか。不思議な映画。

2021/01/08

2021/01/08

50点

レンタル 
字幕


もしも…を映像化していくお話

ネタバレ

人類最後の人ニモの人生を、もしあの時こちらを選択していたら、という形で次々にストーリーを広げていくというアイディアはおもしろいが、うまく回収できていないように思いました。
両親の離婚の際、どちらについていったか、3人の女性の誰と結婚したか、など。場面場面はおもしろかったです。

2011/07/24

2019/11/06

80点

映画館/静岡県/静岡シネギャラリー 
字幕


選択しなければ可能性は残る

人生は選択の連続である。細かな決断の結果が、今の自分である。進学に就職、そして結婚相手が変われば、また違う人生であったかも知れない。あの時、違う決断を下していたら、今とは極端に異なる人生を歩んでいた可能性も否定出来ないではないか。

ニモ(ジャレッド・レト)は、2092年の世界でただ一人死ぬことが出来る存在になっていた。他の全人類は、不死を手に入れていたのだ。死期を間近にして、思い出そうとした過去は、幾通りもあった。彼の真の人生はどれだったのか。それとも本当に全てを経験していたのか。父か母か、そして結婚する三人の女性の選択により、ニモの人生は12通りに分岐する。それはまるでRPGをプレイしているかようだ。行き着く先にはいくつかのゲームオーバーも用意されている。その時ニモは、ゲームをリセットするかのように、運命の分岐点に戻っては、違う道を選んでみるのだ。

実際の人生では、こんなパラレルワールドを体験することは出来ない。しかし、時に人は想像したくなる。あの時、違う決断をしていたなら、どんな人生が待っていたことだろう。それは確かめることは出来ない。分岐点に戻ってやり直すことはできない。だから、本当はそんなこと考えるのは無意味なのだろう。人生はやり直しの利かない一発勝負なのだ。

ニモの最初の決断は、両親を選ぶことから始まる。子供は親を選べないというのが世間一般的な常識なのだが、とにかくニモは数多のカップルの中から、一組を選ぶのだ。自分で親を選んでしまったのなら、もう親に「産んでくれとは頼んでない」なんて言えない。そして、青、赤、黄と色分けされた三人の少女。三人はそれぞれニモと結婚することになる。青のエリース(サラ・ポーリー)と赤のアンナ(ダイアン・クルーガー)、そして黄色のジーン(リン・ダン・ファン)。一方通行の愛、相思相愛の愛。その方向性の違いで、真の幸せな関係とは何かを提示しているように思われる。

「もし選択しなければ、全ての可能性は残る」
この言葉の意味するものとは何だろう。ニモはもしかしたら、まだ何も選択していないということはあり得るだろうか。ならば今、ニモはどの時間にいるのだろう。

「人生にはほかのどんなことも起こりえる」
確かにその通りだと思う。自分の身の上に、今何が起こっても、何の不思議もないだろう。この映画を観た後では、その思いは確信に至った。

本人の意思による選択とは別に、他人の影響による運命の変化をバタフライ効果で表現している。蝶の羽ばたきが、遠い場所での気候に変化を及ぼしているかも知れないという、例のカオス理論である。我々はそれを運命と呼んでいるのかも知れない。自分の力では、どうにも抗うことの出来ない大自然の、いや宇宙の予測不可能な不確実な影響である。

2092年の未来の地球や火星旅行の描写など、かなり資金をつぎ込んでいる。そしてエントロピーや超ひも理論などを取り入れて、物語は壮大な宇宙論にまで辿り着く。宇宙はビックバンとビッククランチを永遠に繰り返しているのだろうか。時は逆再生するのだろうか。再びビックバンで宇宙が膨張を始めたら、また同じような地球は出現するのだろうか。我々はどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか。人類永遠のテーマ、そしておそらく結論の出せない問題。それでも、我々はそれを考えずにはいられない生き物のようだ。

人類が不死ならば、もう生殖の必要性はなくなる。そんな世界で回想されるのが、ニモの恋愛模様というのが、とても切なく愛おしい。考えてみれば、人間は死ぬからこそ愛という感情が発達してきたのではなかろうか。人生について、宇宙について、考え直さずにはいられない映画であった。

2019/08/12

2019/09/15

85点

レンタル 
字幕


フランク・ボーマンとニモ・ノーバディの近似。

これは凄い映画だな…。ジャコ・ヴァン・ドルマル監督のオリジナル脚本だが、物語として複雑な構造と
映像的メタファーに満ちた作品で、とてもスッキリ何点なんてつけられない超難解作。

はるか未来の社会。老境のニモ・ノーバディは異様な刺青のフェルドハイム医師と対面している。
人類は不老不死を実現し、ニモは老衰で死ぬ最後の人類となる。医師は新聞記事をニモに示し、
「2092年、人類最後に死ぬ人間118歳へ」の見出しを不思議そうにニモは見つめた。自分は34歳、と
主張するが、鏡を見ると…。

34歳のニモは眼が覚める。老残の自分から若い肉体を取り戻し、悪夢が醒めたような気がした。
妻と2人の子供がいる。子供にポールと呼びかけると、違うと拒絶される。妻のエリーゼを呼ぶが、
やって来たのは、エリーゼって誰、と不機嫌な妻ジーンに問い詰められる。
回想シーンが挿入されるのだが、ニモには複数の過去がある。ここが本作の眼目。

映画はたびたび現代科学の解説シーンが入る。ビッグバンとビッグクランチ、バタフライ効果等々、
何でもあり得るストーリーを覚悟させられる。パラレルワールドを描く映画は多いが、その決定版を
ねらったかのように、親切でもあり、意地悪に難解でもある。

未来社会でジャーナリストがニモに面会する。新人類は病気も死もないのだが、セックスはない。
旧人類の生活はどのようなものだったのか、ニモに直撃する。ニモは昔を述懐する。クルマは排ガスを
出す、人間はタバコを吸う、肉も食べる、そう、セックスのお盛んだったよ、とふかす。

人生の分岐点を回想する。9歳のニモは両親を選択する。あるいは両親の離婚で、父親につくか母親に
つくかで、また人生の分岐点。15歳では、母の再婚相手の連れ子アンナと家族になる。アンナとの愛を
貫くか、否か、これまた分岐点。エリーゼとの家庭、その裏側のジーンの家庭、ニモの人生は転機で
その都度シャッフルされ、三人の女との運命も錯綜する。
SFパラレルワールドの映画なのだけれど、ニモのアンナに対する想いの強さが、作品を支える。
ラブストーリーはこれほど強いのだ。

この映画は米英の資本は参加していない。それでも宇宙ステーションや火星の周回軌道までの進出等々、
VFXのクオリティも高い。作家性の強い衝撃の作品だ。私はマイフェバリットの一つとして、キューブリックの
「2001年宇宙の旅」を上げる。ボーマン船長は、モノリスに導かれ、スターチャイルドとして地球に戻る。
それが新人類の創始だとすると、ニモは旧人類の最後の人間、ドルマル監督は超高齢の人間に次元を
越えるカードを渡したようだ。

2019/08/17

2019/08/17

91点

VOD/GyaO! 
字幕


アバウトタイムのような

ネタバレ

人生分岐もの

こういうの好き