ノン、あるいは支配の空しい栄光

のんあるいはしはいのむなしいえいこう|'Non', ou A Va Gloria de Mandar|NO, OR THE VAIN GLORY OF COMMAND

ノン、あるいは支配の空しい栄光

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レビューの数

2

平均評点

71.0(14人)

観たひと

25

観たいひと

9

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 ポルトガル スペイン フランス
製作年 1990
公開年月日 2010/4/17
上映時間 110分
製作会社 Madragoa Filmes=Tornasol Films=Gemini Films=SGGC
配給 アルシネテラン
レイティング 一般映画
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 ドルビー

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演ルイス・ミゲル・シントラ Ens. Cabrita, Viriato, Don Joao de Portugal
ディオゴ・ドリア Soldier Manuel, Lusitanian warriror, Don Joao's cousin
ミゲル・ギレルメ Soldier Salvador, Lusitanian warrior, Alcacer warrior
ルイス・リュカ Cpl. Brito, Lusitanian warrior, Alcacer nobleman
ローラ・フォルネル Princess Dona Isabel
テレサ・メネゼス Venus
マテウス・ロレナ Don Sebastiao

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ポルトガルの詩人ルイス・ド・カモンイスの『ウス・ルジアダス』をベースに、各時代の英雄たちの戦いや死を通して、ポルトガルの栄光と敗北の歴史を描き出す。監督は、「夜顔」のマノエル・デ・オリヴェイラ。出演は、「階段通りの人々」のルイス・ミゲル・シントラ、「世界の始まりへの旅」のディオゴ・ドリア。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

1974年春、アフリカの植民地戦争に参加しているポルトガルの兵士たちは、不毛な戦争について議論を始める。カブリタ少尉(ルイス・ミゲル・シントラ)は、ポルトガルの戦争の歴史を語り出す。紀元前2世紀、ローマ軍がルシタニアと呼ばれていた地方に侵略する。智勇に長けたヴィリアト(ルイス・ミゲル・シントラ)に指揮された市民は、勇敢に抵抗する。力では勝てないと考えたローマ軍は、ヴィリアトの部下を買収し、暗殺させる。十字軍の時代になり、ポルトガル王国が形成されていく。アフォンソ1世以降、イベリア半島の統一と北アフリカのムーア人征服が歴代国王の悲願となる。15世紀後半、カスティーリャの王位を狙ったアフォンソ5世はスペインの一部の貴族と謀り、レオン地方の大部分を占領するが、トロの戦いに敗北する。1490年4月、ジョアン2世(ルイ・ド・カルヴァーリョ)は、息子アフォンソ王子とカスティーリャのイサベラ王女(ローラ・フォルネル)を政略結婚させる。しかし8月、王子が落馬して死去したため、イベリア半島の平和的統一の夢は潰える。ポルトガルは植民地主義へ向かい、海洋帝国を目指す。ヴァスコ・ダ・ガマはインド航路を確立し、新世界への道を開いた。16世紀後半、セバスチャン王(マテウス・ロレナ)はモロッコ遠征を強行し、アルカセル・キビルで壊滅的な敗北を喫する。国王も戦死し、ポルトガルの歴史上、最大のダメージを被る。1974年の現代に戻り、カブリタ少尉は支配することの無益さを慨する。翌朝、少尉らの小隊は出発するが、ゲリラに襲われる。重傷を負い、昏睡状態に陥った少尉は、セバスチャン王の幻を見る。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2010年6月上旬号

評論家発映画批評:「ノン、あるいは支配の虚しい栄光」

2016/11/24

2016/11/25

50点

映画館/大阪府/シネヌーヴォ 
字幕


帝国主義時代のポルトガル

末端の兵士が、いくら戦争の虚しさを訴えても、独裁体制を維持しようとするブルジョワジーには届かない。植民地人民の独立戦争の結果、軍事費が増大し経済が悪化した帝国を救おう考えクーデターを起こしたポルトガルの青年将校は、日本の2.26事件の青年将校に似ている。日本は失敗したけれど、成功していれば、日米戦争はなかったであろう。

2016/11/22

2016/11/23

75点

映画館/大阪府/シネヌーヴォ 


ポルトガル、敗戦の歴史。

<永遠のオリヴェイラ マノエル・ド・オリヴェイラ監督追悼特集>での上映。

ポルトガルの兵士が語る、ポルトガルの戦争の、敗戦の歴史。冒頭しばらくは会話劇だが、やがて部分的な史劇となる。

国に命を差し出す個人の思いと、戦争とは結局はただの殺し合いであるという事実をどちらも示しており、最後に深い余韻を残す。