ファッション好きには堪らない映画。題名はもとより、出てくる固有名詞を聞いているだけでワクワクしてくる。バービー人形のようにアン・ハサウェイが着こなす衣装とハイファッションの世界を覗き見するお気楽な映画と見ればいいのかもしれない。
登場人物たちの人物造形も浅い。二人目にクレジットされているアン・ハサウェイは「ジャーナリストにあこがれている、田舎出の優等生」であるから、ビューラーも知らない設定であったり、同僚もおフランスにあこがれていて仕事でパリに連れて行ってもらうのが楽しみで過酷なダイエットをしていたり、ハサウェイのボーイフレンドや友人たち(いや、ハサウェイ自身も)は、ファッション誌やファッション業界を、虚飾と浮薄の業態とみなしていたり、と典型に押し込められた人物造形である。ジャーナリストや、キュレーターやシェフは創造的であるが、アパレル雑誌の編集者や金融アナリストは次元が低いというわけである。この二元的な価値観に貫かれて物語は進行する。救いは、メリル・ストリープ扮する、(ヴォーグ誌のアナ・ウィンターがモデルの)ミランダと編集部のディレクターのナイジェルである。彼らは世界のアパレル市場の巨大な規模とそこで生み出される富を熟知している。あなたの着ている青いセーターは私たちがもたらした青だ、と言い放つ鬼編集長には自分の仕事へのプライドと自信がある。
結末はどうだろうか?業界の権謀術数からハサウェイは逃げ出してしまう。それを許してミランダはニューヨークの一流紙とおぼしき新聞社に推薦状を出してくれる。面接官は昔ながらのインテリ中年男性だ。新しい一歩を踏み出したハサウェイと偶然会ったミランダに一瞬の微笑みがよぎる。END。あれか、これは結局は中年男性が世界を回していて、彼らに選ばれないとだめだというサインか?物語を中盤に戻すと、ハサウェイがニューヨークに出てきた父親とディナーをしているが、ハサウェイがこの父親にとても愛され、両親の夫婦仲がとても良好であり、愛に溢れた家庭に育まれたであろうことがこの数カットのシーンに凝縮されて描かれていた。そもそもあれはブロードウェイを映したくてのシーンではあるまい。彼女という人がどんな風に育ち、ゆえにこれからどう行動するかどう考えるかという道具立てなのだ。対して、ミランダ編集長はその激務と仕事への愛ゆえに結婚に何度も失敗している。「男勝り」に働くミランダ編集長は罰せられて、男社会の権力闘争のおそれをなして逃げ出したハサウェイは恋人も失わずに済む。というわけである。
というフェミニズムコードで観るまでもない、楽しいファッション映画である。
2026年の次回作では、どう現代女性を描いてくれるのか。公開がまたれる。