ボスニア紛争を描いた作品では、ヤスミラ・ジュバニッチ監督の『アイダよ、何処へ?』が最も記憶に新しい。この作品の描写は昨年見た中ではかなりの衝撃。幾度も胸が強く締め付けられた。
同じ当事者性を持つエミール・クストリッツァ監督の描くボスニア紛争(ある国の内戦として描かれることもある)は、内戦期に青春を過ごしたヤスミラ・ジュバニッチ監督と異なり独特なテイストを持つ。クストリッツァのどの作品にも共通するのは、動物たち、爆音、銃声、ドタバタ、笑いに彩られたブラックな祝祭感。コメディというかドタバタ感が強いなったのは『黒猫、白猫』以降だったように思う。
紛争が始まった頃、鉄道技師でセルビア人のルカは、オペラ歌手だった妻ヤドランカとサッカー選手を夢見る息子ミロシュと三人であるボスニアの村に越してきてボスニアとセルビアを繋ぐ山岳鉄道建設に携わる。とはいえ内戦が激化する大都市から離れた生活はある意味牧歌的でもあった。
しかし次第に戦争の現実は村にも忍び寄り息子ミロシュが徴兵される。さらに何処か気持ちが不安定な妻ヤドランカが宴会で知り合ったハンガリー人と駆け落ち?してしまう。一人になったルカは失意に暮れる。そこに息子ミロシュが捕虜となった知らせが届く。
ここまでが割と長い。クストリッツァの作品はどこかローラーコースタームービーと言った感じで、しかも長尺が多いので見ていて何処に連れて行かれるのか?読めない不安がある。
ある雨の夜、悪友の軍人が「人質に」とムスリムの女性看護師サバーハをルカの家に連れてくる。友人は、「この女を捕虜となっている息子との人質交換に使うといい」と言う。
人質サバーハとの共同生活を続けるうちにルカはサバーハを愛する様になる。
つまりは迫り来る戦争が二人を出合わせ、接近させる。このあたりがクストリッツァの本領発揮で涙あり笑いあり切なさありで悲恋を描いていく。だから後半が彼なりの山場なんだと思う。ミラクルなラストも本当に見事だった。クストリッツァの作風は、いかなる戦時下にあっても戦争だけを描いていないのが特長だ。戦時下でも必ずあったであろう人間や動物たちの営みを一つの鍋の中で調理している。そこからは恋愛の甘い香りや、欲望、裏切りの生臭さ、果ては人々が流した血の匂いすら漂ってくる。