・ゴンチチの劇伴が明るくポップであるが、描かれる内容は子供だけの出口の見えない壮絶な生活 憤りと虚しさが心を包む作品
・是枝監督の撮影技法、画質は荒く手振れがするカメラであり、そこで同居しているようなドキュメンタリックな撮影、やるせない心情に寄り添うような手振れと彼らに寄った画角 劇伴と相反する壮絶な人生が丁寧に描かれている
・ほぼ子供だけで描かれる作品で、まったく違和感のない演技 是枝監督の子供演出は流石
・奔放な母親、セリフにもあるが自分の幸せを最優先として子供置き家を出る 到底生活できるレベルではないが送金だけは続けるものの、劇中ではおおよそ1年弱は子供を放置 家を出て半年後に長男が送金元を番号案内で探し、電話した場面、堂々と新しい名字で出た場面のショックがあまりにもでかい いなくなった母親の代わりにお年玉を用意する長男、コンビニ女性店員に記名を頼むが、字の違いに気づく長女もさらに切ない
・必死に生きる子供たち 長女はやることが無くひたすら時間を過ごす、ある程度理解はしていてお金を長男に渡す場面も切ない 無邪気に遊ぶ次男、拾った土と種で植物を育てたり、無邪気に新しい友達と遊んだり能天気な面も感じられるが彼らしく耐えている 最終的に椅子から落ちて死ぬ次女、アポロを大事に食べたり、一番無邪気に兄弟の中で過ごす 徐々に悲壮感が増す兄弟の生活はつらい
・すべてを背負う長男 元父親たちにお金をせびる場面の大人のクズさ、一時の悪仲間との交流と成長していく彼らに置いて行かれる様子、生きるために知恵を使う彼は責任感と憤りの塊 春には電機や水も止まり貧困の極致、水は公園で電気は諦め風呂トイレも公園で済ます そのほかにもコンビニの廃棄を食べたり、自販機周りの落ちているお金で過ごす 胸が締め付けられる生活
・孤独な兄弟にかかわる同じく孤独な女子高生 彼女の存在は長男や兄弟にとっての新しい接点であり、彼女にとっても新しい家族でもある 次女の埋葬に同行する場面の二人のやるせない表情もいたたまれない
・コンビニ女性店員が警察や児童相談所の案内をしたり、男性店員も廃棄食品の提供、たまたま見かけた野球監督の大人は長男を誘ったりかかわる大人もいる 何とか救いの手が届くことができれば違う結果になっていたのに
・映画のラストも引き続き公園の水くみ 後味は決して良くない、何とか発見されてほしいとの気持ちになる