本作品を初めて観たのは高校生の時、テレビ放映である。「ドレミの歌」「エーデルワイス」など馴染みのある歌曲や、子どもたちとの交流、ジュリー・アンドリュースの健全な明るさから楽しさにあふれた映画という印象が強かった。
それが大人になって、ビデオ鑑賞するとこの映画の表向きの顔は健全娯楽映画であるが、そのなかに社会派的な意味合いが強いということに気が付かされた。
反ナチの映画だったのだ。ナチスの支配が濃くなるオーストリアで、ナチスに尻尾をふることを徹底的に拒否するトラップ大佐に、ファシズムに抵抗する英雄として描いている。
戦争を背景にすれば、暗くなりがちのこの物語を、ジュリーを主役に迎え、明るく楽しいミュージカルにしているところが、とても良い。
ロバート・ワイズ監督としては「ウェストサイド物語」とは逆の雰囲気で撮ったところが面白いところ。
今回何回目になるのか、映画館で観るのは初めてだが、この鑑賞で気になったのは、トラップ大佐が再婚相手としているエルザだった。彼女はトラップ大佐の求婚を受けて、前妻とのこどもたちのことも承知でトラップ大佐の屋敷にやってくる。だが、こどもたちは家庭教師マリアを母親として見ているのが判り、トラップ大佐も自分からマリアに移ったと知る。その時の愕然した気持ちはどれくらいのものだっただろうか。なんだか彼女が気の毒に思えてしまった。育ちのいい淑女なんだろうから、潔く身を引いたが、もしふたりの仲を妬み引き下がらなかったらどうなったのだろうかな。もしかしたらトラップ大佐を恨みエルザがナチに加担したりして。
そういう展開になればもっと面白かっただろうが、健全娯楽映画にはならない。