この映画の女子高生たちと、僕の高校生時代が、完全にシンクロしている。歌謡曲が元気をくれた時代に、僕も確実に恋をしていた。そのシュチエーションは違っても、異性を想い求める気持ちは、変わらない。百恵ちゃん、ピンクレディ、ツイスト、イルカ…。様々な歌手たちが、恋のメッセージを、ストレートに僕たちに歌いかけていた。青春の思い出は、歌と共にあり。女の子たちは、みんなミーちゃんケイちゃんの振り付けに夢中になり、男子はフォーク、ニューミュージックに憧れギターをかきならしていた。
現在のモノクロシーンから始まり、1977年はカラーになる。監督曰く、『初恋のきた道』を意識したそうだ。26年後の郁子の手首に輝くブレスレット。意味ありげな描写が興味をそそる。
陸上部の四人の女の子の関係がとても好ましい。喧嘩することも当然あるが、いつも四人はまとまって行動していて、とても仲が良い。主人公の郁子は、あまり感情は表に出さない、もの静かなタイプのようだ。それと対照的なのが、まだブレイク前の上野樹里演じる真理。郁子とは正反対の直情系。このメンバーのムードメーカーだ。喜びも悲しみも、トラブルも真理がいつもリードしている。
郁子役の水谷妃里も静かに頑張ってはいるが、ここは上野樹里に完全に持っていかれている。まあ、真理の役は目立つので、有利ではある。しかし、郁子を陸上部に引きとめようと、部室で涙を流して説得する上野樹里の演技に注目せざるをえない。お好み焼屋での今後の男子との交際計画をあっけらかんとしゃべる真理の奔放さ。唖然と見つめる他の三人のショットが笑える。
韓国の高校生で、郁子と恋に堕ちるアンくん。郁子とアンくんの『ロミオとジュリエット』を彷彿とさせるバルコニーのシーンで、郁子の住所を書きとめるために、真理が調達してきた紙は、大笑いだった。
『ロミオとジュリエット』の他にも名作を意識したシーンがいくつか出てくる。郁子とアンくんの再会シーンは、『ウエスト・サイド・ストーリー』のマリアとトニーの出会いの構図そのままだ。船に向かって名前を叫ぶシーンは『望郷』だろう。このどれもが悲恋映画というのが、何だか二人の恋模様を暗示しているかのようだ。
話は戻るが、四人の女の子たちのシーンが、本当にどれも良い。真理の家のベランダで夜中に歌う「横須賀ストーリー」。怒られても、まだ歌い続けちゃう。それでも許しちゃうね。先ほども言ったが、お好み焼屋や部室のシーン。四人で行った、乃木神社の初詣。それぞれ違う色の着物。アンくんに会いたいと願ったのに、友だちには成績が上がるように祈ったとウソをつく、郁子の乙女心。韓国語の掛け声で、ランニングする四人組。「ここは日本だ」とコーチに言われると、更に声高に「イルイサンサオーリュチルパル」。この小娘たち、四人だといつも強気だ。そして四人で踊りながら歌う「カルメン’77」。笑っちゃうんだけど、一所懸命でかわいい。韓国の高校生たちは、みんな目をパチクリさせて呆気にとられていた。この頃、韓国ではこういう歌や踊りは珍しかったのだろうか。郁子を行かせるために、三人で先生を抑え込むシーンのチームワークには、涙交じりに笑ってしまった。
で、この映画で忘れてはならないのは、まだ、日韓の関係があまり良くなかった頃のお話。日韓の高校生同士の恋愛を、それぞれの親が、かなりの嫌悪感を抱いている。どうしてなのか、子供たちには理解できない。純粋な恋心を、引き裂こうとする大人たちの偏見。
郁子の父親役の山本譲二が、分からず屋の流しのギター弾きを好演している。父親に猛反対されながらも、父親のことを心配している郁子の気持ちが泣かせる。プレゼントされたギターで、歌う「雨に咲く花」が胸に沁みる。その時々に映画の中で歌われる曲の歌詞も、物語の内容にマッチしている。
まだ、日本の歌など歌ってはいけない時代の韓国。それでもアンくんが日本語で歌う「なごり雪」。偏見に凝り固まった大人たちへの、痛烈な挑戦状だ。過去の恨みは、どこかで一度清算しないと、いつまでも後を引く。郁子とアンくんには、過去の軋轢の責任などとれるはずもない。世代が変わったのなら、もう無かったことにしてもいいのではないか。そうしないと、いつまでも問題は解決しないだろう。
イルカの「なごり雪」は、エンディングでも流れるが、最初は韓国語だ。映画内でのアンくんの歌と対で、エールの交換のように聞こえて、感動的だった。名曲をお互いの国の言葉で歌う。これほど素晴らしいメッセージはあるだろうか。そして「なごり雪」は、やはり名曲だ。映画を観終わった後、観客の心には、いつまでもこの曲が流れ続けたことだろう。僕もつい口づさんでいた。
映画はまた、モノクロのシーンで終わる。「クンナンフ オボンゲートエソキダリルケ…」。そこからは、やはり懐かしい「なごり雪」のメロディが…。
2004年キネマ旬報ベストテン第9位。