大昔、初めてこの映画を見たとき、まさかこの映画の背景に戦争と欧州連合構想、さらには東西連戦への危惧懸念をも意識しているとは知らなかった。確かにこの映画のロマンス部分をめぐる部分とは別に、細かい麺でドルトン・トランボの政治的な思想が強く息づいているのだ。その意味で、昨今のEUがブレグジットなどの事態に直面し揺らいでいることを憂う。『ザ・スクエア』という映画を連想する。
ほかにもハリウッド映画がサイレントの時代から国を持たないユダヤ人が世界にその存在を示すために駆使した仕組みであることも初めて知った。ハリウッドはある意味でユダヤ教のプロパガンダ的ツールだったことも驚きである。アメリカがトランボを赤狩りで追い出そうとした理由も薄っすらと見えてくる。
こうした背景を知ることで、この映画には言葉にならない感動が山ほど隠されていることが認識できる。最も感動的なのは、最後の記者会見のシーン。アン王女はまさかジョー・ブラドリーが新聞記者だとは知らず、ここで初めてそのことを知る。この時のオードリーの絶妙な表情とグレゴリー・ペックの笑顔に浮かぶやんわりした涙など、この表情のやりとりに言葉はない。「私は国家間の友情を信じます。人と人との友情を信じるように。」という問いに、記者を代表して「王女様の信頼は固く裏切られないと、固く信じています。」このやりとりに涙する自分は50年前にいなかった。
今まさに国家間の信頼は傷つき、お互いが疑心暗鬼になっている。
こうした世の中を見まわしたとき、この二人の会話の裏に控える欧州の統合と戦争を背負う王女の姿。そして彼女がたった24時間の間に子供から大人になる瞬間を描き切るストーリーテリングに圧倒される。”祈りの壁”でアーニャが小さく「12時にカボチャの馬車で帰らなければ」という小さなセリフに彼女の意思が示される。
この映画を完全に支配しているのはオードリーである。彼女の仕草、表情、そして変化に合わせて、見る側は瞬く間に魅了される。巧妙に計算された映画でありながら、彼女の存在そのものがこの映画を永遠の名作に仕上げている。どのシーンをとっても魅力的で、誰もが彼女に魅了される。これほどまでに象徴的な映画はほかに例がない。