ローマの休日 製作50周年記念デジタル・ニューマスター版

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ローマの休日 製作50周年記念デジタル・ニューマスター版

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レビューの数

29

平均評点

86.4(330人)

観たひと

566

観たいひと

123

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ラブロマンス / ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1953
公開年月日 2003/9/13
上映時間 118分
製作会社 Paramount Pictures
配給 パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
レイティング 一般映画
カラー モノクロ/スタンダ-ド
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

アメリカン・フィルム・インスティテュートが2000年に発表した“アメリカが生んだ最も素晴らしいラブストーリー ベスト100”の第4位に選ばれた恋愛映画。製作から50周年を迎え、“デジタル・ニューマスター版”として再び公開された。この映画によって、主演のオードリー・ヘプバーンは無名の女優からハリウッド・スターとなった。なお脚本は、当時の赤狩りでハリウッドから締め出されていたダルトン・トランボが、友人のイアン・マクラレン・ハンター名義で初稿を執筆、これにハンターが手を加えたものを、さらにジョン・ダイトンが改稿するかたちで決定稿に至った。初公開時はトランボの名前は伏せられていたが、のちに当時の事情が明らかになり、デジタル・ニューマスター版には新たにトランボの名がクレジットされている。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

ヨーロッパ最古の王室の王位継承者、アン王女(オードリー・ヘプバーン)は、欧州親善旅行でロンドン、パリなど各地を来訪。ローマでは、駐在大使主催の歓迎舞踏会に出席する。強行軍にもかかわらず、元気に任務をこなしていた王女だが、内心では分刻みのスケジュールと、用意されたスピーチを披露するだけのセレモニーにいささかうんざり気味。就寝の時間になると、侍従たちを前に軽いヒステリーを起こしてしまう。主治医に鎮静剤を注射されたものの、気が高ぶっているため、なかなか寝つけない。ふと思いついた彼女は、宿舎である宮殿をひそかに脱出する。夜のローマをぶらぶら歩いていた彼女は、やがて先ほどの鎮静剤が効いてきて、道ばたのベンチに身体をぐったりと横たえる。そこを偶然通りかかったのが、アメリカ人の新聞記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)。若い娘がベンチに寝ているのを見て、家に帰そうとするが、アンの意識は朦朧としていて埒があかない。彼女をそのまま放っておくこともできず、ジョーはアンを自分のアパートへ連れて帰り、一晩の宿を提供する。翌朝、うっかり寝過ごしたジョーは、まだ眠っているアンを部屋に残したまま、新聞社へ向かう。支局長から「アン王女は急病で、記者会見は中止」と聞いたジョーは、そこではじめて昨晩の娘の正体が、実はアン王女だったことに気づく。王女には自分が彼女の身分を知ったことを明かさず、ローマの街を連れ歩いて、その行動を記事にできたら大スクープになる! ふってわいたチャンスに色めき立ったジョーは、アン王女の特ダネを取った場合の破格のボーナスを支局長に約束させる。 ジョーのアパートで目を覚ましたアンは、思いがけない事態に驚くが、同時にワクワクするような気分も感じていた。アパートを出た後も、せっかく手に入れた自由をすぐに捨て去るには忍びず、街をのんびりと散策。ジョーに借りたお金で、かわいいサンダルを買ったり、ヘアサロンに飛び込んで長い髪をショートにしたりと、ごくふつうの女の子のように楽しい時間を満喫する。アンがスペイン広場でジェラートを食べていると、彼女の後を追ってきたジョーに声をかけられる。偶然の再会を装う彼の「思いきって1日楽しんだら?」という声に押され、アンは宮殿に戻るのを夜までのばすことに決める。スクープに必要な証拠写真をおさえるため、ジョーは同僚のカメラマン、アービング・ラドビッチ(エディ・アルバート)も誘って、アンにローマ案内を買って出る。オープンカフェでは初めてのタバコを試し、2人乗りしたスクーターで街中を疾走。真実の口や、祈りの壁など名所の数々も訪れた。夜は、サンタンジェロの船上パーティーに参加するが、その会場にはついにアン王女を捜しにきた情報部員たちが現れる。アンとジョーは情報部員相手に大乱闘を繰り広げた後、一緒に河へ飛び込んで追手の目を逃れる。つかの間の自由と興奮を味わううちに、いつの間にかアンとジョーの間には強い恋心が生まれていた。河からあがったふたりは、抱き合って熱いキスを交わす。お互いへの本当の想いを口に出せないまま、アンは祖国と王室への義務を果たすために宮殿へ戻り、ジョーは彼女との思い出を決して記事にはしないと決意する。その翌日、宮殿ではアン王女の記者会見が開かれる。アービングは撮影した写真がすべて入った封筒を、王女にそっと渡す。見つめ合うアンとジョー。「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」笑顔とともに振り向いたアン王女の瞳には、かすかに涙の跡が光っていた。

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2019/08/31

2019/09/08

94点

選択しない 


やっぱりすばらしい作品

こんなにも素晴らしいと思える作品はないのではないかと何度見ても思う。オードリーのよさをグレゴリーペックがすごく引き出している。最後のアン王女の会見は切ないが愛が詰まっていて、何度見ても感慨深いものがある。
イタリアに行った後にもう一度見たが、今もほとんどの建造物が残っていて、ちがう見方でまた楽しめた。

2019/08/12

2019/08/12

100点

映画館/愛知県/TOHOシネマズ・名古屋ベイシティ 
字幕


例のない傑作

ネタバレ

 大昔、初めてこの映画を見たとき、まさかこの映画の背景に戦争と欧州連合構想、さらには東西連戦への危惧懸念をも意識しているとは知らなかった。確かにこの映画のロマンス部分をめぐる部分とは別に、細かい麺でドルトン・トランボの政治的な思想が強く息づいているのだ。その意味で、昨今のEUがブレグジットなどの事態に直面し揺らいでいることを憂う。『ザ・スクエア』という映画を連想する。
 ほかにもハリウッド映画がサイレントの時代から国を持たないユダヤ人が世界にその存在を示すために駆使した仕組みであることも初めて知った。ハリウッドはある意味でユダヤ教のプロパガンダ的ツールだったことも驚きである。アメリカがトランボを赤狩りで追い出そうとした理由も薄っすらと見えてくる。
 こうした背景を知ることで、この映画には言葉にならない感動が山ほど隠されていることが認識できる。最も感動的なのは、最後の記者会見のシーン。アン王女はまさかジョー・ブラドリーが新聞記者だとは知らず、ここで初めてそのことを知る。この時のオードリーの絶妙な表情とグレゴリー・ペックの笑顔に浮かぶやんわりした涙など、この表情のやりとりに言葉はない。「私は国家間の友情を信じます。人と人との友情を信じるように。」という問いに、記者を代表して「王女様の信頼は固く裏切られないと、固く信じています。」このやりとりに涙する自分は50年前にいなかった。
 今まさに国家間の信頼は傷つき、お互いが疑心暗鬼になっている。
 こうした世の中を見まわしたとき、この二人の会話の裏に控える欧州の統合と戦争を背負う王女の姿。そして彼女がたった24時間の間に子供から大人になる瞬間を描き切るストーリーテリングに圧倒される。”祈りの壁”でアーニャが小さく「12時にカボチャの馬車で帰らなければ」という小さなセリフに彼女の意思が示される。
 
 この映画を完全に支配しているのはオードリーである。彼女の仕草、表情、そして変化に合わせて、見る側は瞬く間に魅了される。巧妙に計算された映画でありながら、彼女の存在そのものがこの映画を永遠の名作に仕上げている。どのシーンをとっても魅力的で、誰もが彼女に魅了される。これほどまでに象徴的な映画はほかに例がない。
 

2019/08/09

2019/08/09

100点

映画館/島根県/T・ジョイ出雲 
字幕


永遠の名作

ネタバレ

2019年8月9日に鑑賞。「午前十時の映画祭10」にて。ビスタサイズの画面の中にスタンダード・黒白。両端と上下(少しだけ)に黒味がある。翻訳:高瀬鎮夫。ストーリー:ドルトン・トランボのタイトル文字あり。パラマウント映画=東宝東和配給(創立90周年)。映倫番号S-3571。

オードリー・ヘップバーンが輝くばかりに美しい。映画では20歳の役(アンの台詞にある)オードリーの実年齢は23歳である。ペックは36歳である。

シナリオが完璧である。伏線が網の目のように張られ、台詞を極力減らし表情で気持ちを現す場面も多い。もちろん、演出、撮影、演技も素晴らしい。観客はこの映画のラストに自らの青春を重ね合わせて、実らなかった恋を追憶する。

前回の鑑賞の批評でアン王女がジョーの部屋で目を覚ました時に、パジャマの中に手を入れる場面について「最初に観た時『下着をつけているか(男に脱がされたのではないか)』ということを、アンが確かめるために手を入れたと思っていた。大使館の寝室のベッドで、アンが自分がしたいことを言う場面で『パジャマを着て眠りたい。その時には、下のズボンを穿かないで』と言ったのを受けて、パジャマの下を穿いているかを確認したのである」と書いたが、今回再見すると、この場面はやはりアン王女はパジャマの中に手を入れて下着が脱がされていないか確認したのである。その証拠に、ベッドから立ち上がったアンが毛布で体を隠しバスルームに入る時、パジャマのズボンを穿いているのだ。」と書いたが。

オードリー研究家の吉村英夫「ローマの休日/ワイラーとヘプバーン」(1991)を再読すると。吉村はこの場面は、「アンは憧れのパジャマを着ることが出来た。だぶだぶの男物ではあるが夢のひとつが実現した。自分がパジャマの下(ズボン)を穿いているかを確認する仕種が笑いを誘う」と書いている。

しかし、この場面のアンの表情は、最初は「不安・不審」→確認した後は「安堵」という顔になる。吉村が言う通りならば「パジャマを着たけれども、パジャマのズボンを穿いていた」ことを確認したアンの表情は「夢が半分しかかなっていない」「下は穿かないと言った自分なのに、下を穿いていた弱い?自分」であれば、「苦笑い」になるはずである。画面のアンは「苦笑い」ではなく「安堵」の表情である。

★この場面の解釈は、パジャマを着ている自分に気づいたアンは「自分の夢を自分が実現し、男のいる前でパジャマのズボンを穿かないで眠ったのではないか」という「不安・不審」から、手を入れてパジャマのズボンを穿いていることを確認[ズボンの下の下着を確認したのではなかった(笑)]し「安堵」という表情になったのだ。アンは「自分の夢の実現」よりも「ズボンを穿かないで男の前で下着姿になるという無作法」をしなかったことが確認できて安堵したのだ。

石のベンチで眠っているアン。「If I were dead and buried and I heard your voice, …beneath the sod my heart of dust would still rejoice. 」これもシェリーらしいが、映画のオリジナルだという説もある。ここでこの詩句を言わせた意味は?アン「この身は死すとも、あの世で君が声を聞き・・・」アン「私が王位を継いで宮廷の世界(あの世)に暮らしていても、あなた(ジョー)の声・笑顔を思い出せば私の心は喜ぶでしょう」と2人未来を暗示する意味だろうか。

ジョーの部屋。パジャマを渡すジョー。アン「アレトゥーサは身を滅ぼし・・・」アン「キース」ジョー「その詩はシェリーだ」アン「キース」コーヒーを飲みに部屋の外へ出る。アンのスカートが下がる。下にペチコート?を着ている。

この詩はシェリーShelley の「Arethusa」である。「カウチ」と言われたのでこの詩を思い出したということであろう。『Arethusa arose From her couch of snows In the Acroceraunian mountains.』「アレトゥーサは、アクロセロニアの山々の雪の長椅子から起き上がった」

2009年

2019/06/10

95点

映画館 
字幕


キュートすぎる

宿泊している大使館を抜け出したヨーロッパのある国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)と偶然出会い、一晩家に泊める羽目になった新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)は、のちにアンが女王であることに気づき、特ダネをものにしようとアンを追いかける。街で楽しむアンに偶然に出会ったふりをして、一日アンに街を案内すると提案する。

オードリー・ヘプバーンが何はさておき、キュート。あの有名な真実の口のシーンは何度観てもかわいらしい。それまで無名だったオードリーがこの作品で、一躍スター(なんてったってアカデミー主演女優賞だし)になった。まさにシンデレラストーリーだなぁ。

ストーリーも単純すぎず、心に残る。

トレヴィの泉が あったり 、スペイン広場のシーンがあったり、学生時代の旅行で、同じようにあることをしてみたのを思い出す。

DVDも買っちゃいました(超廉価版の方ですが。デジタル・ニューマスター版の方がよかったかなぁ)。

2017/08/08

2017/08/10

100点

映画館/島根県/T・ジョイ出雲 
字幕


脚本が素晴らしい

ネタバレ

2017年8月8日に鑑賞。「午前十時の映画祭8」にて。ビスタサイズの画面の中にスタンダード。両端と上下(少しだけ)に黒味がある。翻訳:高瀬鎮夫。オリジナル・ストーリー:ドルトン・トランボのタイトル文字あり。

脚本の描き込みが素晴らしい。ドルトン・トランボ、イアン・マクラレン・ハンターとジョン・ダイトンのシナリオが完璧である。伏線が網の目のように張られ、台詞を極力減らし表情で気持ちを現す場面が多い。余りにも素晴らしい脚本なので、帰宅後にシナリオの採録を詳細に記録した。(10P・10700字)

もちろん、演出、撮影、演技も素晴らしい。観客はこの映画のラストに自らの青春を重ね合わせて、実らなかった恋を追憶するだろう。

唯一のミスはスペイン広場の階段のシーンの「時計」である。鑑賞するのは、映画館では46年振り(TVでは13年振り)である。やはり映画館で観るのが最高である。

思いの外、結構辛辣なシビアな内容の映画である。ラストがそれを物語る。夜、大使館へ帰宅したアン王女へ大使が「大使には大使の義務があります。王女も王女の義務をわきまえて・・・」アン「王女の義務をわきまえていなかったら、今晩帰って来ていません。この先、永遠に」アンが自立し自らの意志を持った瞬間である。アン「ミルクとクラッカーは要りません。下がって、伯爵夫人」凛とした高貴な威厳と美しさに包まれるアン王女。

石のベンチで眠っているアン王女。ジョー来る。アン「この身は死すとも、あの世で君が声を聞き・・・」詩句を暗唱する。
「If I were dead and buried and I heard your voice, …beneath the sod my heart of dust would still rejoice. 」これもシェリーらしいが、映画のオリジナルだという説もある。
ここでこの詩句を言わせた意味は?アン「この身は死すとも、あの世で君が声を聞き・・・」 アン「私が王位を継いで宮廷の世界(あの世)に暮らしていても、あなた(ジョー)の声・笑顔を思い出せば私の心は喜ぶでしょう」と2人の未来を暗示する意味だろうか。

アン王女がジョーの部屋で目を覚ました時に、パジャマの中に手を入れる場面について、前回の鑑賞で「『下着をつけているか(男に脱がされたのではないか)』ということを、アンが確かめるために手を入れたと思っていた。そんな下品な映画ではありませんでした。大使館の寝室のベッドで、アンが自分がしたいことを言う場面で『パジャマを着て眠りたい。その時には、下のズボンを穿かないで』と言ったのを受けて、パジャマの下を穿いているかを確認したのである」と書いたが、今回再見すると、この場面はやはりアン王女はパジャマの中に手を入れて下着が脱がされていないか確認したのである。その証拠に、ベッドから立ち上がったアンが毛布で体を隠しバスルームに入る時、パジャマのズボンを穿いているのだ。

ジョーはポーカーで負け、残った5000リラでタクシー代金(タクシー代金1000リラに、運転手にアンを送らせようと1000リラ渡した)を払って3000リラ残ったはず。そしてコーヒーを飲みに行ったので、コーヒー代金が1000リラということになる。寝坊したジョーは多分タクシーで会社へ。そして王女を逃がさないためにタクシーで自分のアパートへ戻ったはずだ。コーヒー代は1000リラより安いだろう。夜に乗ったタクシーは夜間料金で1000リラ、昼間のタクシー代はそれより安いとして、タクシー2回とコーヒー代で1000リラか?2000リラ残ったのか?

アンが1000リラで「サンダル」を買い、「美容院」で髪を切り、「ジェラート(アイスクリーム)」を買ってそこでもお釣りを貰っている。1000リラでそれだけ買えるのか。当時、1$=360円とすると、1000リラが1ドル半ならば、540円である。全部は足りないだろう。

2017/05/17

89点

選択しない 


ヘプバーン可愛すぎる
普通に面白い