ゴッドファーザーPARTII

ごっどふぁーざーぱーとつー|The Godfather Part II|The Godfather Part II

ゴッドファーザーPARTII

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レビューの数

162

平均評点

85.6点(1417人)

観たひと

2163

観たいひと

100

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 任侠・アウトロー / ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1974
公開年月日 1975/4/26
上映時間 202分
製作会社 フランシス・フォード・コッポラ・プロ
配給 パラマウント映画=CIC
レイティング PG-12
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ゴッドファーザー、ビトー・コルレオーネの縄張りを継いだ三男のマイケルが次々に宿敵を倒し、ファミリーを形成していくまでの過程を、若き日のビトーの足跡を挿入しながら描く。製作・監督はフランシス・フォード・コッポラ、脚本はコッポラとマリオ・プーゾ、原作はマリオ・プーゾ、撮影はゴードン・ウィリス、音楽はニーノ・ロータ、音楽指揮はカーマイン・コッポラ、編集はピーター・ツィンナー、バリー・マルキン、リチャード・マークス、衣装はセオドア・ヴァン・ランクルが各々担当。出演はアル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、ジョン・カザール、タリア・シャイア、モーガナ・キング、リチャード・ブライト、フランチェスカ・デ・サピオ、トロイ・ドナヒュー、マイケル・ヴィンセント・ガッツォー、G・D・スプラドリンなど。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

ドン・マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー湖畔に移していた。近くに収入源のラスベガスが控えていたからだ。マイケルは、ことあるごとに父ビトー・コルレオーネの偉大さを思うのだった。---/ビトーはシシリー島で生まれた。ビトーが9才のとき、父と母と兄が土地のマフィアの親分チッチオに殺された。彼は村人にかくまわれ、移民団の群れにまじって単身ニューヨークへ渡った。1901年のことだった。ニューヨークに着いたビトーは天然痘の疑いで3ヵ月間病院に入れられた。---/1958年。タホー湖畔にある教会ではマイケルの一人息子アントニーの聖さん式が行われていた。ビトーが死ぬ直前、一緒に庭で遊んでいた幼児がアントニーである。城のような大邸宅では大パーティが催され、マイケル、妻ケイ(ダイアン・キートン)とアントニー、ママ・コルレオーネ(モーガナ・キング)、マイケルの兄フレドー(ジョン・カザール)、その妻、妹のコニー(タリア・シャイア)とその恋人(トロイ・ドナヒュー)、相談役トム・ヘーゲン(ロバート・デュヴァル)などの顔が見える。パーティが終わり、その夜、マイケルの部屋に何者かが機関銃を乱射した。犯人はマイアミの大ボス、ハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)の腹心ロサト兄弟だった。---/リトル・イタリアで成長したビトー(ロバート・デ・ニーロ)は、あらゆる職業を経て、次第に頭角を現し、移民の信望を集めるようになってきた。彼のもとには弱い人々がさまざまな願いをもって訪れる。その街を牛耳る悪玉ボスのファヌッチを仕とめたのは町をあげてのお祭りの夜だった。---/マイケルはハイマン・ロスと一対一で会い、自分を襲ったロサト兄弟と、その事件に内通したペンタンジェリ(マイケル・ヴィンセント・ガッツォー)を処分することを宣言した。ペンタンジェリはコルレオーネ一家の古参だったが、マイケルのやり方に不満を抱えていた。そんなペンタンジェリにマイケルはロサト兄弟と手打ちをするように指示する。ロサト兄弟のバックにいるのがハイマン・ロスだと見抜いていたマイケルは、彼の油断を誘うべく計画を練っていたのだった。しかし手打ちの場所でペンタンジェリは暗殺されそうになるが、一命を取り留める。更に驚くべきことに、兄のフレドーまでもが、コルレオーネ家の情報をハイマン・ロスに流していた。そんなある日、マイケルは、犯罪調査委員会に呼び出されたが、マフィアについてのあらゆる容疑を完全に否定した。委員会側はそれを偽証だとしてペンタンジェリを証人として呼んだ。ペンタンジェリはマイケルにはめられたと思い込んでいたのだった。マイケルはペンタンジェリの肉親を傍聴席に呼び、彼の証言を封じた。その夜、妻ケイはマイケルに離婚話をもちだした。マフィアの恐ろしさと、子供の将来を想う気持ちからだった。---/ビトーと妻との間には4人の子供が出来た。汽車がシシリー島のコルレオーネ村に着き、多勢の村人が一家を迎えた。ビトーは両親の仇、チッチオを襲って、自分の手でチッチオの腹を十字に刺して殺した。---/ママ・コルレオーネが病気で死んだ。ニューヨークに隠れていたフレドーも呼び戻された。葬儀のあともフレドーはタホー湖畔にとどまって幼いアントニーと遊んだ。フレドーはマイケルに許されていると思ったのだ。だが、船で湖へ釣りに出たところを、マイケルの命令で殺された。初老に達したマイケルは、一人湖畔の椅子に座り、亡き父ビトーの愛情に充ちた偉大な生涯を想い、自分の孤独に胸を痛めるのだった---。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2025年7月号

巻頭特集 コッポラ、映画で“世界”をつくる男:CHAPTER 2 テーマで読むコッポラ映画 濃密な家族のドラマとイタリアの血 「ゴッドファーザー」3部作

2018年7月下旬特別号

巻頭特集 キネマ旬報創刊100年特別企画 第1弾 1970年代外国映画ベスト・テン:ベスト19グラビア解説

2011年4月下旬号

第二回 午前十時の映画祭:「ゴッドファーザー PARTII」「ディア・ハンター」

1975年5月下旬号

映画批評:ゴッドファーザーPART2

外国映画紹介:ゴッドファーザーPART2

1975年5月上旬号

グラビア:「ゴッドファーザーPART2」

キネ旬試写室:ゴッドファーザーPART2

1975年3月上旬号

グラビア:「ゴッドファーザー2」

2026/07/08

2026/10/12

100点

映画館/岐阜県/TOHOシネマズ岐阜 
字幕


【鑑賞記録】🎬『ゴッドファーザー PART II』──200分の小旅行

午前十時の映画祭16で、『ゴッドファーザー PART II』を観た。

シリーズ完全未鑑賞で、挑んだ。

入り口に、親切な札があった。

「本編前半2時間6分・休憩10分・本編後半1時間14分」

上映中に、なんと字幕で「休憩」と入る。

初めての映画体験だった。

シチリアの風景も、イタリア移民たちの街並みも、
映画というより、本当の世界を覗いているようだった。

私が生まれた1974年に公開された映画とは、とても思えない。

まだ無名に近かったロバート・デ・ニーロが、とにかく格好いい。

血の通った人柄が滲み出ているからこそ、
狂気は奥の奥に隠し秘められている。

かたや、アル・パチーノの瞳は、
光を失い、真っ黒に密度を増していく。

闇の中で、花瓶の花弁だけが、色づいていた。

9時半に入った映画館を出たのは、13時45分。

あっという間の、小旅行。

映画の中の、過去と、現在。

そして、あの休憩の10分間は、未来だったのだろうか。

⸻

See it for yourself.
(詳しくは、映画で。)

蓮。
2026.7.8 鑑賞 午前十時の映画祭16 4K版

⸻

追悼特記

ダイアン・キートンさんは、2025年10月11日に79歳で亡くなられた。

今回の上映は、『マンハッタン』と並ぶ「忘れざるダイアン・キートン」という枠で組まれたものだった。

2026/07/05

2026/07/05

90点

映画館/神奈川県/TOHOシネマズららぽーと横浜 


マーロン・ブランド発見

何度も観ていて、キネノートにも沢山登録していて、もう語ることはないのだが、今回も発見したことを書く
ロバート・デニーロが自分の息子(ソニー)が病気で苦しんでる姿を見て涙ぐむ仕草は、Part1において、マーロンブランドが、ソニーの死を知って悲しむ仕草、マイケルがファミリーの仕事に加担したことを聞いて悲しむ仕草と同じでした。
そりゃ、同一人物の役ですから、デニーロが寄せていったんでしょう。
ところで、ラストシーンですが、これは、1作目で撮ってあったシーンと思いますが、これはどういうことだったんでしょうか。2作目を作るにあたって、1作目でカットしたシーンを使おうと思った。のか、1作目を作っている最中から、2作目を考えて、2作目用に撮っておいたのか。普通に考えると、前者だと思うのですが、どうも後者のように今回感じました。
これも常識ですかね

2026/06/13

2026/06/14

100点

映画館/東京都/TOHOシネマズシャンテ 
字幕


映画史上の最高傑作に挙げられるべき、巨匠コッポラの大傑作

ネタバレ

本作はスクリーンでも何度も観ているが、4年前同様、今回も午前10時の映画祭で鑑賞。

3時間20分の長尺だが、本作は何度観てもずっと観ていられる。

本作を初めて鑑賞したのは17歳の頃。

地元の小劇場で1月1日に鑑賞した。

が、中3の頃にレンタルビデオで観た第一作に比べてあまりに複雑な内容で、観ていてしんどかったことを覚えている。

ロバート・デ・ニーロ演ずる若きビトーのパートは最高だったのだが、とにかく現代のマイケル編の人間関係がつかめなくて、ストーリーもとても分かり辛かった。

その後、「ゴッドファーザーPARTⅢ」が公開された1990年、日比谷スカラ座で第一作とセットで公開された時も観に行ったが、やはり同じ印象だった。

が、2001年に三部作をセットにしたDVDコレクションが発売され、それを購入して3本続けて観た時に、この第二作の出来栄えに圧倒された。

この第二作には人の一生、あるいは人間が生きている社会、そういったものが全て詰め込まれて描かれているように感じられた。

本作では人間の様々な姿が描かれている。

生と死、親子、夫婦、兄弟、仕事、老い、プライド、政治、権力、更には金銭欲や名誉欲といった猥雑な欲望も含めて、第一作以上に人間そのものが描かれているように感じられて、心の底から圧倒され、そして感動した。

通常、続編とは第一作の後日談を描くものだが、本作は第一作の主人公であるビトーの若き日と息子マイケルのその後を描き、これまでの映画史においても類を見ない圧巻の叙事詩に仕上がっている。

第一作を軸にして、この第二作では人間の人生とはどうあるべきなのか、人間の社会とはどうあるべきなのか、人間はどう生きていくべきなのか、といった問いが壮大なスケールで投げかけられている。

本作のラスト、若き日のマイケルが「自分の人生は自分で決める」と言い切って、軍隊に入隊したと語る回想シーン。

この時、兄のフレドーは「偉いよ、おめでとう」とマイケルの手を握る。

その兄をマイケルは、組織の論理に基づいて粛清したのである。

若きビトーは、家族を守るために組織を作り、やがてはそれをファミリーと呼ぶほどの強大な組織へと拡大させていった訳だが、それはあくまでも家族や同胞を守るためであった。

だが現代編のマイケルは、逆に組織を守るために妻を追い出し、兄の命まで奪ってしまう。

ビトーの姿と対比して描かれるこのマイケルの姿がもう哀しくてたまらない。

もともとは父の仕事を嫌い、理想に燃える青年だったのに。

一体何でこうなってしまったのか。

1人、庭でマイケルが孤独にたたずんでいるラストカット。

もはやマイケルのことを慕い、愛情を込めて接する者は誰もいない。

だが妻のケイを自ら追い出したはずのマイケルの左手の薬指には、まだ指輪がはめられている。

このマイケルの感情をどう受け止めたらいいのだろう。

時代が違うと言っては簡単だが、父ビトーの若き日々と、今を生きるマイケルを対比させることで、この映画は人間の人生というものを哀切を込めて描いている。

本作については、テーマしても脚本にしても、出演陣の演技にしても、音楽についても映像についても、更にはアカデミー賞という観点でも、語りたいことが多々ある。

特にマイケルを窮地に陥れるハイマン・ロスの陰謀の闇の深さ、そしてその陰謀の行き着く先の公聴委員会でのフランキーの役回りが、実はクレメンザを想定していたということを知ると、この映画のあらゆる点での奥深さに恐れ慄くばかりである。

本当にこの映画については、語り尽くせない。

この「ゴッドファーザーPARTⅡ」という作品は映画史上の大傑作である第一作に、勝るとも劣らない出来である。

むしろ完成度という点ではその出来栄えを上回ると言っていいほどである。

巨匠フランシス・コッポラが描いた本作は、あらゆる点において映画史上の最高傑作の一本に挙げられるべき、本当に見事な見事な大傑作であると思う。

2026/06/13

2026/06/13

-点

映画館/東京都/TOHOシネマズ南大沢 
字幕


そして誰もいなくなった

「父さんは強かった。家族のために常に強い男でいた。でもその強さのせいで、逆に家族を失った...?」

午前十時の映画祭16
最強の一作。かねてより「ゴッドファーザー」が好きだと公言しているが、厳密に言えばPARTⅡが最も好きである。つまり本作は自分が最も愛する一作ということになる。映画館ってどうしてあるかご存知ですか?こういう映画を観るためにあるのです。
原作において映像化していなかった"ゴッドファーザー"ヴィトー・コルレオーネの生い立ちと、続編映画化にあたって新たに書き起こされたマイケル・コルレオーネの苦悩が交錯する本作は、以前から「難解」と受け取られることが多い。ご指摘の通り、親切ではない。例えば本作のヴィトーパートに登場するジェンコ、原作ではクレメンザやテッシオと共にファミリーに尽くしてきた重要人物なのだが、映画では一切説明がない。実を言うと「ゴッドファーザー」冒頭でジェンコは余命僅かであり、彼をヴィトーが見舞うシーンがあるのだが残念ながら映画ではカットされてしまった。そのせいで繋がりが意識しづらい部分はある。これは「マイケル・コルレオーネの最期」よりも先に「完全版」として手当てするべきだったと個人的には思う。
加えて、小説ベースで映像化したパートと元から映画として映像化したパートが混ざるのでそのスピード感の違いに戸惑う方も多いようだ。世間でよく言われる「難解」の本質は「スピードの差に合わせるのが大変」という意味なのだろう。
でも、なんとか頭を捻ってもそれくらいしかケチのつけようがないくらいに素晴らしいし、満点ではないところに人間くささが辛うじて残されている。そこに私は惚れるのである。そしてこのスピード感、特にマイケルに合わせるのが大変というそこのあなた、安心してください、あなたはまともな人間です。
回想の中で着実に人望を集めていくヴィトーと、現実の中で次第に人が離れていくマイケル...二人の差は何なのか?もちろん二人とも頭が切れる点は同じ。思うに、ヴィトーはやや日本人でいうところの「和をもって尊しとなす」ようなところがある。言い換えれば、これはイタリアの思考といえる。対してマイケルは常に理論と規律が優先される残酷なまでに合理的な人間で、アメリカの思考なのである。つまりこれは「イタリア生まれとアメリカ生まれの違い」と言い換えることもできる。となればイタリア系を主とするコミュニティでマイケルの考えが機能しないのは当然で、さらに言えば彼は恐ろしく頭が良かった。だから非イタリア系で、本来であればマイケルの側に立つはずのトムやケイでさえ彼についていけなくなった。
この点、ヴィトーは実に上手いし、それ以上に環境が彼に味方した。最重要期におあて、ヴィトーはイタリア系のコミュニティだけ見ていればよかった。そして犠牲を最小限に留める準備を怠らない。やむを得ず犠牲が出る場合は自分が一番泥を被るように仕向けている。トータルで見れば、マイケルはヴィトー以上に優秀だが時局や環境が悉く彼に背を向けるところに自分は同情を禁じ得ない。
父が遺した家族を守ろうと己の全てを捧げた男、その結末は残酷にも、彼の周囲から家族を遠ざけてしまった。前作の奈落に突き落とすようなラストカットとは対照的に、物悲しさを余韻として延々残す本作のラストカット。自分には後者の方が効いた。
マリア様、汝は主と共に、祝福されし女性。御子イエスに、栄光を。マリア様、我ら罪人に祈りを。

2025/12/29

2025/12/30

85点

購入/4K UHD Blu-ray 
字幕


栄華と孤独 ― 二つの時間が交差するマフィア叙事詩

『ゴッドファーザー PART II』は、前作の成功を受けた単なる続編ではなく、
「帝国はいかにして生まれ、いかにして壊れるのか」を、時間軸を二つに割って描いた稀有な映画である。
冒頭のパーティーから、すでに空気は違う。
PART I が、イタリア移民たちの身内だけで祝われる温度のある結婚披露宴だったのに対し、
本作の湖畔のパーティーには、政治家や実業家といった“仕事上の関係者”が並ぶ。
そこにあるのは祝福というより、形式と利害。二代目マイケル・コルレオーネのファミリーには、すでに虚無が漂っている。
長尺の物語の始まりの段階で、観客ははっきりと「崩壊の序章」を感じ取ることになる。

家族を守るために始まったはずの組織は、
やがて家族そのものを蝕み、疑念と恐怖だけが残っていく。

一方で並行して描かれるのが、若き日のビトー・コルレオーネの物語だ。
1917年、移民としてアメリカに渡り、仲間と助け合いながら生き抜くビトーの姿は、マフィア映画でありながら、むしろ「家族と共同体の物語」として胸を打つ。ロバート・デ・ニーロが演じるビトーには、
後年のドン・コルレオーネが持っていた“温度”と“人間的な重さ”が確かに宿っている。

1917年のビトーのイタリー街での台頭、
1941年と思われる兄弟たちが集うビトーの誕生祝い――この頃がファミリーの最盛期。
1945年、コニーの結婚式
1955年、マイケルが家長となり、
1959年のキューバ革命によって時代の読みを誤った瞬間、帝国は音を立てて崩れ始める。
栄華は、わずか半世紀にも満たない。

ビトーが築いた「人の繋がりの帝国」は、
マイケルの時代に「恐怖と支配の帝国」へと変質し、
その代償として、彼自身はすべてを失っていく。
一つの帝国が生まれ、そして崩れるプロセスを、“陽”としてのビトー、“陰”としてのマイケルで対比させた本作は、映画史における続編の理想形であり、同時に、ゴッドファーザー・サーガの最も深い場所に到達した傑作だと言える。

2025/10/16

2025/10/16

80点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/テレビ 
字幕


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とにかく長っ。途中で休憩あるの初めて。でも、一気に見ちゃった。重厚。音楽とイタリア語、そして、独特の「間」。雰囲気ある〜。でも、さびしい&哀しい。この余韻が堪らなく。名作ゆえ、なんでしょうね〜。