裏社会の組織のありさまを描きながら、実は時代の変化を描いている
ネタバレ
1958年、裏社会の組織の首領が、敵対する組織や政府から妨害を受けながらも組織の維持と拡大を目指す。
父親から組織-ファミリーを引き継いだが、組織内も家庭内ももめ事だらけだ。かつてのシマを任せたニューヨークのボスは不満を直言してくる、妻からは組織が合法化しないことを責められ離婚までも迫られる、さらに頼りにならない兄に不信感が募る。
初見は前作「ゴッドファーザー」を見た1973年から2年後の1975年。前作をギャング映画と勘違いし、肝心なところも細かいところもほとんど理解していないままに本作品を見た。当時の感想は、主演の2人がすばらしかった(存在感がすごかった)というもので、やはり肝心なとこが抜けていた。その“良さ”が分かったのは何十年もたった午前十時の映画祭で再見した2012年(ブランクあり過ぎ!)だった。今回はそれ以来の再見。
ストーリーは、現在の首領マイケルと1901年に移民として合衆国に来た父が大物になっていく様を交互に描き、二人の姿や生きた時代を浮き彫りにする。家族や仲間・組織のありようが新旧対比されている。
今(といっても1958年)の首領マイケルは、父を手本とし家父長制的な組織や家族のあり方を求めるいっぽうで、仕事は情ではなくビジネスで動くと割り切ろうとする。その乖離が家庭の悲劇的な崩壊を招く。妻の流産は堕胎だったという裏切り、組織の情報を対抗組織に伝えていた兄の抹殺。
それは、絆や情のつながりを大切にした時代とビジネスが優先される時代の対比と言えよう。本作品は裏社会の組織のありさまを描きながら、実は時代の変化を描いている。この作品が描いているのは(もちろん個々のエピソードは血なまぐさいが)裏社会だけのことではないと思えてくる。今なおいっそう進んだビジネスが優先される社会はどこへ向かうのか。そんな思いも湧いてきた。
ラスト、湖畔の邸宅からぼんやりと外を眺める彼の目に映ったのは悲しみか、絶望か、それとも未来への期待だろうか。