これだけ前半と後半の印象が変わる映画も珍しいと思うが、何度観ても全てが必然だったと思われるほどにシナリオが良く練られている。
とにかく冒頭からロベルト・ベニーニ演じるグイドは喋りっぱなしだ。
彼は小学校の教諭であるドーラに恋をするが、調子のいい言葉であっという間に彼女の心を開かせてしまう。
前半はドタバタ喜劇であり、小粋なラブロマンスでもある。が、前半から戦争の影が少しずつ忍び寄っていたことが分かる。
グイドはドーラの気を引くために、ローマの監督官に成りすまして小学校に乗り込む。
そこで彼はアーリア人の優秀さについて子供たちに講義をするように依頼されるのだが、彼は自分の臍を見せてこれこそ偉大なアーリア人の証明だと笑いを取る。
喜劇的なシーンだが、これこそホロコーストに繋がるナチスの優生思想の表れである。
そしてグイドはユダヤ人だ。
やがてグイドはドーラと結婚し、二人の間にジョズエという男の子が生まれる。
グイドは念願だった本屋を開業するが、ユダヤ人に対する差別はますます激しくなっていった。
そしてついにグイドとジョズエは強制収容所へと連行されてしまう。ドーラはユダヤ人ではないが志願して、収容所行きの列車に乗り込む。
前半はお喋りで調子のいいホラ吹き者のグイドに面食らう場面も多かったが、後半は彼のその性格が大きな救いとなる。
とにかく彼は不穏な空気を察知させないようにジョズエに嘘をつき続ける。
ジョズエが「どうしてあの店はユダヤ人と犬はお断りなの?」と尋ねれば、「あっちのお店はスペイン人と馬がお断りだ」と返す。
そしてグイドはジョズエにこれから強制収容所で始まることはゲームなのだと話す。
グイドは息子を守るためだけに全てを捧げる。いくら息子のためとはいえ、ゲームであると嘘をつくのは不謹慎かと思ったが、彼が嘘をつかなければジョズエはあっという間にガス室送りにされていただろう。
印象的だったのがグイドと共に収容所に送られた叔父が転びそうになったドイツ人の女性看守に手を差し伸べる場面だ。
看守は動揺を見せず毅然とした態度で去っていくが、自分達を虐げる相手にも気遣いを見せる優しい彼が、おそらくこの後に殺されるのだろうと思うと胸が痛くなった。
前半が底抜けに明るい喜劇だったからこそ、日常をあっという間に奪ってしまう戦争の残酷さを思い知らされる。
しかしグイドは収容所の生活ですら喜劇に変えてしまう。
彼にはひとつの希望があった。それは彼が給仕をしている時に出会った謎々好きな博士の存在だ。彼とグイドはよくお互いに謎々を出し合う仲だった。
そして彼は軍医という立場でグイドの前に現れる。グイドは妻も収容所に入れられていることを彼に告げる。
しかし力になってくれると期待していた彼の口から出たのは、新しい謎々の答えを教えて欲しいという懇願の言葉だった。
これこそとても喜劇的な展開なのだが、望みを断たれたグイドにとっては大いなる悲劇だ。
眠り疲れたジョズエを抱いて、霧の煙る中を彷徨うグイドの目に映る収容者の死体の山が、決して逃げられない現実を突きつける。
そしてついに終戦が近づき、痕跡を消すためにドイツ兵は収容者を葬ろうとする。
グイドはジョズエとドーラを救うために賭けに出る。
結果的に大人しくしていればグイドは助かったかもしれない。
しかし彼が嘘をつき通したおかげで、ジョズエにとって嘘は嘘でなくなったのだ。
これがゲームだと信じ込んでいるジョズエが、最後にドーラと再会する場面は何度観ても目頭が熱くなる。
これはいつまでも語り継がれる名作の一本だろう。