公開当時映画館で観た時の衝撃が忘れられない。トラウマになりそうであった。言うまでもなく、序盤20分の、ノルマンディー上陸作戦の描写だ。本作でスピルバーグは、戦争映画の歴史を塗り替えた。戦争スプラッタとも呼ばれたが、観客を戦場に招き入れてしまった。その臨場感たるや、実際にその場にいるような迫力。広い海岸なのに、どこにも行けないような閉塞感。まるで地上に作られた地獄だ。止むことのない銃弾。この音響効果も凄い。海の外と中での、音の違い。海中にまで弾は突き刺さる。逃げ場などない。浜に辿り着いても、衝撃で周囲の音が聞こえなくなる演出。手持ちカメラによる画面のブレ。このブレをやり過ぎて、観客を気持ち悪くさせてしまう作品も、この後たくさんできてしまったが、そこはスピルバーグ、節度はわきまえている。数秒前まで会話していた仲間が、カメラがパンすると、既に息絶えている。その姿もショッキングだ。残酷な映像も敢えて見せて、きれいごとではない、戦争の実態を突き付けてくる。もうこのシークエンスだけで、観客はグッタリだ。冒頭にクライマックスがあるようなものだ。
しかし、映画の本筋はここから。この地獄を生き抜いたミラー大尉(トム・ハンクス)に下された命令は、ライアン二等兵(マット・デイモン)を連れ帰ること。この作戦には大きな矛盾があった。一人の若者のために、多くの命が犠牲になるかも知れないのだ。この指令に疑問を抱く者もいる。そもそも人間同士が殺し合うこと自体が不条理。誰も好んで人を殺したくはないし、殺されたくもない。殺人を正当化してしまう、これが戦争なのだ。
ミラーの部隊は、戦闘を繰り返しながらライアンを探す。素性の知れなかったミラーがそれを語るとき、この任務にかけた真意が伝えられ、胸を打つ。それはこの矛盾した作戦に対する正当化だったのかも知れない。そうでも思わなければ、やっていられないではないか。ライアンを探さなくても、やはり殺し合いは避けられない。同じことではないか。それが戦争だ。
ライアン捜しのメンバーの個性的なキャラにも注目したい。ミラーの右腕のマイク(トム・サイズモア)、指令に批判的なライベン(エドワード・バーンズ)、狙撃手ジャクソン(バリー・ペッパーペッパー)、ドイツ語とフランス語を話せるというだけで連れてこられたアパム(ジェレミー・デイビス)。彼らの運命と、それぞれの葛藤のドラマも、見応え十分。それと、カパーゾ役にヴィン・ディーゼルが出ていたとは驚き。
冒頭、墓の前の老人は、何を思って感極まっているのか。墓に刻まれた名前と、その人から伝えられた言葉…。この年、映画史に残るスピルバーグの傑作が、またひとつ増えたのであった。
1998年キネマ旬報ベストテン第2位、同読者選出第3位。米アカデミー賞監督、撮影、音響、編集、音響効果編集賞受賞。