時代を先取りした企画、独自で秀逸な世界観等々、脚本のアンドリュー・ニコルの才気を感じる作品。
そのまま監督に収るかと思いきや、当時人気を誇る高額ギャラのジム・キャリーの起用で、「ガタカ」
1本の実績しかなかったニコルが退けられ、ベテランのピーター・ウィアーが指名された(Wiki)。
しかしウィアーはブレイク以前のオーストリア時代に「キラー・カーズ/パリを食べた車」という怪作を
ものにしている。このシナリオはウェルカムだっただろう。
異様に元気のいいトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)の朝はさわやかだ。人なつっこい挨拶は、
天性のものか、保険外交員特有のものか、コミニュティの人たちにとってもトゥルーマンの明るさは
溶け込んでいる。このコミュニティは小さい。離島シーヘブンだけの世界。しかも彼は島から出たことが
その原因は父とボートで海に乗り出し、嵐に遭遇して、父を失ってしまったからだ。
ない。その反動か南の楽園フィジーに憧れる。いつかはフィジーを訪れて世界の広さと美しさを実感
したいのだ。しかし彼は海や水に弱い。陸地へ続く道路でさえ、回りが海であるので、心理的プレッシャー
が高まりクルマで通過することも出来ない。
妻との生活は不満がないのだが、死んだはずの父親と町で再会してしまった。父は死んでいなかった。
しかしあっという間に見知らぬ男たちに連れ去られ、親子の対面は瞬時で終わってしまった。
小さく見える島だが、巨大なドームに覆われたスタジオセットであり、トゥルーマン意外は全員俳優、
彼の生活を24時間・世界中に放送するリアリティ番組だった。太陽も星も照明道具、雨も風も人工的な
装置から送られる。コマーシャルは入らず、俳優陣がその都度、商品を宣伝しながら視聴者にアピール
する。なんとも奇想天外な設定。
仕切るのはクリストフ(エド・ハリス)。聖人の名を語るこの業界のカリスマだった。生まれた時から
トゥルーマンを見守るクリストフは支配欲のかたまりだった。彼のシナリオから脱却することは許されない。
島の世界に疑念を持っていたトゥルーマンは、ついにボートに乗り込み、フィジーを目指して海に乗り出す。
海・水恐怖症を乗り越えた冒険に、世界中の視聴者は熱狂する…。
現代において監視カメラ網は極限に達し、スマホ・インターネットの電脳世界は人々を小さな島に閉じ
込める。個人のプライバシーは危機に瀕し、デジタル化されたクリストフに屈する日が近い。
予言的な栄誉に輝く快作。