SHOAH ショア

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SHOAH ショア

レビューの数

9

平均評点

81.1(30人)

観たひと

47

観たいひと

21

(C) Les Films Aleph

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドキュメンタリー / 社会派 / 戦争
製作国 フランス
製作年 1985
公開年月日 1997/7/25
上映時間 567分
製作会社 レ・フィルム・アレフ=イストリア・フィルム=文化省作品
配給 エース ピクチャーズ=シグロ配給(シグロ=日本ヘラルド映画=エース ピクチャーズ提供)
レイティング 一般映画
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)のうち、主にポーランドにおける残虐行為についての証言を集めた長編ドキュメンタリー。2部構成9時間30分の上映時間。また、歴史ドキュメンタリーの通例に反し、記録映像や説明のナレーションを全く用いていない。クレジットされていないが、戦後をヨーロッパを代表する哲学者ジャン=ポール・サルトルが製作に深く携わり、とくに資金面での貢献は大きかったという。監督・製作はそのサルトルの忠実な弟子で、その雑誌『現代』の編集長でもあるクロード・ランズマン。撮影はドミニク・シャピュイ、ジミー・グラスベルグ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の名手ウィリアム・リュプチャンスキー。証言をするのはホロコーストの生存者、その目撃者・傍観者であるポーランド市民からゲシュタポやSSの関係者まで多数。また歴史学者やインタヴュアーであるランズマンが随所にコメントを挿入する。アウシュヴィッツ解放70周年に合わせて、2015年2月14日シアター・イメージフォーラムにて再公開。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1997年9月上旬号

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1997年8月上旬号

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1995年8月下旬上半期決算号

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2015/02/22

2025/06/21

90点

映画館/大阪府/シネヌーヴォ 
字幕


音楽もアーカイブ映像も再現映像もなく、当時の関係者へのインタビューだけで構成。観る側に必要なのは、語られることを具現化する想像力のみ。収容所から生還したユダヤ人、収容所の元ナチス親衛隊員、収容所の近くに住む農夫等、その立場や馳せる当時への思いは様々。中でも印象的だったのは、時に涙は見せるものの感情を露にすることなく、淡々と話すユダヤ人の姿。自分たちが受けた仕打ちに憤ってもおかしくないのに、彼らから怒りは感じられない。ただ、深い悲しみだけがひしひしと伝わってくる。そんな彼らとは真逆に、収容所の近くに住む農夫たちの暢気なこと!結局のところ、ユダヤ人でなければ迫害されることも殺戮の対象になることもない、何が起こっても対岸の火事だという安心感が彼らにはある。そして、元親衛隊員を始めとするナチスに加担した人々に至っては、保身と正当化に努めるのみ。でも恐らく、そうしないと彼らも生きていけない。改宗、追放、絶滅と、歴史的に見てもユダヤ人に対する迫害はあまりに酷く、非人道的との言葉だけでは片付けられない。ガストラックの改善要望案なんて、人を人と思わないどころか、ただの積載物として扱われている。また、ユダヤ人がガス室に送られたことは誰もが知っていることだけれど、ガス室の扉を開けた瞬間の惨状に、改めて驚愕するばかり。さらに、ユダヤ人を絶滅するにあたり、その予算が国家単位で計上されることはなく、全てユダヤ人から没収した財産から担われていたということに驚きを隠せない。彼らは、自らの財産で収容所に赴き、自らの財産で死を迎えたことになる。570分という長さだけれど、ひとりでも多くの人に観てもらいたい、と願わずにはいられない映画。ちなみに、正式には2部作の作りで、日本公開時にはさらに分割して4部作で上映。2作ずつのセット鑑賞がお勧め。

2024/06/22

2024/06/13

80点

レンタル/東京都 
字幕


ホロコーストの残滓は製作当時を超えて現代にも続いている

映画は、ナチスによるユダヤ人ホロコーストを、そのサバイバー(生還者)を中心にかれらの証言と製作当時(1980年前後)の収容所跡などの風景をクロスカットで綴ったもの。
時系列というわけではないけれど、ホロコーストの残虐行為が徐々に明るみに出てくるような形式となっています。

ドキュメンタリー映画の常套手段ともいえる過去のアーカイブ映像も使わず、ナレーションによる説明も入れず、という構成は、すくなくともホロコーストが、どの地域でどの程度あったのか、ぐらいの基礎知識は必要とします。
(本作では、主にポーランド国内でのホロコーストの様子が語られる)

サバイバーたちの多くは、ゾンダーコマンド(強制収容所内の囚人によって組織された特殊労務部隊。当然のことながら、囚人たちが自ら進んで組織したわけではない)要員で、同胞たちの衣服・物品(収容の際に没収される)の整理、シャワー室と称するガス室へ入室する前の散髪、ガス室での処置後の死体の運搬・その他処理など、多種多様に渡っている。
(ゾンダーコマンドの様子はハンガリー映画『サウルの息子』に詳しく描かれている)

同胞たちの死を目の当たりにして、それでも生き延びてきたサバイバーたちの証言は重い。

そして彼らサバイバーたちの証言以外にも、当時もいまもポーランドに暮らす非ユダヤ人たちの証言も描かれ、ユダヤ人に対する憎悪や差別はいまなお連綿と生き続けているさまも描かれます。

また、ナチス側の人々が、当時どのように行動したのかも描かれます(彼らの部分は、証言者の意に反した隠し撮り)。
そこでは、システマティックに、命令に沿って粛々と実行したことが描かれます。
特にシステマティックだったのは、囚人移送の列車運行者の話で、当時、鉄道を経営していたのは一つの会社だけで、囚人に対しても運賃がナチスから支払われ、その運賃に対しての運搬作業だったという。
また、移送用列車の特別編成・運用などは、何を運んで、その何がどうなるのかについては関心の埒外だったことです。

証言と風景のクロスカットだけで構成することで、被害者はもとより、加害者側や傍観者側の心のありようが、時間の風化を受けずに続いている、受け継がれているということを感じました。
加害者側や傍観者側の心のありようは、『関心領域』で描かれたものと同じということでした。

証言者の中で印象的だったのは、
映画冒頭に登場するポーランド民謡を歌わされていたサバイバー、
床屋としてガス室へ入る前の女性たちの髪を切っていたサバイバー、
トレブリンカ強制収容所への貨車を運転していた鉄道員、
豪華な貨車で移送されるユダヤ人たちに「(首を絞める動作をしながら)お前らは、こうなるんだよ」と親切に教えてやっていたんだと語るポーランド人農夫たち、
です。

映像遺産として残すべき重要な作品でしょう。

2015/02/22

2020/03/17

90点

映画館/大阪府/シネヌーヴォ 
字幕


音楽もアーカイブ映像も再現映像もなく、当時の関係者へのインタビューだけで構成。観る側に必要なのは、語られることを具現化する想像力のみ。収容所から生還したユダヤ人、収容所の元ナチス親衛隊員、収容所の近くに住む農夫等、その立場や馳せる当時への思いは様々。中でも印象的だったのは、時に涙は見せるものの感情を露にすることなく、淡々と話すユダヤ人の姿。自分たちが受けた仕打ちに憤ってもおかしくないのに、彼らから怒りは感じられない。ただ、深い悲しみだけがひしひしと伝わってくる。そんな彼らとは真逆に、収容所の近くに住む農夫たちの暢気なこと!結局のところ、ユダヤ人でなければ迫害されることも殺戮の対象になることもない、何が起こっても対岸の火事だという安心感が彼らにはある。そして、元親衛隊員を始めとするナチスに加担した人々に至っては、保身と正当化に努めるのみ。でも恐らく、そうしないと彼らも生きていけない。改宗、追放、絶滅と、歴史的に見てもユダヤ人に対する迫害はあまりに酷く、非人道的との言葉だけでは片付けられない。ガストラックの改善要望案なんて、人を人と思わないどころか、ただの積載物として扱われている。また、ユダヤ人がガス室に送られたことは誰もが知っていることだけれど、ガス室の扉を開けた瞬間の惨状に、改めて驚愕するばかり。さらに、ユダヤ人を絶滅するにあたり、その予算が国家単位で計上されることはなく、全てユダヤ人から没収した財産から担われていたということに驚きを隠せない。彼らは、自らの財産で収容所に赴き、自らの財産で死を迎えたことになる。570分という長さだけれど、ひとりでも多くの人に観てもらいたい、と願わずにはいられない映画。ちなみに、正式には2部作の作りで、日本公開時にはさらに分割して4部作で上映。2作ずつのセット鑑賞がお勧め。

2017/08/27

2017/08/16

-点

購入/DVD 


私の調査が足らない

再解釈が必要。一旦点数は保留する。

2000年代

2016/08/29

90点

その他/試写会 
字幕


未曾有の事象の再現不可能性

ネタバレ

この9時間半にわたるドキュメンタリーを観たのは2003年前後の学生時代。大学の図書館の映像ライブラリでLD版をみつけて、講義の裏側の時間で一人で鑑賞した。

その際、LDに付いているブックレットに、本作の監督のクロード・ランズマンによるコメントが寄せられている。十数年前の記憶をたぐるので内容は曖昧ではあるが、コメントは、このフィルムが作られた3年前に公開され話題となった同じホロコーストを描く「シンドラーのリスト」を撮ったスティーブン・スピルバーグに対する「抗議文」ともとれる、以下の様な内容である。

「シンドラーのリストは歴史の歪曲の危険性を孕む。600万人の死という未曾有の事象が、1500人を救った一人のドイツ人の話として描かれる。記録の無い再現不可能な事象を、遠慮無く再構成し、脚色・演出している。そしてラストの墓石と十字架の天然色はハッピーエンドを示唆している。
ショアーでは記録映像は使わない。ショアーでは個人史は語らない。離されるのは、自分の民族の絶滅の証言のみである。ショアーでは誰もが「生き証人」として事実を話す。ショアーは600万人の「死」についての映画であって、生き残ることの映画ではない。(中略)未曾有の事象はまだ終わっていない。ホロコーストはいつまでも走り続ける電車のように、続いている」

といった内容だったと記憶する。
当時、シンドラーのリストは絶賛され評価も高く、学生だった私もLDを購入するほど感動した映画であったが、このドキュメンタリー映画とランズマンのこのコメントは、私に少なからず衝撃を与え、ホロコーストを始めとする歴史の見方と、ドキュメンタリーというジャンルについての考え方が大きく変わるきっかけとなった。

2016/08/17

2016/08/17

-点

選択しない 


語り継がれるべき9時間半

この作品を見る前から、矛盾してるだとかドキュメンタリーなのに演出されているなどの評価を目にした。
しかし、ドキュメンタリーかも分からないがこれは映画なのだ。
映画という媒体を使い「何故起こり、何が起こったのか」を映し出したものだ。
インタビュー中以外のシーンには確かに演出が施されてるのは分かったが、それはこの作品のテーマを語る上での意図でしかない。
ドキュメンタリーに詳しくはないが、それでないと誰が9時間半もこの苦しく辛いものに目を向けられるのか。
9時間半の中で語られた事は、自分は真実だと信じて胸に刻む。