青ひげやメスマーが語られる。特定の者から語られるだけでなく、この世界の無意識や19世紀の下層に沈む何事かの一角として多様な話者によって語られる。本来、多弁な語り手であるべき「間宮」と名付けられた男(萩原聖人)は、しかし、多くは語らず、質問をしてくる者たちにに逆に、「どこ」「だれ」「なぜ」と問い返し、話を聞きたがる存在である。彼の空白こそが依代となって、意味と無意味、動機と説明の言葉を呼び込み、それとともに不安や変を起こさせ、予想もしないことが起こるかもしれない予感で人物や画面を震えさせる。
テーブルが微妙に揺れる。時にキャメラも揺れる。催眠術あるいは霊術を施す者がカメラと被験者の間にも入り込んでいる。そこに女(中川安奈)がいるかと思えば、その前を横切り、精神科医(河東燈士)が現れてもいる。逆に、浴槽の血の垂れた跡を、視線の動きと同期したキャメラが舐めるように追う。注視あるいは極端なクロースアップは、点滅する光や火に留まる。ライターの火、灯の灯ったタバコの先端、割れ防止の金属メッシュに護られた蛍光灯など、あるいは檻に囲われた猿や鳥なども生物の火と言えるのだろうか。そうした光や点滅を打ち消すように、あるいは全面的に肯定するかのようにバツ印が肉体に刻まれる。
スチールドアの向こうに潜む男の桑野(螢雪次朗)は証言する。潮見町病院の診察室で女医をしている宮島(洞口依子)は証言する。また、落とされるべく檸檬を積んだ部屋に住む小学校教師の花岡(戸田昌宏)も自らの体験を語り、潮見町交番で同僚を撃ち殺した大井田(でんでん)も起こった事を語りたいが、記憶がないのか、言葉を失ったのか、語りきれずにいる。
クリーニング店では、客が悪態をつぶやき、それが高部(役所広司)には聞こえている。佐久間(うじきつよし)はこうした人物たちの不可解を解釈しようとするも、解釈の不可能性も心得ており、結局、自殺し果てる。
水が落ちる。水が溢れ出す。「女のくせに」というワードが女医宮島に刺さる。その言葉を間宮は探り当て、まさぐっているようでもある。彼女は男の裸には無反応でありながら、その意識下では反応しているかにみえる。ぼんやりの文江も沖縄に反応しているように見える。生前の佐久間はラグビーボールを握っている。大井田は佐久間や高部に無理矢理ペンライトの点滅を見せられ、反応させられようとしている。交番の脇の掲示板は4人の死亡があったことを告げている。本部長の藤原(大杉漣)が喜劇的に迫るも、そこに間宮の食指がのびることはない。
パイプで殴る音が聞こえ、洗濯機からも警告音が聞こえ、そこはどこかと問われている千葉の白里海岸では波の音が聞こえている。檸檬が落ちる音はそれが爆弾であるかのように大きい。踏切が鳴り、点滅と警告音がシンクロする。夜景に航空障害灯が灯っているが音はない。シャッターの開閉音すらけたたましく、丸い大きな熱いものとして溶鉱炉が見え、それらを暗がりで覆うかのように雨が降り出す。
不可解で不快な世界の手触りは、肉を掴んだあの手の感触のところに、確かにあると感じられる。