新文芸坐シネマテーク、ジョゼフ・ロージー特集の4本目にして最終回「拳銃を売る男」は、ロージーが赤狩りで非米活動調査委員会に召喚されたことを知り、その日のうちに米国から逃げ出してイタリアに渡ったのち、最初に撮った映画ですが、解説で大寺眞輔氏が仰っていた通り、ネオレアリズモの匂いが鮮明にする映画です。
「拳銃を売る男」は、イタリアに船で密航した男ポール・ムニが、帰国する船の代金を作ろうとして、持っていた拳銃を売ろうとするものの、買い手が見つからずに空腹を抱えていたところ、ついパンを盗み食いした食料品店の女性が警察を呼ぼうとし、これを押さえようとするうちに彼女を死なせてしまうという展開です。
ポール・ムニのほかに、牛乳を買う為に母親から預かった金をビー玉遊びに使ってしまい、代金後払いのつもりで食料品店の牛乳を盗んだ少年ジャコモ(店の女性が直後に死んだことを知らない彼は、警察が騒いでいるのは自分の牛乳泥棒のせいだと勘違い)が登場し、二人は一緒に逃げることになります。
少年ジャコモは警察が追っているのは牛乳泥棒の自分だと思い込んでいるので、ポール・ムニのことを逃亡を手助けしてくれるおじさんだと思い、親子のふりをしてサーカス興行に潜り込めば警察を巻けると、サーカス小屋に入ってゆきますが、このサーカス小屋での場面におけるドキュメンタリー的なロケ撮影がネオレアリズモの匂いを発散しています。
「拳銃を売る男」は、冒頭近く、少年ジャコモが友人たちとビー玉遊びに夢中になってしまう場面など、少年たちの自然な動きをドキュメンタリー的に捉える画面がそもそもネオレアリズモでしたが、サーカス小屋での素人エキストラに囲まれたポール・ムニと少年の場面も、ドキュメンタリー的な生々しさです。
この映画でジャコモを演じた少年は、養父に育てられた元孤児だそうで、瞳をキラキラ輝かせながらポール・ムニの話を聴くアップなど、「自転車泥棒」の少年を思い出しましたし、二人が逃亡する過程に出てくる迷路のような廃墟は、その外景から「ドイツ零年」を思い出させました。
上映後の大寺眞輔氏の解説で面白かったのは、ロージーがイタリアという土地を気に入ったのに、息子に会うため一度フランスに行ったのち再びイタリアに入国しようとした際、赤狩りの影響(この映画に資金提供したのが伊ファシストだったという皮肉)で、イタリアに入れず仕舞いになったという話です。
大寺眞輔氏の解説によれば、ジョゼフ・ロージーはイタリアを気に入って、「にがい米」のジュゼッペ・デ・サンティスとは共同監督する企画が実在したそうですから、もしロージーのイタリアへの再入国を認められていたら、という“たられば”が許されるなら、どんな映画史になったろうかという妄想は膨らみます。
ジョゼフ・ロージーが赤狩りの対象になって米国を脱出する話は、アーウィン・ウィンクラー「真実の瞬間」で事実を曲げられた形で再現されていました。細部を忘れたので小屋で観直したいものです。