拳銃を売る男

けんじゅうをうるおとこ|Stranger on the Prowl|----

拳銃を売る男

レビューの数

7

平均評点

76.6(12人)

観たひと

15

観たいひと

2

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1953
公開年月日 1954/4
上映時間 0分
製作会社 U・A映画
配給 松竹洋画部
レイティング
カラー
アスペクト比
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

昨53年、イタリアへ現地ロケして撮影された作品で、製作者ノエル・カレフの書き下ろしストーリイをアンドレア・フォルサノが脚色し監督した。撮影は「愛人ジュリエット」のアンリ・アルカン、音楽はG・C・ゾンツァニオ「空行かば」の担当。出演者はポール・ムニ「暗黒街の顔役(1932)」、ジョーン・ローリング「善人サム」の2人がアメリカ俳優で、他はすべてイタリア俳優がキャストされている。即ち子役のヴィトリオ・マヌンタ、ルイザ・ロッシ「シーラ山の狼」、アルド・シルヴァニ「平和に生きる」、アーノルド・フォア、アルフレッド・ヴァレッリ、エレナ・マンソンら。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

イタリアのある港町。喰いつめた1人の男(ポール・ムニ)が密航しようとしたが、2万5000リラ必要だった。男は古道具屋のペロニ親父に、持っていた拳銃を売ろうとしたが彼は買ってくれない。その頃町にはサーカスがかかっていた。少年のジアコモ(ヴィトリオ・マヌンタ)はサーカスを見たいものだと思ったが、家で洗濯女をして労働している母(ルイザ・ロッシ)は、彼の願いなどかえりみず、叱りつけて洗濯物の配達と牛乳を買って来る用事をいいつけた。ジアコモは使いの途中、友達と「おはじき」の賭けをして持っていたお金をおはじきにかえてしまったので、牛乳が買えなくなった。が、とにかく洗濯物をプッシイ家へ届けに行った。そこの女中アンジェラ(ジョーン・ローリング)は、その洗濯物をくすねようと思い、ジアモコに彼女のアパートまでとどけるようたのんだ。そこへプッシイ氏があらわれ、彼女の悪事を見破ったが、その夜アンジェラのアパートへ行くことを条件に彼女の罪を許した。ジアコモは牛乳壜をさげて食料品店に行くと、そこには、ペロニに拳銃を売ろうとした男も来ていた。ジアコモは隙を見て牛乳を壜につめ逃げ出した。男もロール・パンを盗もうとした。そのとき店の女が騒ぎたてたので、男は思わず女を絞殺し、ジアコモと同じ方向へ逃げ出した。こうして警官に追われた男とジアコモは一緒になって町を逃げまわることになった。2人は廃墟の焼ビルに身をひそめたが、警察の手は次第に追って来た。夜にまぎれてそこを出ようとした男は警官の銃弾で腕をうたれ、ジアコモの助けですぐ隣のアンジェラのアパートへ逃げ込んだ。アパートは警官隊に包囲された。そこへアンジェラとプッシイ氏が来たが、この騒ぎを口実にアンジェラだけが自分の部屋へ入って行った。彼女は男の姿を見ても慌てず、傷の手当をしてやり、酒を飲ました。男がねむったと見て、アンジェラはそっと部屋を出ようとしたが、男は急に起きて彼女の裏切りを責めた。この様子を見てジアコモは、はじめて男が殺人犯であることを知り自首をすすめた。警官隊の指示に従って、ジアコモが先に出た。つづいて男が出て行こうとすると警官隊は男に一せい射撃を浴びせかけた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1954年5月下旬号

外国映画批評:拳銃を売る男

1954年4月上旬春の特別号

外国映画紹介:拳銃を売る男

1954年3月上旬号

グラフィック:拳銃を売る男

2023/12/28

2024/01/02

60点

映画館/東京都/シネマヴェーラ渋谷 
字幕


虚しく迫る街並み

まるで「レ・ミゼラブル」。戦後間もない頃の映画なので、まだ戦争の傷跡が街並みに残っており、観る者に虚しく迫って来る。そこを逃げる中年男と子供。戦後の闇と未来の様な組み合わせ。この主人公達に、J・ロージーは赤狩りで追われた自分自身を重ねずにはいられなかっただろう。

2022/03/18

2022/03/18

-点

映画館/東京都/シネマヴェーラ渋谷 
字幕

『拳銃を売る男』。話の舞台はイタリアの港町だが、会話は英語。密航したい浮浪者(ポール・ムニ)の哀れな末路。破壊された建物がそこらに残っている。空腹は理性を失う。密航費用は25000リラ、牛乳は一瓶62リラ。子供のビー玉遊びのルールが分からず。キックボードで遊ぶ子。サーカスは娯楽の王様。

2022/03/12

2022/03/12

90点

映画館/東京都/シネマヴェーラ渋谷 
字幕


オッサンと少年の友情ものサスペンス

シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞。

「オッサンと少年の友情ものサスペンス映画」であり、ハラハラドキドキしながらも、二人の友情にホッコリさせられるジョゼフ・ロージー監督作品🎥

イタリアでのロケが映画にリアリティを持たせており、ネオレアリズモ風のドキュメンタリー・タッチ映像が迫力あり。
特に、クライマックスでの屋根づたいでのシーンは見事で、撮影監督アンリ・アルカンの捉えた映像に眼が釘付けになる(笑)


物語は、貧しくて腹空かせた男(ポール・ムニ)が密航しようとするが、先立つ金が無い。唯一の拳銃を売ろうとするが、思うように売れない。
一方、少年ジャコモは牛乳を買って来るお使いを頼まれたが、ビー玉の賭けに使ってしまった。
ジャコモは牛乳泥棒を、空腹男は食料品店でパンを盗んで食べてしまったことから女主人を殺してしまった。
そして、空腹男とジャコモの街中での逃亡が始まる……という流れ。

はじめは、ジャコモに「あっち行け!」と言っていた男だが、少年と2人、親子のフリをして逃げるうちに友情が芽生える。

ポール・ムニの演技もさることながら、洗濯物をくすねる女中役のジョーン・ローリングも綺麗だった💫

ジョゼフ・ロージー監督の傑作のひとつ🎥✨

2022/03/05

2022/03/07

75点

映画館/東京都/シネマヴェーラ渋谷 
字幕


食べ物をこぼすのは罪

舞台がまだ戦後間もないイタリアの港町である事もあって‘ネオレアレスモ’の色合いの濃い作品です。
それは子供たちの使われ方や、くたびれて老人の目立つ男たちに対して、姦しく生活力あふれる女たち、そして復興にはほど遠い戦争の傷跡が顕著に残る廃墟だらけの街に映し出されています。

船に乗ってどこか他所に行こうとしていた男は無一文。唯一の金目のモノだった拳銃を金に換えようとしたが、戦争も終わり相場は一時の1/10に値下がりをして船賃にはほど遠かった。
一方で、妹と二人兄妹の8歳になるジャコモは洗濯女をしている母の言いつけで洗濯物の配達と牛乳買いに出かけるが、途中で子供たちが金を賭けてビー玉勝負をしているのに加わり、勝つには勝ったが払いは明日と云われ牛乳を買えなくなり、ツケで買おうとするが女主人に断られ、盗みだします。
そこに腹をすかせた件の男がやってきてパンを盗み、女店主ともみあいになり、はずみで殺してしまいます。
騒動に気付いた近所の通報で男は警官の追跡を受けることになりますが、ジャコモは自分も追われているものと思い込み逃亡を一緒にする事になります。

些細な道草、空腹に耐えきれずに起こしてしまった事が、それぞれの行動を抜き差しならないものにしてしまい、破滅へと突き進んでゆくのは、戦後の荒廃した社会背景なしには考えられないでしょうが、犯人を追い詰める警官はいざ知らず、民間人もよそ者に対して決して優しくはなく冷たく見遣るだけです。
それでもジャコモに対しては子供という事もありひどい仕打ちをする事はありません。幼いながらもジャコモは彼なりに事の非情さを目の当たりにして、社会の不条理を感じたように思われました。

2018/12/14

2019/05/17

75点

映画館/東京都/新文芸坐 
字幕


ネオレアリズモの匂い

新文芸坐シネマテーク、ジョゼフ・ロージー特集の4本目にして最終回「拳銃を売る男」は、ロージーが赤狩りで非米活動調査委員会に召喚されたことを知り、その日のうちに米国から逃げ出してイタリアに渡ったのち、最初に撮った映画ですが、解説で大寺眞輔氏が仰っていた通り、ネオレアリズモの匂いが鮮明にする映画です。
「拳銃を売る男」は、イタリアに船で密航した男ポール・ムニが、帰国する船の代金を作ろうとして、持っていた拳銃を売ろうとするものの、買い手が見つからずに空腹を抱えていたところ、ついパンを盗み食いした食料品店の女性が警察を呼ぼうとし、これを押さえようとするうちに彼女を死なせてしまうという展開です。
ポール・ムニのほかに、牛乳を買う為に母親から預かった金をビー玉遊びに使ってしまい、代金後払いのつもりで食料品店の牛乳を盗んだ少年ジャコモ(店の女性が直後に死んだことを知らない彼は、警察が騒いでいるのは自分の牛乳泥棒のせいだと勘違い)が登場し、二人は一緒に逃げることになります。
少年ジャコモは警察が追っているのは牛乳泥棒の自分だと思い込んでいるので、ポール・ムニのことを逃亡を手助けしてくれるおじさんだと思い、親子のふりをしてサーカス興行に潜り込めば警察を巻けると、サーカス小屋に入ってゆきますが、このサーカス小屋での場面におけるドキュメンタリー的なロケ撮影がネオレアリズモの匂いを発散しています。
「拳銃を売る男」は、冒頭近く、少年ジャコモが友人たちとビー玉遊びに夢中になってしまう場面など、少年たちの自然な動きをドキュメンタリー的に捉える画面がそもそもネオレアリズモでしたが、サーカス小屋での素人エキストラに囲まれたポール・ムニと少年の場面も、ドキュメンタリー的な生々しさです。
この映画でジャコモを演じた少年は、養父に育てられた元孤児だそうで、瞳をキラキラ輝かせながらポール・ムニの話を聴くアップなど、「自転車泥棒」の少年を思い出しましたし、二人が逃亡する過程に出てくる迷路のような廃墟は、その外景から「ドイツ零年」を思い出させました。
上映後の大寺眞輔氏の解説で面白かったのは、ロージーがイタリアという土地を気に入ったのに、息子に会うため一度フランスに行ったのち再びイタリアに入国しようとした際、赤狩りの影響(この映画に資金提供したのが伊ファシストだったという皮肉)で、イタリアに入れず仕舞いになったという話です。
大寺眞輔氏の解説によれば、ジョゼフ・ロージーはイタリアを気に入って、「にがい米」のジュゼッペ・デ・サンティスとは共同監督する企画が実在したそうですから、もしロージーのイタリアへの再入国を認められていたら、という“たられば”が許されるなら、どんな映画史になったろうかという妄想は膨らみます。
ジョゼフ・ロージーが赤狩りの対象になって米国を脱出する話は、アーウィン・ウィンクラー「真実の瞬間」で事実を曲げられた形で再現されていました。細部を忘れたので小屋で観直したいものです。

2018/12/14

2018/12/16

80点

映画館/東京都/新文芸坐 
字幕


ビー玉の話

少年と妹がいっしょに外を歩く様子が付かず離れず。時々手をつなぐ、遅れている妹を待つ、兄妹でおかあさんにはいわないと約束しあう。普通の少年である。

少年は警察に追われていると思って逃げる。男は少年の後に従った。少年は街を熟知しているから、男にとって得策だった。少年は男が自分を助けてくれていると思って「お父さん」。遠慮がちに呼びかける。少年と男がいっしょに行動するようになる過程が、少年の気持ちに引き寄せてあり、映画の内容の理解が進む。

最後、少年は事件を見物にきていた友だちとビー玉の話をしながら画面から消える。
ついさっき男の代弁することばを叫びながら建物からでてきた少年とは思えない普段通りのようすだ。少年はあっさり日常に戻った。街の男が非難めいて「何がアタッカ分かっているのか」と母親にいうと、母親は「理解している」と返す。
この大人のやり取りがあることで、事件の重さを観客に念押ししている、と思った。