高三の時、日大芸術学部映画学科監督コースを受験、一次の筆記は余裕だったが、二次の面接で落とされた。
面接前に廊下で郷里の大濠高校出身の先輩と廊下の長椅子で控えていた時、目の前を当時大人気だった劇作家つかこうへい氏がこちらに向かって歩いてきた。
私は名前は知っていたが顔は知らなかった。
しかし、付近の受験生や学生が「あっ、つかこうへいだ」と口々に言っていたので私も気づいた。
そして、つかこうへい氏は通る際にこう言った。
「僕はつかこうへいじゃないよ。つかふこうへいだよ。」
このエピソードを思い出した理由は簡単。
好きな日本映画に「砂の器」をあげたら、面接官から「監督、原作、脚本、撮影、音楽を担当したのはそれぞれ誰」って聞かれたから、すべてばっちり答えたにもかかわらず、不合格にされたからだ。
大濠高校出身の先輩(ちなみに私は別の高校の出身だ)曰く、「ここは金持ちの次男じゃないと合格しないよ。」と言われていたが、確かに面接でも同じ事聞かれた。
ウソをついてもしょうがないから、普通の家庭の長男だと答えたら案の定落ちた。
もし受かっていたら今頃私も巨匠と呼ばれる身分だっただろうに。
というわけで、私の不合格は同時に日本映画界にとって貴重な人材を一人失った瞬間だった。