藤田敏八の『妹』(1974)同様、妹に対する大きな勘違いから生れた作品で、本作では「妹は豆腐である」というテーゼが提示される。
冒頭から冷ややっこや豆腐屋のシーンを象徴的に登場させるが、要は白くて柔らかくてプルンプルンしていて壊れやすいというオジサン的嗜好が丸出しで、せめて『男はつらいよ 望郷篇』(1970)の寅次郎の「四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い」くらいに気の利いた台詞が欲しかった。
家族がテーマで、小津安二郎を意識した舞台装置やカット割りですぐそれと知れるが、所詮はテーマもストーリーも映像も真似でしかなく、21世紀を控えてこんな兄妹がいるか? というくらいにアナクロニズムに溢れている。
そのアナクロニズムを演出するための小道具が都電荒川線と雑司ヶ谷鬼子母神、どこにあるのか知れない昭和初期のような大きな木造家屋、古臭いテレビになんとゼンマイ式の柱時計まである。
夕餉を給仕する妹と座椅子にふんぞり返る兄は、戦前からタイムマシンに乗ってやってきたみたいで、恋人ができて連日デートする妹を父親のように心配するが、小津作品で親身に娘のことを心配する父親の外形だけを真似しているだけで、単なる近親相姦にしか見えない。
恋人が死んで妹は兄のもとに戻るが、帰宅した兄が足を戻すシーンは意味不明。意味深な勿体ぶった演出で観客の心を宙ぶらりんに弄ぶようでは、小津には遠く及ばず、縄文時代の化石を撫でただけに終わっている。(キネ旬2位)