700に近いショットの構成によって極上の光景を生み出している.顕微鏡が見え,その顕微鏡をのぞく職場で間宮康一(笠智衆)や矢部謙吉(二本柳寛)は,どこに行こうとしているのだろうか.矢部は秋田を辞さないが,彼を溺愛する母親のたみ(杉村春子)は秋田行きを都落ちとも言わんばかりに,「物を言わなくなる」いつもの癖で謙吉を住まいの北鎌倉に引き留めようとしている.彼女は,口元でぶつぶつ言いながら涙を溜めているが,これは演技なのだろうか.物語の時間では,それからややあって,彼女を泣いて喜ばせる出来事が浮上する.おしゃべりな彼女は,本音なのか,冗談なのか,怒らせまいと気遣いながらも,康一の妹で近所に住んでいる未婚の紀子(原節子)に息子との縁談話を仮定として漏らす.そこで物語は急展開をしていく.
が,それはそれで愉快な喜劇であって,息を呑む光景は別にある.康一の母の志げ(東山千栄子)が戦没した次男への思慕を語りながら,遠い目をすると,鯉のぼりがはためいている.思い切った紀子は,白いブラウスとベージュか何か薄い色のついたスカートで砂丘を登ろうとすると,その隣には似た格好をした義理の姉の史子(三宅邦子)も歩いており,彼女らが丘の絶頂にいたるとその先には海岸線が見えている.それは彼岸のようにも映り,冒頭で打ち寄せる波の無時間がオーバーラップしてくるように想起される.そして博物館に寄った後,志げと彼の夫の周吉(菅井一郎)は遊歩道の脇に腰を下ろし,何かを食べている.食べ終わり,空を見上げると風船が,どこへと向かっているのだろう,上へ上へと登っている最中でもある.彼女と彼の食べる動作が同調しているだけでなく,その直前に紀子と彼女の未婚の悪友でもあるアヤ(淡島千景)が,既婚の友人二人にすっぽかされ,独身同志でジュースを飲むその動作の同調から,カットインアクションのように繋がれ,博物館にショットが飛んでいる.
少年たちは,「レール」に夢中であるが,そこを走るおもちゃはどこへ向かうのか,それともどこにも向かわずに,そのレールを周回し続けるのだろうか.歌舞伎が上演されている.それを観覧する者もいれば.ラジオからの歌舞伎中継で聞いている者もいる.亡くした兄からの麦の穂が紀子の手元へ届くのは,謙吉を手を経てから出なければならない.まほろばの大和には山が見え,麦畑の中を花嫁行列がどこか上手の方へと向かおうとしている.カメラはその光景に引きずらるようにゆっくりと上手に動こうとしている.3世代の家族7人の写真が撮られ,その後,旧世代の爺婆のツーショットが撮られ,爺婆は,大和に住む周吉の兄(高堂國典)の元へと身を寄せている.その兄は「つんぼ」と呼ばれ,孫世代には「バカ」となじられ,大仏の前でキャラメルを紙ごと食べながら,超然としている.彼はどのような境地にいて,爺婆はどの境地に向かおうとしているのだろうか.
紀子とアヤの驚くような秋田弁のやりとり,アヤの母(高橋豊子)が痴呆的に彷徨い探している黄色い何か,差される碁と集められる石,むくれて消えてしまった少年の兄弟二人と彼らの友のように列をなしている石の支柱,踏切の手前で躊躇ってため息をつく周吉,周吉がこさえている鳥たちの餌など,刮目すべき光景がどこまでも連鎖していく.