看護婦の日記

かんごふのにっき|----|----

看護婦の日記

レビューの数

2

平均評点

65.0(5人)

観たひと

9

観たいひと

3

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1947
公開年月日 1947/7/1
上映時間 76分
製作会社 大映東京
配給 大映
レイティング
カラー モノクロ
アスペクト比
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督吉村廉 
脚色八木沢武孝 
原作太宰治 
企画中代冨士男 
撮影峰重義 
美術今井高一 
録音橋本国雄 
照明中川末次郎 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演折原啓子 竹中静子(竹さん)
関千恵子 三浦正子(マア坊)
小林桂樹 小柴利助(ひばり)
平井岐代子 
徳川夢声 大月
杉狂児 木下(かっぽれ)
見明凡太郎 田島場長
小原利之 須川(固パン)
奈良光枝 
花布辰男 西脇(つくし)
泉静治 押山(青大将)
千明明子 牧田(孔雀)

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

太宰治の原作『パンドラの匣』より「踊子物語」の八木沢武孝が脚色、吉村廉が久方振りにメガホンをとる作品で、キャメラは「花咲く家族」の峰重義が当る。抜擢された関千恵子は昨秋応募したニュー・フェイスで本年度研究所第一期卒業生である。なおコロムビアの奈良光枝も特別出演する。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

新緑にもえた初夏の高原にくっきりと浮ぶ純白の高原療養所、「健康道場」では院長のことを場長、医者は指導員、看護婦は助手、患者は塾生と呼ぶ。そして彼等は決して相手のことを本名では呼ばない、ひばりとかかっぽれ、孔雀、ラジオ、固パン等とあだ名で呼んでいる。初めての人はちょっと面食らうが、この位で目をまわしてはいけない。彼等の挨拶を聞いてみたまえ。「やっとるか!」「やっとるぞ」「頑張れよ」「よオしきた」という調子。だから病室は常に明るく晴れやかである。ここでは年齢の差別も階級差もない。彼等に言わせればつまり「一視同仁」という。しかし人間の集いに間違いはなく、助手たちが心を惹かれて行く一人の素晴らしい若い患者がいる。彼は音楽学校の学生でひばりと呼ばれる小柴利助である。まづ婦長格の竹さんが彼に心を焦がしているのだ。しかし助手の中でも一番若いマア坊がやはりひばりに一生懸命になっている。それを知っている竹さんは苦しむが、竹さんの性格はあまりにも美しく、あまりにも優しく、あまりにも弱々しく、結局、マア坊とひばりの仲を育ててゆくのだった。竹さんは内々にマア坊の心を固めさせ、そしてひばりと結ばせ、自分は気が乗らないままに場長の所へ嫁いで行く。ひばりとマア坊の恋もたくましく育った頃、ひばりの病気も順調に癒えやがて白亜の巣を飛び立つ日も近いであろう。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2012/04/20

2014/08/21

55点

映画館/東京都/東京国立近代美術館 フィルムセンター 


戦後間もない生きる実感

太宰治が戦後すぐに発表した小説「パンドラの匣」を映画化した「看護婦の日記」は、数年前に冨永昌敬がリメイクした時に染谷将太くんが演じた感受性豊かなサナトリウム患者役を小林桂樹が、彼が憧れる看護婦で川上未映子が演じた役を折原啓子が、主人公青年を甲斐甲斐しく世話する看護婦で仲里依紗が演じた役を関千恵子に演じさせた映画です。
現実から逃避するようにサナトリウムの患者となっている変人たちと、彼らを世話するようでいて実は身勝手なおしゃれに現を抜かす看護婦たちが、お互いをあだ名で呼び合う奇矯な物語世界。それは、太宰的にカリカチュアライズされた戦後世界の縮図に他ならないことが、今回初めて理解できたのですが、それは、太宰が存命中の戦後2年目の空気を、この映画のあらゆる細部が実感を伴って描いていたからでしょう。冨永版のほうも太宰版「カッコーの巣の上で」のような雰囲気があって面白かったものの、戦後間もない時期の人々が共有した開放感や諦念までは伝えていなかったところ、この映画には作者たちも役者たちも、まさしく戦後間もない時期を生きている実感を、身体全体で表現しているのであり、まあ47年に製作された映画なのですからそれは当り前のことには違いないとは言え、そうした戦後の実感が映画を通して確実に伝わったことは確かです。

2012/04/20

2012/04/24

72点

映画館 


太宰治が戦後すぐに発表した小説「パンドラの匣」を映画化した「看護婦の日記」は、数年前に冨永昌敬がリメイクした時に染谷将太くんが演じた感受性豊かなサナトリウム患者役を小林桂樹が、彼が憧れる看護婦で川上未映子が演じた役を折原啓子が、主人公青年を甲斐甲斐しく世話する看護婦で仲里依紗が演じた役を関千恵子に演じさせた映画です。
現実から逃避するようにサナトリウムの患者となっている変人たちと、彼らを世話するようでいて実は身勝手なおしゃれに現を抜かす看護婦たちが、お互いをあだ名で呼び合う奇矯な物語世界。それは、太宰的にカリカチュアライズされた戦後世界の縮図に他ならないことが、今回初めて理解できたのですが、それは、太宰が存命中の戦後2年目の空気を、この映画のあらゆる細部が実感を伴って描いていたからでしょう。冨永版のほうも太宰版「カッコーの巣の上で」のような雰囲気があって面白かったものの、戦後間もない時期の人々が共有した開放感や諦念までは伝えていなかったところ、この映画には作者たちも役者たちも、まさしく戦後間もない時期を生きている実感を、身体全体で表現しているのであり、まあ47年に製作された映画なのですからそれは当り前のことには違いないとは言え、そうした戦後の実感が映画を通して確実に伝わったことは確かです。