ラピュタで観た「総会屋錦城」は、ある銀行を舞台にして総会屋の山本礼三郎が株式の10%以上を握った上で不正融資を告発し、臨時株主総会の開催を要求して経営権を狙うという事態を受けて、銀行頭取の柳永二郎は、今は現役総会屋を引退している総会屋錦城こと志村喬に対策を依頼するものの、志村はなかなか受けようとしない中、芦屋に嫁いでいた志村の娘・叶順子が婚家との折り合いを悪くしただけでなく、夫以外の愛人を作ったために実家に帰ってきて、薬の研究家であるその愛人に研究費を貢ごうとして、柳永二郎の銀行から借金をするという事態となり、志村はついに柳の銀行の株主総会を仕切る仕事を受け負うこととなり、常に看護師に日常生活を監視されるような病人でありながらも志村は、人生最後の株主総会に立ち向かってゆくというお話で、友人から聞いていた評判通り堂々たる映画で、戦前の「風の又三郎」や「次郎物語」などの児童映画はよかったものの戦後はこれという作品がないと思っていた島耕二にも、これだけの映画が撮れたのだという驚きをもたらしてくれました。
冒頭の株主総会と総会屋の関係を端的に説明する字幕や株主総会場面の処理もテンポが良いですが、弟子の総会屋・片山明彦が隠居中の師匠である志村喬に銀行の株主総会の様子を報告する場面から、画面手前にアップになった志村の表情と画面奥にいる片山の表情の双方にピントを合わせて対比的に見せるパン・フォーカスが、効果的に画面の奥行きを作り出し、このあともパン・フォーカスは全篇を通した基本テクニックとして使われて、会議場面や室内の宴会場面で画面に奥行きを与えていました。
映画のタイトルは、志村喬と娘・叶順子を前面に出し、じじつラストには薬研究家の川崎敬三と大阪で幸せに暮らす叶を登場させ、父親との確執が氷解するようなエピソードを用意して映画を締め括っていますが、力点はむしろ、新橋駅前で靴磨きをしていたところを志村喬に拾われて、総会屋の仕事を身近で見ていた片山明彦の視点から見た志村の最後の大仕事に向けた執念のほうであり、片山は実父・島耕二の演出に良く応える熱演を見せています。
ただ残念だったのは、志村喬が総会屋仲間の前で得意の浪花節を披露する場面が、口パクだったことで、マキノ映画で見事な喉を披露した志村なのですから、地声を聞かせて欲しかったものでした。