芝木好子原作で、溝口健二監督の遺作「赤線地帯」の続きの話として見ることができる(キネノート「赤線地帯」のスタッフ欄には芝木好子の名前は無いが映画のクレジットには有る)。因みに川島雄三監督の「洲崎パラダイス赤信号」も芝木好子の原作によっている。
売春防止法の成立によって転職した女たちの、その後の生き様が描かれる。
男(大阪志郎)を雇って金貸しを営みながら、本人自身も街娼をやって旅館の開店資金を稼いでいる女(奈良岡朋子)。亭主にねんねこ半纏で赤ん坊を背負わせている女(福田トヨ)、スナックを自営しているが借金で苦労している女(東恵美子)、そのスナックに雇われてあまり深く考えていない女(小園容子)、ヒモ(岡田真澄)と縁を切って自立しようとしてなかなか別れられない女(筑波久子)、二号になって店を持たせてもらっている女(南田洋子)、それぞれが何とか新たな生活を送っている。
筑波久子は偶然列車に乗り合わせた大学教授の葉山良二と親しくなっていく。ヒモの岡田真澄は嫉妬して、彼女の前歴を暴露すると脅かして関係を繋ぎ止めようとする。
赤線廃止の法律を成立させたところで、そう簡単に生き直しができるほど人間はメカニックではない。その確執を、「赤線地帯」の若尾文子、木暮実千代、京マチ子が演じた女たちのその後に繋げている。ただし、因習から抜け出せない女たちの心的状態は葛藤の奥にある心の襞まで描ききれていない。ただ陰陰滅々と葛藤し続ける風俗描写の域を出ないので、観ているこちらもだんだんつらくなって苛立つばかりで、心的緊張感や心理力動のスリル感は湧き起こってこない。
大学教授の葉山良二側に、その妻・南寿美子、秘書・渡辺美佐子を絡めることで、彼の葛藤を映像化しようと試みている。
しかし、彼についてもダメ男描写の域を出られなかった。ヒロイン筑波久子への愛情や性愛と、社会的な立場を守ろうとする利己心と、妻への罪償感と、それらをないまぜにしたコンプレックスまで、この脚本(松浦健郎)は切り込めなかった。せいぜい、「僕はエゴイストだ」と彼が言うと、秘書の渡辺美佐子がすかさず「私もそう思います」と切り返すやり取りがあるくらいまででそれ以上にメスは入らなかった。良い素材だったのにいかにも惜しい。
阿部豊の演出はテキパキして、いつもながら安定している。この映画が公開された1950年代末の頃は、増村保造、中平康、岡本喜八らの切れ味の良いスピーディなカット割りが流行っていたが、それに与(くみ)することもなく、円熟した淡々とした映像に風格を見せる。キャバレーやバァの雰囲気描写も悪くない。
ところで、この映画、キネノートレビュー数は2でした。