歌詞とあまり関係のない内容なのは、歌謡映画の典型か。
一時間にも満たない尺数なので、添え物の適当な企画で製作された。テキトーとはいっても製作するからには、スタッフや俳優は一生懸命に苦労して撮影したからテキトーだなんて言ったら失礼だな。でも歌謡曲から映画化するというのはまあ映画会社のお偉いさんは、添え物ですしね、と安直に企画しただろう。なんかそこら辺の流行りもんで良いやという印象だ。そういえばヒット曲からの映画化なんて今や絶滅したジャンルなのだ。
まあ話の骨子は「ローマの休日」であるが、日本では王政がないので、文学賞を取った人気作家に設定した。けれど、なんかアイドル並の騒ぎになっているのはどうかなあと思ってしまう。この映画の製作当時なら、文壇は芸能界とはちゃうわいと突っ込みを入れられそう。今なら文学だって芸能界みたいな軽さがないと、著作も売れないなあ。
日本で「ローマの休日」みたいに某国の王女様通りにするならば、皇室にしなきゃいけない。男社会の皇室だと、
主人公の男女の立場を逆にせねばならないし、何よりも皇室をこういう映画で使うことなんて、いくら戦後でもできないよなあ。
しかし、「ローマの休日」は名シナリオライターがアカ狩りのために匿名で書いた脚本を名監督ウィリアム・ワイラーがとびきりのロマンチック・コメディに仕上げた。
オードリー・ヘップバーンのカリスマ性も加味して、「タイタニック」以前の日本人がもっとも好きな洋画になって、今だオードリーは人気がある。
そんな超ド級な名画と比べたら酷だけど、本作はなにもかも劣る。
オードリーに敵わないのは当然だけど、ヒロインの丘野美子に華がなさすぎる。逆にファンファンの若い頃はジゴロ風の軽さを感じられるものの、逆にこの映画のように誠実な男なのもなかなかだ。平尾昌晃はヒロインの幼馴染として脇役で出ている。
ロマンチックコメディだけど、特に演出にうま味を感じないので、数年経ったら忘れ去られるな。
そんな映画史の片隅にも記載されないような凡作である。
だが平尾昌晃が歌手だった頃で、彼がロカビリー歌手として歌っている映像は初めて観た。そういう意味では日本の芸能史・音楽史的にはこれも資料価値は抜群で、残しておきたい映画・・・と思うのは、芸能関係に関心があるなら
ここだけ見どころだ。