フィルムセンターの加藤泰生誕100年記念特集、21本目。初めて観た「恋染め浪人」は、白と黒のコントラストがぼやけて全体が灰色っぽく見えるというプリント状態で、フィルムセンターのニュープリントにしてこの状態だという事は、東映によるネガの保存が悪いという事であり、残念ではありましたが、まあ観られただけで有難いことではあります。わたくしはこれで加藤泰の長篇はコンプリートしました。
東映に移籍したのち、1年間は佐々木ズーのもとで助監督をしていた加藤泰が、ようやく再び監督としてメガフォンを握ることになった「恋染め浪人」は、ある屋敷で着物姿の娘が何やら薬を盛られたらしい様子で倒れ、吉田義夫扮する怪しげな侍の指揮のもと、岸田一夫と中村時之介がその娘を棺桶に入れ、二人で墓地に行って埋めようとしたところで、主人公・大友柳太朗に見つかり、大友が娘を連れ帰るというオープニングです。パンや移動を駆使した長回しで場面を組み立てつつ、なめらかな語りに腐心しているように思える演出です。
大友柳太朗は自宅で医者をやっている浪人という設定で、そんな男が娘を助けるのですから、ご都合主義も極まれりという感じですが、山手樹一郎原作を映画化した東映痛快娯楽時代劇ですから、こんなご都合主義は当たり前のことに過ぎません。助けられた娘・長谷川裕見子は、吉田義夫らに盛られた麻薬のせいで記憶を失っており、大友は彼女のことを“お夢”と名付けて自宅に置いて療養させます。
大友柳太朗が次に出会うのが、行きつけの酒場で海江田譲二ら道場侍に絡まれて困っている旅芸人・花柳小菊です。これ以降、花柳は大友のことを想い続け、最終的には大友を助けるために自分の命を落とすに至るという、加藤泰得意の、情念を燃やす女性像を体現します。
海江田譲二が所属する道場の主・山口勇は、吉田義夫の配下に当たり、長谷川裕見子を埋めようとしていた岸田一夫や中村時之介も山口勇の道場に加わる侍です。そしてそんな吉田義夫を操る黒幕が、某藩次席家老の原健策で、その原は、自堕落な藩主・立松晃を蔑にして、その藩主の妻・浦里はるみと通じ、浦里に原が産ませた息子を藩主の子だとして、彼が跡継ぎになるよう画策し、それに抵抗する筆頭家老・薄田研二を排斥しているという設定で、その薄田研二の娘が、記憶喪失になっている長谷川裕見子なのでした。まさにご都合主義!
さらに、主人公・大友柳太朗は、以前この藩に仕えていて、前藩主の弟で、次期跡継ぎ候補の筆頭と目されていた波島進とは、肝胆照らし合う親友という設定であり、藩の重鎮だった大友の父親が罠にはめられて処刑されたことを機に、大友は傷心のまま浪人となっていたのであり、必然的にこの藩のお家騒動に飛び込んでゆきます。
結局、長谷川裕見子は記憶を取り戻し、父・薄田研二とともに藩の癌である次席家老・原健策の追い落としに加わろうとするものの、原のほうは藩主の妻・浦里はるみとともに、遂に藩主・立松晃を殺害するという暴挙に出るのであり、乗り込んだ大友は、原らの悪事を暴いて斬り殺し、後を薄田や波島進に託すという展開。
大友柳太朗が長谷川裕見子と某藩の国許に行った際は、丘の上に立つ屋敷に案内されたのち、吉田義夫ら悪の一味の企みによって、その屋敷の土台ごと丘から崩落されるという、派手な場面も用意されるなど、まさに波乱万丈の痛快娯楽が展開しますが、全ては東映調で丸く収まるのであり、加藤泰自身は“当時の東映時代劇路線をふみ外さず、極められた予算と日数でちゃんと撮りあげる事が出来たと言へる仕事である”と総括しているそうです。
チャンバラの最中に“ずいずいずっころばし、ゴマ味噌ずい”と歌を口ずさむのが大友柳太朗の癖で、大友の下手糞な歌に苦笑しながらも、観る者はこの人間臭いキャラクターに愛着を覚えてゆくのであり、ラスト、この大友の身代わりになって死んでいった花柳小菊のことを想いながら、大友が再び旅に出る場面では、大友と天国にいる花柳が“ずいずいずっころばし”をデュエットするのが、なんとも微笑ましいのです。物語上でのヒロインは長谷川裕見子ですが、加藤泰の思い入れは明らかに花柳小菊に傾いており、彼が思い入れた人物を力込めて描く時、映画は輝くという、加藤泰映画ならではの魅力が、この東映第1回監督作でも発揮されています。