実際に起こった八海事件を冤罪として告発した弁護士正木ひろしの原作を元に作り上げた作品で、当時まだこの事件は係争中であった為に相当物議を醸したという。
国家がその気になれば、個人の命など簡単に奪えるというとても恐ろしい内容である。
警察も検事も判事も沽券に関わるから、一度出した判決は簡単には覆さない。今のような科学捜査もなかった時代に、十分な証拠もなしに冤罪にさせられた人間は数多くいるのだろう。
ある老夫婦が惨殺された家宅に警察が捜査に入る場面から話は始まる。警察はおそらく強盗目的で、複数の人間による犯行だろうと断定する。
そして下宿にいたある男が血のついたジャンパーを所持していたことから警察は彼を拘束する。
小島というこの男は今でいうとサイコパスな人間になるのだろう。犯行を供述し始めるのだが、その場その場をうまく言い逃れするために生きているような男で、まるで先のことを考えいない。そして脅えきった様子ではあるものの、殺人を犯したことに対する罪悪感は全くない。
何でもないことのように犯行の様子を語る小島の姿がとても不気味だ。まず夫を斧で殺害し、妻を絞殺した後に夫婦喧嘩であると思わせるように偽装工作をした後に、盗んだ金を持って遊郭に行ったと自供する小島。
しかし警察はこの事件を複数犯の犯行であると決めかかっており、小島の供述を信用しない。他のメンバーを吐けと拷問する警察の連中。そうすれば死刑は免れるかもしれないと。
良心を持たない小島は自分が助かるために、植村、清水、青木、小島の名前を上げて、彼らに自分は協力しただけだという嘘の供述をする。
それぞれ前科のあった彼らは元々警察に睨まれていたこともあり、あっという間に逮捕されて犯人に仕立てられてしまう。
小島の供述を全面的に支持する警察は四人がどれだけ犯行を否定しようが自白するまでは容赦しない。
複数犯であるという自分たちの説が正しいことを証明するために、四人に拷問を繰り返す彼らの姿には観ていて怒りを覚える。
自白を強要するために絶えず身体的な苦痛を与えられれば、誰だって自分がやっていなくても自白してしまうだろう。
四人は罪を認めてしまい、新聞には大きく殺人者として彼らの名前が載ってしまう。そして四人には死刑判決が下される。
貧しいながらも何とか弁護士を立てて、被告の家族たちは彼らの無罪を主張しようとする。徹底した現場検証を行おうとするが、保身に走る警察官の嘘の証言などもあり、なかなか判定は覆らない。
しかし近藤、山本二人の弁護士の誠実な働きかけによって、次第に小島の供述には矛盾がたくさんあり、信憑性がないことが証明されていく。
二審での理路整然とした近藤の答弁には、四人の無罪を決定的にするような力強さと説得力があり、被告の誰もが無罪判決を確信した。
しかし下された判決はあまりにも無慈悲なものだった。判決を覆せるほどの決定的証拠がないということなのだろうが、逆に言えば死刑に出来るほどの決定的な証拠もひとつもないのだ。
確かに被告の四人に感情移入させられるような映画の作りになっているので、真相はこの時点では分からないのだが、明らかに判事は自分たちの面子を守るために判決を覆さなかったように感じた。
この事件さえなければ植村はカネ子という女性と結婚するはずだった。四人にはそれぞれの人生があり、また家族があった。
彼らの無実を信じる家族の姿が切実で、観ていて辛いものがあった。
色々と口喧嘩をするような仲だった植村の母親だが、息子が無事に帰ってくるよう何度もお参りする悲痛な姿に心を打たれた。
そして死刑判決が下りてしまった植村の顔を見て、耐えられなくなりその場を去ってしまう母親の悲しげな眼。
「まだ最高裁があるんだ!」という植村の悲痛な叫びでこの映画は終わるが、最悪の結末ではなく、それでもまだ希望が残っているのだと思わせるようなラストでもあった。
実際には長い裁判を経て四人には最終的に無実の判決が下されたという。しかし失われた彼らの人生は戻ってこない。
とても暗く重い内容だったが、もし自分が冤罪にかけられたとしたらどう闘えば良いだろうかと色々考えさせられる作品でもあった。