ラピュタ阿佐ヶ谷の日活特集、「少年死刑囚」は、わたくしが小学生の頃TVで観た事があり、中身は見事に忘れているものの、そのショッキングなタイトルと共に、暗くて恐ろしい映画だったという印象だけが強く残っていて、いつかもう一度観たいと思っていた映画でしたが、ほぼ50年ぶりに観直して、やはり暗くて観るのがしんどい映画ではありました。
主人公の牧眞介は、18歳にして実の祖父母と叔父叔母を殺して一審で死刑を言い渡され、現在控訴審が行われているため、東京拘置所に収容されているという少年です。拘置所内での牧は粗暴を極め、看守たちに食って掛かっては取り押さえられて自室に閉じ込められ、部屋の壁や扉を蹴り付けて怒りをぶつけるという有り様。牧の教育係である看守・信欣三は、自分も信仰する仏教に牧を導こうとしますが、聞く耳を持ちません。
何が牧眞介をここまで粗暴な態度に追いやるのか、当初は観客も見当が付かずに戸惑いますが、次第に明らかになってゆくのは、死刑になることの恐怖であり、自分が犯した罪への悔恨であり、自分を祖父母の許に置いて出て行った母親への追慕です。
戦後の貧しい暮らしの中で、祖父・畑中蓼坡、祖母・田中筆子は牧眞介を可愛がってくれたものの、米屋を実際に運営している叔父の多々良純、その妻・若原初子は、甥っ子に当たる牧眞介の食い扶持を確保する困難を毎日のように愚痴り続け、牧に対して甘い若畑中蓼坡と田中筆子を責め、祖父母は自分たちが死ねば生活が多少は楽になるのだから早く死にたいなどと言っているのを耳にした孫の牧眞介は、日々胸を痛めているという過去の映像が映し出されます。そして牧は、一度は自分がこの家を出てゆくことを決意して、実際に鉄道駅までゆきますが、翻意して家に戻った彼は、死にたいと訴えていた祖父祖母の願いを叶えてやるとともに、そんなふうに祖父祖母を追い込んだ叔父叔母を鉈で殺すのでした。
自らの中にある死への恐怖、罪への悔恨、母への追慕という思いと向き合うことができた牧眞介は、周囲の房に収監されている死刑囚が次々と刑の執行がなされてゆく中で、次第に死の覚悟が固まってきたのか、態度も表情も平静になってゆき、信欣三が薦める写経や読経にも積極的になり、実母・田中絹代の面会も幼馴染・木室郁子の面会も平静心で受け止めることができるようになり、信欣三は控訴審での刑の軽減を期待していながら実際に下されたのは控訴棄却という厳しい結果だったにも拘らず、牧眞介は平然と受け止め、上告を薦める信欣三の声を拒んでまでして死刑を受け入れる決意を固めます。
そうして心安らかな中で迎えた死刑の執行日。実母・田中絹代の見送りを受けて刑場に向かう牧眞介の許に届けられたのが、恩赦の報せです。信欣三は良かった良かったと喜びますが、死を完全に覚悟していた牧眞介は激しく動揺した上で凶暴さを蘇らせ、“俺を殺してくれ、俺は騙された”と叫びつつ、看守の一人から拳銃を奪って拘置所内を逃げ回り、取り囲んだ看守たちに向かって発砲寸前のところまでゆきます。
結局牧眞介はそれ以上の罪を重ねることなく(拳銃を奪って逃げたことは不問に付されたのでしょう)、少年刑務所の迎えの車に乗せられてゆき、その車を田中絹代が「陸軍」のラストシーンを彷彿とさせる走りで追い掛けながら、映画は終わりますが、なかなかどうして重い感触を残す映画でした。