次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊

じろちょうさんごくしだいはちぶかいどういちのあばれんぼう|----|----

次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊

レビューの数

15

平均評点

78.6(54人)

観たひと

82

観たいひと

4

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 時代劇
製作国 日本
製作年 1954
公開年月日 1954/6/8
上映時間 103分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング 一般映画
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督マキノ雅弘 
脚色小川信昭 
沖原俊哉 
原作村上元三 
製作本木荘二郎 
撮影飯村正 
美術北辰雄 
音楽鈴木静一 
録音西川善男 
照明西川鶴三 
編集庵原周一 
助監督岡本喜八 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演小堀明男 清水次郎長
河津清三郎 清水の大政
田崎潤 桶屋の鬼吉
森健二 関東綱五郎
田中春男 法印大五郎
緒方燐作 大野の鶴吉
広沢虎造 張子の虎三
澤村國太郎 江尻の大熊
山本廉 小松村七五郎
越路吹雪 お園
森繁久彌 森の石松
小泉博 追分三五郎
志村喬 身受山鎌太郎
青山京子 娘おみの
川合玉江 夕顔
水島道太郎 浜松の政五郎
小川虎之助 和田島の太左衛門
上田吉二郎 都田村の吉兵衛
佐伯秀男 常吉
豊島美智子 お千
広瀬嘉子 ぬい
北川町子 お静
馬野都留子 豚松の母親
木匠マユリ おまん
紫千鶴 お町
本間文子 やりて婆

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「次郎長三国志 第七部 初祝い清水港」に次ぐ次郎長三国志第八部。“オール読物”連載の村上元三の原作より、小川信昭、仲原俊哉が共同脚色し、「ごひいき六花撰 素ッ飛び男」のマキノ雅弘が監督している。撮影も「ごひいき六花撰 素ッ飛び男」の飯村正。出演者は前作と略々同じであるが、今回は「七人の侍」の志村喬、「風立ちぬ(1954)」の青山京子、「赤線基地」でデビューした川合玉江などが新しく出演する。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

清水一家は次郎長女房お蝶と豚松の法事の日。百姓姿の身受山鎌太郎が受付に五両置いたのを石松は二十五両と本堂に張り出した。さて読経の声もたけなわ、死んだ豚松の母親や許婚お静が来て泣きわめく。鎌太郎の諌言までもなく次郎長は深く心打たれていた。法事を終えた次郎長は愛刀を讃岐の金比羅様へ納める事になり、選ばれた石松は一同心ずくしの八両二分を懐に旅の空へ出た。途中、知り合った浜松の政五郎にすっかりノロけられた石松は金比羅様に刀を納めると、その侭色街に足を向けて、とある一軒の店へ入った。夕顔というその女の濡れた瞳に惚れた石松は八両二分をはたいて暫く逗留、別れ際には手紙迄貰って讃岐を去った。近江で立寄った身受山鎌太郎は先の二十五両を石松に渡して義理を果し、石松の落した夕顔の手紙に同情して、夕顔を身受して石松の女房にする事を約した。しかし東海道を急ぐ石松は幼馴染の小松村七五郎お園夫婦の許に寄る途中、草鞋を脱いだ都田村吉兵衛に貸した二十五両がもとで、騙討をかけられ、偶然会った政五郎に見とられながら死んだ。石松の死を知った次郎長一家が東海道を西に急ぐ頃、清水へ向う二人、それは鎌太郎と身受けされた夕顔であった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2017/07/09

2022/06/24

90点

選択しない 


石松の純情に涙する

 次郎長三国志シリーズの第八弾、「海道一の暴れん坊」であります。森繁久彌演じる森の石松を主人公にした、マキノ雅弘監督によるオリジナルストオリイ。態々原作者の村上元三に断りを入れたさうで、仁義を通したといふところでせうか。脚本はそれまでの松浦健郎&村上元三に代り、小川信昭と沖原俊哉が参加しました。音楽は同じく鈴木静一。美術担当の北辰雄とは、北猛夫の弟ださうです。

 兇状が解けた次郎長一家では、お蝶と豚松の法事が執り行はれてゐました。豚松の母(馬野都留子)がヤクザへの恨みつらみをぶちまけ、泣き喚きます。言葉も無い次郎長(小堀明男)以下、一家の面面。
 次郎長は愛刀を讃岐の金比羅様に奉納することになり、その役目を仰せつかつたのが、森の石松(森繁久彌)。酒飲むな、喧嘩するな、博奕打つなの条件付きの旅といふ事で、渋る石松でしたが、一同がお金を出し合つた八両二分を受け取り旅立ちます。

 道中、浜松の政五郎(水島道太郎)なる男と知り合ひ意気投合。惚れた女がゐるから「俺は、死なねえよ」を繰り返します。金比羅様に刀を奉納した石松、例の八両二分を蕩尽するため、その足で色街へ向かひ、儚い美しさの「夕顔」(川合玉江)といふ遊女に一目惚れします。別れ際には手紙を貰ひ、相思相愛である事が判明、身受山鎌太郎(志村喬)の尽力で夕顔を身請けし、石松と夫婦にさせる事に。
 一方讃岐を後にした石松、都田一家の吉兵衛(上田吉二郎)一味の卑怯なる闇討ちに遭ひ......

 本作は完全に森繁の石松を主人公にして、クレジットも森繁がトップになつてゐます。次郎長の小堀明男は完全な脇役。「仁義なき戦い」シリーズで云へば、差し詰め「広島死闘篇」に相当するでせうか。無茶な比較か。元は「石松開眼」といふタイトルを考へてゐたマキノ監督ですが、東宝が勝手に「海道一の暴れん坊」といふポスタアを作つてしまつたので、断念したといふ事です。

 馬鹿だが純情な石松の一挙手一投足に注目したい一作であります。身受山鎌太郎が法事で五両置いたのを、勝手に二十五両と書き、その差額分は次郎長親分から渡された路銀から出し、親分が「本当は呑んでも好いんだ」と飲酒を許可しても「俺は呑まねえよ」と馬鹿正直。浜松の政五郎とのやり取りも良い。「お藤」のエピソードも名場面と存じます。政五郎は明日の石松の姿そのものです。

 夕顔との刹那的な交情も切ない。石松が風呂に入つてゐると、夕顔が背中を流しますと入つて来るシーンでは、純情な石松はあたふたしてますが、見る此方もドキドキするのです。全くいやらしさがなく、寧ろ初々しい爽やかさを感じていい気持になります。夕顔の川合玉江さんは知名度は低いかも知れませんが、不安さうな、幸薄い表情が絶品の演技を見せてゐます。マキノ監督以外だつたらここまでの効果はあつただらうかと。
 この人、「ゴジラ」では大戸島の娘として登場しました。大戸島近海で遭難事件が連続した原因を、古老の高堂国典が「やつぱり、ゴジラかもしんねえ」と呟くのを、「今どきそんなものいるもんかよ」と馬鹿にしたやうに返す娘さん役です。

 鎌太郎が夕顔の手紙を見つけ、夕顔の心根を知るや、石松に迫るところも名場面。この志村喬、瞬間湯沸かし器のやうに直ぐに怒鳴るけれど、この映画での最大の貢献者かも知れません。娘役のおみのを演じた青山京子もまだ可憐な時代です。後の小林旭夫人。ところで、志村がこれだけ出番があるといふ事は、「七人の侍」の撮影は終つたのでせうか。

 闇討ちに遭つた石松が無念の死を迎へるその瞬間、彼の眼が開き、森繁久彌としては一世一代の名演技と申せませう。再会した政五郎に、今度は自分が「俺は死なねえよ」を繰り返す石松に涙涙。そんな事は知らぬ鎌太郎と身請された夕顔の晴れやかな顔が、清水を目指して東へ進む(又も涙)。それと対比するやうに、石松の一大事を知り西へ急ぐ次郎長一家の面面。ラストシーンまで画面から目が離せぬ一作であります。夥しい数のマキノ作品の中でも(無論全部見た訳ではないですが)、かなり上位に来る出来ではないでせうか。是非リマスタアしてブルーレイ出して下さい。

2022/02/12

2022/02/12

78点

VOD/Amazonプライム・ビデオ 


森の石松の讃岐行きの話

シリーズ最高傑作とされるが、物語が良いのであって
森繁が格別うまいわけでもない
やはり志村喬の存在が全体を締めている
越路吹雪もなかなか良い

2021/07/07

2021/07/08

95点

レンタル/埼玉県/ゲオ 


映画を見る幸せ。

マキノ映画が好きでよく見る。マキノ映画の特徴は、映像が歌うように、踊るように、流れるように展開するところである。次から次へ展開するそのリズムに乗せられ、話術に乗せられ、心底心地よく、映画の中に没入していく。これこそが、映画を見る幸福感に浸るというものだろう。シリーズ中でも、最高傑作の誉れ高き第8作。森繁久彌の森の石松全開の話である。
お蝶、豚松の法要で幕を開け、江戸から次郎長の刀を金毘羅に奉納し、そこの女郎との純愛日記、その後の道中での出来事、事件の顛末が描かれる。コメディラインと純愛ライン、アクションシーン取り混ぜて、飽きることがない。盆踊り、突然の雷雨、そして悲劇へ突入していく、映画の呼吸。もはや伝説となった、石松開眼の圧倒的迫力。
ラストは夕顔の身請けの晴れやかな輿入れシーンにかぶらせて、石松の仇をと東海道の砂浜を走る次郎長一家。まさに風雲急を告げる怒涛のラスト。森繁石松の追悼の無念な思いが去来する。
これぞ映画。これこそ映画。

2021/03/29

2021/03/29

70点

レンタル 


森の石松の話ばっかり。なんだかスピンオフの映画を観ているみたい

クレジットタイトルで森繁久彌が一番右、左に小堀明男、越路吹雪の一枚看板。森繁が出演者の中で一番の格上になったことを知らしめる。

この回は全面的に森の石松が主役という作品になった。
ここでもはつらつとした森繁の演技がすごく良い。後の当たり役社長シリーズよりも良い。バカだけど気が良い男を森繁が乗りに乗っていることがこちらにも分かる。

そして戦前の日活時代からマキノ雅弘監督の映画に出演していた志村喬の登場で映画がグッとひきしまる。

森繁とのやりとりがこの映画の一番の見せ場で、志村が森繁を支えて、面白い。

この映画のラスト。石松がズタズタにされて戻ってくる。が、息が絶える石松を発見するものがいない。

それに反して、石松が惚れた女郎を見受けする志村喬。志村が「石松は幸せもんだ」と晴れ晴れとした表情が映し出される。

この対比でグッとくる。石松の死の悲惨さがより強調される。うまいですねえ、マキノ雅弘監督。

2021/03/23

85点

映画館/東京都/ラピュタ阿佐ヶ谷 


マキノ正博の時代を彷彿とさせる傑作

傑作と名高い本作。間違いなく傑作なのだが、この東宝”次郎長三国志”シリーズの傑作ならば5部である『甲州路殴込み』こそ相応しい。この8部は次郎長三国志の傑作ではなく、マキノ雅弘の傑作時代劇なのではないかと思う。7部のラストの1年後から物語は始まるが、この次郎長一家の物語は既に1年前に終わったといってもいい。今回の主役は森繁の演じる森の石松であり、志村喬の登場が日活、京都で活躍していたマキノ正博の時代を思わせる。それこそ、本作は森繁という名優を得たマキノ正博作品と言ってもいいのではないか。少なくとも、この次郎長シリーズの中で、この8部だけが練られたシナリオの存在を感じるし、石松の色恋話として全編にわたり一貫したドラマがある。

義理を優先する渡世人の命は軽い。その結果、母親、許嫁を泣かせることばかり。そんなヤクザだった石松の変化と「俺、死なねぇよ」という台詞。もう最高。マキノお得意の作劇である。他にも石松が恋やら愛やらを人に尋ねるシーンも素晴らしい。殺してやる。死ねねぇ。このやりとりだけでも本作は傑作であるし、藤の花にしろ、この8部はとことん画がいい。マキノ流に言えばヌケが抜群なのだ。結論から言えば”1、スジ。2、ヌケ。3、ドウサ”。このマキノメソッドのすべて揃った傑作だった。女郎屋でみせる石松の猿芝居の姿から、森繁に芝居を見せるマキノ雅弘自身の姿も見える。もうマキノ映画好きとしては大満足。あの終劇の儚さも見事。

この特集中、もう一度は劇場で見たい。さすがマキノ雅弘である。

2020/06/01

2020/06/01

83点

購入/DVD 


余談2題

余談その1 :水島道太郎の話
1984年9月3日に東京京橋のフィルムセンターが火災に遭って暫く休館していたが、11年を経て1995年5月12日同じ場所に新しく建て替えられて再出発することになった。再開記念に「マキノ雅広(雅弘)の世界:「次郎長三国志」と「日本侠客伝」」が5月12日から5月末まで催されるとの記事を新聞で見つけた。次郎長三国志第8部のニュープリントを観たのはこの時が初めてである。観終わってフィルムセンターの出口で、この映画に出ていた水島道太郎氏に出会った。声をかけたら、「いやぁ、懐かしいなぁ、私も20年ぶりですよ」と気さくに応じてくださった。水島さんの連れの女性の方が写真を撮ってくれて、後日、届けられた。私にとって俳優さんとの唯一のツーショットで、今でも大事にしている。俳優やタレントに自分から声をかけたのはこの時だけである。私としたことがこういう珍しいことをしたのは、この映画を観終わったときのいつにない高揚感がそうさせたのだろうと思う。

余談その2 :女の視点の話
この映画は中村錦之助でリメークされている。ほぼ同じ展開であるが、出来栄えは、互角の勝負と言いたいところだが、森繁久弥の本作の方が大人の味わいの深さがある。マキノさんは凄い監督だなぁと思わず唸ったワンショットが錦之助の作品には欠落しているのである。遊女夕顔が港で石松を見送ってフェイドアウトした次のショットである。廓の女たちに交じって、色街の喧騒の中で、客待ちしている夕顔(川合玉江)の何かを見つめているアップからカメラはユックリ引いていく。初めて人として気持ちの通じ合った石松と別れた翌日には、再び苦界に身を沈めた生活がこの女性に始まることを暗示する残酷なショットである。無名で終わった川合玉江が見せた一世一代の名演がここにある。このショットの有る無しで作品の重みが随分違ったと思う。東映作品は石松と夕顔の別れのシーンから近江の湖岸(見受山鎌太郎の地元)のシーンに繋がる。悲しくて綺麗な絵物語で錦之助の名演もあって悪い出来ではないが、森繁の本作は、夕顔を通して女の哀しみや残酷な現実が色濃く出ていた。やっぱり本作は東宝の映画なのである。