久しぶりにまた観た。改めて知ったこと感じたこと。
小津安二郎監督は外国の監督からもその映像表現が参考にされるし、松竹の師匠で山田洋次監督はその筆頭でしょう。(東京家族は本映画をオマージュして制作した)
独特の屋内の決まり切った撮影ポジションや笠智衆の一本調子の話し方など賛否両論があるが、やっぱりこの作品は日本を代表する名作です。
改めて気づいたこと。
①尾道から東京へやってきた周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が到着して「東京のどの辺りじゃの・」と尋ねると「端の方よ」と答える。さてどの辺り?と映像に注目すると「かねがぶち」の駅が。近かったが、医院を営む長男康一(山村聰)の住居の最寄り駅は、もう一つ先の東武伊勢崎線の堀切駅でした。正式住所は足立区ですが、荒川区、台東区、墨田区の境目の地域。やはり田舎から出てきた人間は世田谷や杉並などの山野手に家を持つのはきつかったのでしょう。
とみが孫の勇を連れて散歩に出た土手は近くの荒川の土手。遠くに見得た鉄橋は京成本線の堀切橋でした。
②それにしてもエリート一家か?
2-1;長男幸一が尾道の田舎から東京へ出て医者になり東京で開業。当然東京の大学でしょう。その費用は?
映画の後半、とみの葬儀の後で語る周吉の言葉に「市の教育課長」をしていたとのこと。公務員の給料は安かったがやはりインテリの家系だったのですね。
2-2;デパートのお子様ランチが好きと言う孫たち。やっぱり田舎とは違う。
2-3;電話が引かれている。周吉の家にも、美容院を経営する長女志げ(杉村春子)の家にも電話が。1950年前半に田舎には無かったです。当然尾道にもないので、危篤の連絡も「電報」だった。当然。
③長女志げはケチで薄情
・「夕食は?」「すき焼きでも」「刺身くらいつける」「いらないいらない」
・東京見物に連れていけなかったので「熱海でも」と「格安チケットあるから」
・「お兄さん。喪服持ってゆくよね」
・母の形見分けを真っ先にもらおうとする。
④東京見物
結局東京見物の付き添いのお鉢は、紀子(原節子)に回ってきた。
屋上から紀子は、兄・姉や自分の家の方向を教えるシーン。松屋デパートの屋上でした。
上野寛永寺;周吉が「広いもんじゃなあ東京は・・・」
結局人間的にやさしいのは一番紀子、二番独身で地元で学校の先生をしている、京子(香川京子)。周吉は、紀子に向かって「もういいから新しい人と結婚しなさい・・」と言うが、当然です。かわいそうですが、地元に居る京子が面倒を見ないといけないでしょう。兄弟げんかが発生するでしょうね。
疑問1;なぜ次男昌二だけが招集されて戦死してしまったか?
疑問2;幸一が東京見物に行こうとする日(当然日曜)、緊急の往診依頼で見物キャンセル。日曜日休診では?もし出かけていたら、往診できなかったと思えば。いい医者なんでしょうね??