生きる(1952)

いきる|Doomed|----

生きる(1952)

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レビューの数

141

平均評点

84.6(788人)

観たひと

1252

観たいひと

122

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1952
公開年月日 1952/10/9
上映時間 143分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング
カラー モノクロ
アスペクト比
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督黒澤明 
脚本黒澤明 
橋本忍 
小国英雄 
製作本木莊二郎 
撮影中井朝一 
美術松山崇 
音楽早坂文雄 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演志村喬 渡邊勘治
金子信雄 渡邊光男
関京子 渡邊一枝
小堀誠 渡邊喜一
浦辺粂子 渡邊たつ
南美江 家政婦
小田切みき 小田切とよ
藤原釜足 大野
山田巳之助 齋藤
田中春男 坂井
左卜全 小原
千秋実 野口
日守新一 木村
中村伸郎 助役
阿部九洲男 市会議員
清水将夫 医師
木村功 医師の助手
渡辺篤 患者
丹阿弥谷津子 バーのマダム
伊藤雄之助 小説家
宮口精二 やくざ
加東大介 やくざ
菅井きん 主婦

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

黒澤明の「白痴」に次ぐ監督作品。脚本は「羅生門」の共同執筆者橋本忍と「海賊船」の小国英雄とが黒澤明に協力している。撮影は「息子の花嫁」の中井朝一。出演者の主なものは、「戦国無頼」の志村喬、相手役に俳優座研究生から選ばれた小田切みき、映画陣から藤原釜足、千秋実、田中春男、清水将夫その他。文学座から金子信雄、中村伸郎、南美江、丹阿弥谷津子。俳優座から永井智雄、木村功、関京子。新派では小堀誠、山田巳之助などである。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

某市役所の市民課長渡邊勘治は三十年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男だったが、その日初めて欠勤をした。彼は病院へ行って診察の結果、医師からは胃潰瘍と告げられたが、胃ガンで余命いくばくもないと悟った。夜、家へ帰って二階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた二人の声が聞こえた。父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。勘治は息子の光男が五歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。屋台の飲み屋でふと知り合った小説家とそのまま飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよとばったり出会った。彼女は辞職願いに判をもらうため彼を探し歩いていたという。なぜやめるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの娘は、「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。そう言われて、彼は初めて三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。これでいいのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。その翌日から出勤した彼は、これまでと違った目つきで書類に目を通し始めた。その目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立陳情書」であった。それから五ヶ月後、勘治は死んだ。通夜の席で同僚たちから、勘治の思い出が語られる。彼の努力で、悪疫の源となっていた下町の低地に下水堀が掘られ、その埋立地の上に新しい児童公園が建設されていった。市会議員とぐるになって特飲街を作ろうとしていた街のボスの脅迫にも、生命の短い彼は恐れることはなかった。新装なった夜更けの公園のブランコに、一人の男が楽しそうに歌を歌いながら乗っていた。勘治であった。雪の中に静かな死に顔で横たわっている彼の死骸が発見されたのは、その翌朝のことであった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1983年11月上旬号

特別企画 [黒澤明の全貌]によせて 第1回 私の黒澤映画:「生きる」

1963年4月号増刊 黒沢明<その作品と顔>

シナリオ:生きる

1952年9月上旬号

スタジオ訪問:黒澤明監督「生きる」の撮影を見る

1952年6月下旬号

グラフィック:生きる

1952年6月上旬号

日本映画紹介:生きる

1952年4月上旬特別号

特別掲載シナリオ:生きる 黒沢明監督作品

2024/01/08

2024/03/06

85点

テレビ/無料放送/NHK 


志村喬

ネタバレ

がんで余命を知った市役所の課長が、無為な人生を後悔し、公園建設に命を懸ける物語。
黒澤明監督。黒澤明、橋本忍、小国英雄脚本。

有名な作品。一部を見たことはあったが、全編を通して鑑賞するのは初めて。昨年の英国によるリバイバルがほぼ本作のとおりであったことを知る。

主人公の渡辺課長は胃がんで余命わずかであることを悟る。医者は胃潰瘍だと言い、ただ、治療はしなくてもよいと告げる。待合室で病気の主のような男が訳知り顔に語った聞かせた、胃がんの時の医者のセリフそのまま。

ここから、本作は自分の人生の意味を見つけようとする男の話になる。
人間って、いつかは死ぬと知っていながら、死ぬことを忘れて生きている。そうやっているので、つまらない日常でも耐えられる。週に一度でも良いことがあれば十分。

主人公の仕事がいかにつまらないこと(なんの役にもたたない)かを序盤できっちり語る。住民の陳情を、面談することもなく、あっさり他の課に回す。たらいまわし、ですな。
そして、彼の背後に詰まれた書類の山。これが、彼らの積み残した仕事の残滓の象徴として映る。誇らしい成果でもなく、やらなかった証でしかないので、誰も見ようともしない。埃にまみれるまま、しずかに朽ち果ててくれるのを、彼らは待っている。

そんなぐうたらな人生に気づいた渡辺は、これまでの自分に何かないかと探すのだが、大きな成果といえる息子は、父のそんな思いを感ずることもない。

そこから、彼の迷走が始まり、その挙句に、公園づくりに走り出す。そうして、葬儀の場面に飛躍して、職場の部下たちにより彼の最後の日々が語られてゆく作劇が斬新。

当時はガンなんて告知はされなかった。自身の余命を悟った渡辺は幸運だったのだろう。胃潰瘍だと思いながら、これまでの日常のままで死を迎えたら、渡辺はどう思ったのだろうか。

リメイクするなら、余命を知らぬまま死んでゆく姿を描いてみるのは、どうか。これは、とても不幸で悲惨な物語になる、のかもしれない。
今は、ほとんど本人告知をされるから、知らぬまま亡くなる不幸は無い。治る確率も高くなっているしね。
ガンは不治の病ではなくなっている。これが当時と、今の大きな違いだろう。

本作の志村喬の演技は鬼気迫るものがあって、怖いくらいだ。これを名演と呼ぶべきものだろうけど、正直、やりすぎの感がある。
そして、彼の佇まいが、「千と千尋の神隠し」のカオナシにみえてくる。宮崎駿は、この渡辺をモデルにした、というわけではないだろうと思うが。

2024/02/16

2024/02/24

96点

テレビ/有料放送/衛星劇場 


地味な内容だからこそ観客を引き寄せるテクニックが目一杯盛り込まれた宝庫になっている

ネタバレ

テクニック1 
話の持って行き方(ストーリー展開)が物凄く上手い。我々観客と主人公との距離の置き方が次々に変化していく。
最初にナレーター(プロデューサーの本木荘二郎らしい)によって、主人公自身が未だ知らない彼の病状を観客は先に教えられる。そして、いかにして主人公は自分の病名を知るに至るのか、愁嘆場が予想されるところを、病院の患者渡辺篤を登場させることによって逆に軽喜劇風に展開させる。テクニックの最たるものである。
病名を知って一度は意気消沈した彼が生きがいを見つけ出して動き出すところまで順を追ってスピーディに描いていきながら、次の場面は彼の位牌が飾られているお通夜になって、流暢な映像の流れに突然ブレーキをかける。急激なトーンの転調が観客の心理を引き締める。

テクニック2
主人公が癌であることを知って意気消沈しているとき、飲み屋で小説家(伊藤雄之助)と出会って夜の享楽の世界へ誘われる。後に「天国と地獄」で見せる対位法的な転調の効果を見せて飽きさせない。

テクニック3
意気消沈しているときに出会った娘(小田切みき)が市役所同僚のあだ名をつけている。坂井(田中春男)のあだ名を「鯉のぼり」と付け、「鯉のぼりは、ペラペラフラフラ、口先ばっかりで中身は空っぽ。それにね、お高くとまっているところも似ているわ」。
この映画の出来の良さや表現の深さを一つだけ指摘しろと言われれば、このセリフを挙げでも良い。鯉のぼりの特徴を通して坂井という職員の人物評を述べているが、比喩の機能が重層化されている。坂井個人を細かく描いたり、性格を説明するシーンなど皆無で、鯉のぼりによって坂井の特徴を描く。坂井の特徴を情報として観客に伝えるよりも、この会話によって主人公と娘の心の交流が深まっていく経過を描いて、セリフと映像に齟齬を生じさせる。齟齬が観客の心理を引き締める。

テクニック4
金子信雄と関京子が主人公志村喬の息子夫婦を演じている。2人は外で飲んできたらしくご機嫌で帰宅する。父親の退職金を当てにして家を買う話をしている。もしこの話に父親が応じなければ、「別々に暮らそう」と言ってみるのが親父には一番効くと息子は言う。妻は笑う。シビアな会話である。笑いながら電気を付けようとしたら、其処に父親が居た。「嫌だわ、すっかり聞かれちゃって」と妻は嘆く。「良い気になって悪い話をしちゃったなぁ」とはならない。寧ろ「お父さんも随分ねェ、いくら自分の家だからといって、此処は私たちの部屋よ、留守の間に黙って上がり込んで、あんまりだわ」と父親の方が悪いような言い方になる。息子もそれに同調する。「悪いこと言っちゃったかなぁ」とか軌道修正しない。この場面の二人のセリフは暗がりで父親に遭遇して驚いたセリフでありながら、3人の関係性が見えてくる仕組みになっていて、軽いやりとりが意味の深い内容になっている。齟齬が観客の心理を引き締める。

テクニック5
ジャズバーに市村俊幸がピアニスト、日劇の倉本春枝がダンサーで特別出演している。黒澤明の映像が煌(きら)びやかで、天井の鏡の使い方など「天国と地獄」での伊勢崎町の大衆酒場を連想させる。
ストリッパーのラサ・サヤは本職の踊り子で黒澤明のご指名による出演らしい。煌びやかなジャズバーの喧騒から一転して緩やかなラテン系リズムで踊るストリップシーンはこの映画には珍しい艶やかな情感を惹き出している。踊りのシーンをワンカットで撮られていることが凄い(このシルエットのような逆光のシーンはポスターでの起用も含めて海外では意外と関心を深めていたと聞く)。
こういうメリハリの付け方が作品全体の流れを引き締めている。


テーマは
通夜の場面は官僚の縮図であるが、同時にもっと普遍的な日本人の縮図でもある。右に振れるのも左に振れるのも有象無象が群れをなして同じ方向に振れていく。ここでは主に助役の中村伸郎と糸ごんにゃくの日守新一が話の展開にメリハリをつけている。


ゴシップ風に、
丹阿弥谷津子と金子信雄が顔は合わさないが、同じこの映画に出ている。2年後に「山の音」(成瀬巳喜男監督)にも、やはり顔を合わさないが2人が出演している。2人は実生活では夫婦である。その後は文芸作品とアクション映画と、出演する方向が分かれてしまって共演することは無くなった(はずである)。2人は金子信雄が亡くなるまで37年間連れ添った。

小泉博は市村俊幸がピアノを弾く場面に顔が奥の方に見える。

青山京子は誕生パーティーに出席している。すぐには分からないが、吉永小百合に似た雰囲気の女子高校生役である。

「七人の侍」のメンバーで三船敏郎、稲葉義雄以外の五人が出演している。木村功は若い医師、宮口精二と加東大介は助役室前に登場する暴力団風の男、千秋実は主人公の勤める市民課でハエトリ紙とあだ名を付けられた職員で登場する。

2024/02/16

2024/02/16

90点

VOD/U-NEXT/レンタル 


志村喬の表情が忘れられない

ネタバレ

「命短し、恋せよ乙女・・・」

この歌は、本作のキーだ。胃がんのため余命いくばくもない主人公が幾度か口ずさむ。特に主人公を演じる志村喬が、雪の中ブランコを漕ぐ有名なシーンで歌われるのが印象的だ。彼は何を思ってこの歌を口ずさむのか?

市役所の市民課長である渡辺は、毎日役所で無為にハンコを押すだけの生活に満足しているようだ。若い女子職員からは密かに「ミイラ」とあだ名されている。若くして妻を亡くし、その後は1人で息子を立派に育て上げた自負もある。市役所の仕事は完全な官僚主義で成り立ち、市民の陳情はたらい回しにされ、誰も責任を取らない。それが普通であり、誰も疑問に持たない。長い者には巻かれろ・・・、無難に給料をもらえればそれで十分だ。だが、そんな退屈なお役所仕事を辞めたいと考える若者もいる。

本作は、余命いくばくもない主人公が、死ぬ前に何かをやり遂げる姿を描くヒューマンドラマである。無気力に生きてきた人生を顧みて、残された余生を精一杯“生きる”中年男の姿を描き、感動を呼ぶ。しかし、本作は単なるお涙頂戴の物語ではない。本作には官僚主義への批判や、人間の愚かさや滑稽さを、痛烈に皮肉っている点で、映画史に残る傑作たらしめているのである。まさしく“世界のクロサワ”の代表作の1本としてふさわしい作品だ。

渡辺が自分が癌であることを悟る病院のシーンから既に滑稽だ。この時代はまだ患者に癌宣告の義務がなかったため、普通医師は患者に癌であることを隠す。しかし渡辺は待合室でおせっかいでおしゃべりな男がペラペラまくしたてる癌患者の症状を聞いて自分が癌であることを悟る。案の定医師は単なる胃潰瘍ですと渡辺に告げる。下手なコメディー映画なら、それが早とちりで、本当は癌でもなんでもなかった、というオチになりそうな展開だが、裏をかいて(?)、本当に渡辺が癌であるというのが巧い。一人息子にそのことを告げようとした矢先、息子は妻と親父の退職金で家を建てて別居しようと話したりして、父親を邪魔者扱いしていることが分かる。彼は自分が癌であることを家族や職場にも告げず、孤軍奮闘することになる。

「命短し、恋せよ乙女・・・」

渡辺がこの歌を口ずさむのは、自分の命が短いからか?彼は、無邪気で真正直な小田切とよのはつらつとした若さに惹かれる。とよ本人から「老いらくの恋?」と言われて気持ち悪がられるが、この歌のように本当に、自分の命が短いことを知って、最後の恋をしようとしたのだろうか?いや、渡辺はとよを女性として恋したのではない、彼女の若さや前向きさに惹かれたのだ。それは今の自分には無いものだ。自分を犠牲にして子供を育ててきたのに、その息子から邪魔者扱いされて落胆する渡辺に、「息子さんの人生は息子さんのものだ」ととよに言われて、これまで自分の人生を歩んでこなかったことに気づく。さらに、工場で動くぬいぐるみのおもちゃを造っているとよは、何かを造ることは楽しいことだ、課長さんも何かを造ればいいと助言(?)してくれる。それを聞いた渡辺は、市民のための公園を造ろうと決心するのである。

上記のように、本作がジメジメしたお涙頂戴物語とならないのは、公園建設のための渡辺の努力をストレートに見せないところだ。公園建設を決意した次のシーンで、渡辺は既に亡き人になっている。渡辺の努力は通夜の席で同僚たちから語られるのである。この通夜のシーンが実に面白い。市の助役や役所の幹部が、公園建設の手柄を横取りし、通夜の席で大きな顔をしているところに、役所に公園建設を陳情した市民たちが、霊前で涙を流す。市民たちはちゃんと知っているのだ。いたたまれなくなったお偉いさんたちはそそくさと帰って行く。興味深いのは、渡辺の功績は知られていても、渡辺が余命をつくしたということを誰も知らないことだ。渡辺の部下は、渡辺の功績が上役に横取りされたことを悔しがる、渡辺さんも草葉の陰で悔しがっているだろうと・・・。そうではない、渡辺は悔しがってなどいない、人生で初めて本当に意義のあることをやり遂げ、悔いなくこの世を去ったのだから・・・。

「命短し、恋せよ乙女・・・」

『ゴンドラの唄』は大正時代にヒットしたラブソングだ。もしかしたら明治生まれの渡辺にとっては、若い頃の思い出の歌かもしれない、今は無き妻との・・・。渡辺は自分が尽力した公園のブランコでこの歌を口ずさむ。最高に幸福だったに違いない・・・。

名優志村喬の渾身の演技が観る者の心を奪う。冒頭、役所でハンコをついている時の死んだような目が、余命を悟って絶望するとギラギラと怪しく光る。やがて公園の建設が始まるとその目はキラキラと希望に輝くのだ。工事現場で転んだところを住民たちから助けられ、もらった水を飲む志村喬の表情が忘れられない。その表情と共に、私の頭には『ゴンドラの唄』がいつまでもリフレインしている・・・。

「命短し、恋せよ乙女・・・」

2024/02/12

2024/02/12

65点

選択しない 


孤独な主人公が切ない(^^;;

胃癌で余命半年、となったらどうするだろう。タイトルずばり、生きざまを問うストーリーですが、主役は役所の市民課長。ドラマティックな話にせず、葬式に集まった周囲の人々で語るのへ面白い趣向でした(^^;;

しかし役所の縦割りを風刺しているものの、実際に5ヶ月で公園ができるなんてことはありえない(^^;;まあ、寓話として捉えるにしても、もう少し覇気を見せてほしかった気はします(^^;;

2024/01/15

2024/01/23

86点

VOD/U-NEXT/レンタル/テレビ 


引き込まれるとはこのこと

志村喬の演技にとことん引き込まれる。死ぬと知った人全てがこう出来るわけではないかもしれないが、時折り思い出したい映画。陰影や沈黙と沁みる演出もたまらない。通夜でのセリフの応酬で浮かび上がる渡辺の他者から見た人物像と官僚たちの描き様もうまい。個人的に、素晴らしき哉、人生!と並ぶお気に入りの一作になりました。

2024/01/21

2024/01/21

55点

テレビ/無料放送/NHK 


構成は面白い。

ネタバレ

市民課長の渡辺勘治は、昔の情熱を忘れ、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、市民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。ある日、体調不良のため医師の診察を受けた渡辺は、医師からは軽い胃潰瘍だと告げられるが、実際はで胃癌で余命いくばくもないと悟る。死への不安、妻が早逝してのみ男手ひとつで育てた息子の自分への無関心。これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、役所を無断欠勤して貯金を下ろし、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内で歓楽街を巡る。しかし一時の快楽は虚しさだけを彼に残す。翌日、渡辺は市役所を辞めるための判子をもらいに来た部下の小田切と偶然会う。生命力に溢れた小田切に渡辺は惹かれ、何度か彼女を食事に誘うようになる。そんな渡辺を訝る小田切に、自分が胃癌で余命いくばくもないことを伝えると、小田切は自分が転職先の工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と勧める。その言葉に突き動かされ「自分にもまだできることがある」と気づいた渡辺は、次の日から市役所に復帰し、棚上げされていた市民の陳情を取り上げ、公園を作るために仕事に邁進する。
5か月後、渡辺は死んだ。かねてから市民が望んでいた公園は完成したが、手柄は助役のものになっていた。しかし公園の近隣の主婦たちが焼香に訪れ、渡辺の遺影の前で啜り泣く姿を目にした助役らは気まずくなり腰を上げる。通夜の席に残った市役所の同僚たちは、急に人が変わったように仕事にのめり込んでいった渡辺の話を始め、自分たちも渡辺に続かなければならないと口々に言い合う。しかし翌日の市役所では、何一つ変わらない「お役所仕事」が続いているのだった。

気にかかりながらもこの歳まで観る機会がなかった本作。たまたまTV放送があるのを知り、観てみた。構成が面白い。主人公がわりと早めにあっさり死んでしまい、そこから周囲の人間たちの話から、渡辺が余命を察してから死ぬまでの間に時間が巻き戻されていく。渡辺が「覚醒」するシーンでは、学生たちが仲間の誕生日を祝ってハッピーバースデーの歌を歌い、それが渡辺の人生のリセット(生まれ直し)を祝福するように響く。彼の覚醒スイッチを入れたうさぎの玩具が葬式の席でちゃんとお供えされているのも気が利いている。昔のパチンコやキャバレーなど夜の歓楽街の様子も興味深い。そうした部分に見所はあるが、はっきり物を言わない渡辺、同じ話を延々と繰り返す同僚など、現代の感覚ではまどろっこしくてイライラしてしまうシーンが多い。天塩にかけて育てた子どもが親を顧みなくなる虚しさ、官僚主義への批判的眼差しなど、テーマも特に目新しくはない(当時はそうではなかったのかもしれないが)。現在でも脈々と続いている「お役所仕事」。これは役所や警察などの査定が減点法であることが原因だ。何か新しいことをしようとして失敗すれば出世コースから外れてしまう。だから出世したければ自分からは何もせず、上から言われたことだけを粛々とやっていれば良いというという考えが生まれる。酒を飲んだ勢いで気焔を吐いても、すぐに元の木阿弥。下の人間も瞬間的には怒りを露わにするが、すぐに諦めてしまう。それでも渡辺のしたことは無駄ではないことが、公園に響く子どもたちの歓声に現れていてそこが救い。雪の公園でブランコを漕ぎながらゴンドラの唄を口ずさんでいた渡辺の最期の時間は満ち足りていたのだろうか。

いわゆるドブネズミ色の背広を着込んだ男たちの中、「こんなところにずっといたら息が詰まっちゃう」と言って市役所を辞める小田切のキッパリとした物言いと明るさが本作では清涼剤だ。彼女とてただの能天気な女ではない。穴の空いた靴下を買い替えるお金もない貧しさの中、懸命に生きている。だからこそ彼女の食べっぷりや笑顔は渡辺を癒したのだ。(親戚の男や息子夫婦には下司な想像をされていたようだが。)

昔の日本映画は録音技術が良くなかったせいか台詞が聞き取りづらいことが多いので、字幕を出して観るのがおすすめ。