主人公の胃袋のレントゲン写真から始まる印象的な幕開け。
どうやら主人公の渡邊には胃癌の兆候が見られるが、本人はそれを知らないようだ。
市役所の市民課長を務める彼は覇気がなく、事務的に、機械的に仕事をこなすだけで、まるで生きているとは言えない。
主婦たちが下水溜まりの事で陳情に訪れるのだが、渡邊は素っ気なく「土木課」と答えるだけ。
そして他の課も自分たちの仕事ではないと主婦たちをたらい回しにする。
非情だが滑稽な場面でもある。
とにかく脚本の上手さに唸らされる作品だ。
前半は市役所の振る舞いも含めてコメディ的な展開が続く。
例によって胃癌であることを知らない渡邊は、胃の不調を訴え病院を訪れる。
すると居合わせた患者の一人が、「胃癌といえば、死刑の宣告と同じことですからな。医者は大抵軽い胃潰瘍だと言うんですよ。そう言われたらまず長くて一年。」等と言って散々に渡邊を脅かす。
そして渡邊が診察を受けると、まさに先ほどの患者が言ったことと同じ診断を下され、渡邊は絶望の淵に追いやられる。
そして医者は裏で渡邊の余命は持って4ヶ月だと助手に話す。
息子夫婦が帰宅すると渡邊は暗闇の中で思い詰めたようにうずくまっている。
その姿は鬼気迫るものがあって不気味だ。
どうやら息子の光男がまだ幼い時に、渡邊は妻を亡くしたらしい。
再婚を勧める話もあったが、渡邊は男手ひとつで光男を育てた。
愛する光男のために、彼は情熱を捨てて事務的に仕事に生きる道を選んだらしい。
しかし、そうまでして育てた光男は父親に対して冷たい。
自分の人生は何だったのか。
渡邊は思い切って無欠勤を続けていた市役所を休む。
そして自分の人生を取り戻すように大金を使って豪遊するようになる。
このあたりから渡邊の鬼気迫る姿がホラーチックに描かれるようになる。
彼は飲み屋で出会った小説家と慣れないパチンコや女遊びをし、市役所の部下である娘ほど年が離れたとよに入れ込む。
「その…つまり…ただ」等と口籠りながら、とよに縋り付く渡邊の姿が情けなくもあり、恐ろしくもある。
傍から見れば執着する人間はとても不気味なのだと、改めて考えさせられた。
渡邊は光男にも告白できなかった、自分が胃癌であることをとよに打ち明ける。
彼はとよのように一日だけでも活気がある生き方をしたいと告げる。
とよは自分はただ働いているだけだと返す。
渡邊は全てが手遅れだったのかと絶望する。
が、直ぐにまだ遅くないことに気づく。
うっすら笑みを浮かべる彼の目には、もうとよの姿は映っていない。
彼は大急ぎで市役所へ戻り、冒頭で主婦たちが訴えていた問題を解決しようとする。
そして物語は一気に渡邊の通夜の場面へ飛ぶ。
彼の内面の事情など全く知らない市役所の連中は好き勝手に渡邊の生前の振る舞いを面白おかしく話す。
渡邊は主婦たちの訴えを受けて、町に公園を作るために奔走したらしい。
結果的に公園は作られたが、手柄は助役に奪われてしまったらしい。
渡邊は雪の降る夜に公園で亡くなったようだ。
死因は凍死ではなく胃癌。
初めは渡邊が何故人が変わったように仕事に熱を入れだしたのか、誰にも分からなかった。
しかし、次第に彼らは渡邊が自分の死期が近いことを悟っていたことに気がつく。
彼の死の真相を知った途端に、事務的に仕事をするだけだった市役所の連中が、急に生きる情熱を取り戻す姿は何とも皮肉に感じた。
が、その情熱もまた日常の中に忘れられていく。
結局、渡邊の死は誰にも影響を与えなかったのかもしれない。
それにしても伊藤雄之助、左卜全、藤原鎌足、木村功、千秋実、中村伸郎といった個性派俳優がズラリと並んでいるのに、ほとんど印象に残らないのが不思議だった。
それほど渡邊を演じた志村喬の存在感が素晴らしかったともいえる。
おどおどしているわりに、妙に距離感が近く、不気味なほどに恍惚とした表情を浮かべる渡邊の姿が強烈だった。
「私は、人を憎んでなんか居られない、そんな暇はない」
人は死を目前にして、初めて本気で生きることに目覚めることもあるのだ。
精一杯生きることは、精一杯死ぬことと同義なのだと思う。
後半の展開にはとても感動させられた。
特に渡邊がブランコを漕ぎながら『ゴンドラの唄』を口ずさむ場面は、映画史に残る名場面だ。