主人公はガンを宣告されて、死を受け入れます。そこに、恐怖がないように思われます。死ぬことに覚悟を感じるのです。それは、戦争があり、妻の死があるからでしょうか。私なら、平然としていられるかは、自信がありません。
それ以上に、彼には絶望があります。30年仕事をしています。ヒラではない、課長まで出世しています。息子を男の手一つで育てています。それでも、生きていた意味が見出せないのです。このまま死ぬことに、絶望しています。それを共有してくれるのが、小説家です。遊びに連れて行ってくれ、思わず「ゴンドラの唄」を口ずさみます。絶望のまま歌う様子に、私は涙が出そうです。
そんな彼に希望を与えたのは、職場の女職員です。若さ、活気に生きている意味を探します。そして、彼女とのデートで一つの結論が出るのです。
それは、余分なことを何もしないで成り立っているシステムの中で、回りと調整し、あへていつもと違う方向にもっていくことです。彼の場合、それは公園を作ることでした。やり遂げて、「ゴンドラの唄」の歌声は満足気に聞こえます。
葬儀のやりとりを見ていても、父親の行動を疑った息子をはじめ、職場の者たちは皆、胃がんまでは思いが馳せても、この絶望、希望、満足はわかりません。つくづく、人生は孤独なものだ、と知らされます。
志村喬をはじめ、伊藤雄之助、小田切みき、左卜全など演技は見事なものですが、若い頃の感動はなく、年をとったいやらしさか、それほど刺さらなかったです。