生きる(1952)

いきる|Doomed|----

生きる(1952)

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レビューの数

147

平均評点

84.6(814人)

観たひと

1277

観たいひと

123

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1952
公開年月日 1952/10/9
上映時間 143分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング
カラー モノクロ
アスペクト比
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督黒澤明 
脚本黒澤明 
橋本忍 
小国英雄 
製作本木莊二郎 
撮影中井朝一 
美術松山崇 
音楽早坂文雄 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演志村喬 渡邊勘治
金子信雄 渡邊光男
関京子 渡邊一枝
小堀誠 渡邊喜一
浦辺粂子 渡邊たつ
南美江 家政婦
小田切みき 小田切とよ
藤原釜足 大野
山田巳之助 齋藤
田中春男 坂井
左卜全 小原
千秋実 野口
日守新一 木村
中村伸郎 助役
阿部九洲男 市会議員
清水将夫 医師
木村功 医師の助手
渡辺篤 患者
丹阿弥谷津子 バーのマダム
伊藤雄之助 小説家
宮口精二 やくざ
加東大介 やくざ
菅井きん 主婦

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

黒澤明の「白痴」に次ぐ監督作品。脚本は「羅生門」の共同執筆者橋本忍と「海賊船」の小国英雄とが黒澤明に協力している。撮影は「息子の花嫁」の中井朝一。出演者の主なものは、「戦国無頼」の志村喬、相手役に俳優座研究生から選ばれた小田切みき、映画陣から藤原釜足、千秋実、田中春男、清水将夫その他。文学座から金子信雄、中村伸郎、南美江、丹阿弥谷津子。俳優座から永井智雄、木村功、関京子。新派では小堀誠、山田巳之助などである。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

某市役所の市民課長渡邊勘治は三十年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男だったが、その日初めて欠勤をした。彼は病院へ行って診察の結果、医師からは胃潰瘍と告げられたが、胃ガンで余命いくばくもないと悟った。夜、家へ帰って二階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた二人の声が聞こえた。父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。勘治は息子の光男が五歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。屋台の飲み屋でふと知り合った小説家とそのまま飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよとばったり出会った。彼女は辞職願いに判をもらうため彼を探し歩いていたという。なぜやめるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの娘は、「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。そう言われて、彼は初めて三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。これでいいのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。その翌日から出勤した彼は、これまでと違った目つきで書類に目を通し始めた。その目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立陳情書」であった。それから五ヶ月後、勘治は死んだ。通夜の席で同僚たちから、勘治の思い出が語られる。彼の努力で、悪疫の源となっていた下町の低地に下水堀が掘られ、その埋立地の上に新しい児童公園が建設されていった。市会議員とぐるになって特飲街を作ろうとしていた街のボスの脅迫にも、生命の短い彼は恐れることはなかった。新装なった夜更けの公園のブランコに、一人の男が楽しそうに歌を歌いながら乗っていた。勘治であった。雪の中に静かな死に顔で横たわっている彼の死骸が発見されたのは、その翌朝のことであった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1983年11月上旬号

特別企画 [黒澤明の全貌]によせて 第1回 私の黒澤映画:「生きる」

1963年4月号増刊 黒沢明<その作品と顔>

シナリオ:生きる

1952年9月上旬号

スタジオ訪問:黒澤明監督「生きる」の撮影を見る

1952年6月下旬号

グラフィック:生きる

1952年6月上旬号

日本映画紹介:生きる

1952年4月上旬特別号

特別掲載シナリオ:生きる 黒沢明監督作品

2025/03/13

98点

VOD/U-NEXT 


命短し恋せよ乙女

ネタバレ

主人公の胃袋のレントゲン写真から始まる印象的な幕開け。
どうやら主人公の渡邊には胃癌の兆候が見られるが、本人はそれを知らないようだ。
市役所の市民課長を務める彼は覇気がなく、事務的に、機械的に仕事をこなすだけで、まるで生きているとは言えない。
主婦たちが下水溜まりの事で陳情に訪れるのだが、渡邊は素っ気なく「土木課」と答えるだけ。
そして他の課も自分たちの仕事ではないと主婦たちをたらい回しにする。
非情だが滑稽な場面でもある。

とにかく脚本の上手さに唸らされる作品だ。
前半は市役所の振る舞いも含めてコメディ的な展開が続く。
例によって胃癌であることを知らない渡邊は、胃の不調を訴え病院を訪れる。
すると居合わせた患者の一人が、「胃癌といえば、死刑の宣告と同じことですからな。医者は大抵軽い胃潰瘍だと言うんですよ。そう言われたらまず長くて一年。」等と言って散々に渡邊を脅かす。
そして渡邊が診察を受けると、まさに先ほどの患者が言ったことと同じ診断を下され、渡邊は絶望の淵に追いやられる。
そして医者は裏で渡邊の余命は持って4ヶ月だと助手に話す。

息子夫婦が帰宅すると渡邊は暗闇の中で思い詰めたようにうずくまっている。
その姿は鬼気迫るものがあって不気味だ。
どうやら息子の光男がまだ幼い時に、渡邊は妻を亡くしたらしい。
再婚を勧める話もあったが、渡邊は男手ひとつで光男を育てた。
愛する光男のために、彼は情熱を捨てて事務的に仕事に生きる道を選んだらしい。
しかし、そうまでして育てた光男は父親に対して冷たい。
自分の人生は何だったのか。

渡邊は思い切って無欠勤を続けていた市役所を休む。
そして自分の人生を取り戻すように大金を使って豪遊するようになる。
このあたりから渡邊の鬼気迫る姿がホラーチックに描かれるようになる。
彼は飲み屋で出会った小説家と慣れないパチンコや女遊びをし、市役所の部下である娘ほど年が離れたとよに入れ込む。
「その…つまり…ただ」等と口籠りながら、とよに縋り付く渡邊の姿が情けなくもあり、恐ろしくもある。
傍から見れば執着する人間はとても不気味なのだと、改めて考えさせられた。
渡邊は光男にも告白できなかった、自分が胃癌であることをとよに打ち明ける。
彼はとよのように一日だけでも活気がある生き方をしたいと告げる。
とよは自分はただ働いているだけだと返す。
渡邊は全てが手遅れだったのかと絶望する。
が、直ぐにまだ遅くないことに気づく。
うっすら笑みを浮かべる彼の目には、もうとよの姿は映っていない。
彼は大急ぎで市役所へ戻り、冒頭で主婦たちが訴えていた問題を解決しようとする。

そして物語は一気に渡邊の通夜の場面へ飛ぶ。
彼の内面の事情など全く知らない市役所の連中は好き勝手に渡邊の生前の振る舞いを面白おかしく話す。
渡邊は主婦たちの訴えを受けて、町に公園を作るために奔走したらしい。
結果的に公園は作られたが、手柄は助役に奪われてしまったらしい。
渡邊は雪の降る夜に公園で亡くなったようだ。
死因は凍死ではなく胃癌。
初めは渡邊が何故人が変わったように仕事に熱を入れだしたのか、誰にも分からなかった。
しかし、次第に彼らは渡邊が自分の死期が近いことを悟っていたことに気がつく。
彼の死の真相を知った途端に、事務的に仕事をするだけだった市役所の連中が、急に生きる情熱を取り戻す姿は何とも皮肉に感じた。
が、その情熱もまた日常の中に忘れられていく。
結局、渡邊の死は誰にも影響を与えなかったのかもしれない。

それにしても伊藤雄之助、左卜全、藤原鎌足、木村功、千秋実、中村伸郎といった個性派俳優がズラリと並んでいるのに、ほとんど印象に残らないのが不思議だった。
それほど渡邊を演じた志村喬の存在感が素晴らしかったともいえる。
おどおどしているわりに、妙に距離感が近く、不気味なほどに恍惚とした表情を浮かべる渡邊の姿が強烈だった。

「私は、人を憎んでなんか居られない、そんな暇はない」

人は死を目前にして、初めて本気で生きることに目覚めることもあるのだ。
精一杯生きることは、精一杯死ぬことと同義なのだと思う。
後半の展開にはとても感動させられた。
特に渡邊がブランコを漕ぎながら『ゴンドラの唄』を口ずさむ場面は、映画史に残る名場面だ。

2025/03/12

2025/03/13

75点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


声と音の中に降りてくる霊

ここに採集され,サンプリングされた音たちを愛でたい気分が起こってくる.パチンコ,線路の音,ビヤホールの音,クラクション,野球場の音,パチンコの音,デモ集団の声,雑多な音たちがノイズのように聞こえてくる.そして無音の時間がいくつかある.そのとき,画面には何が現れているのだろうか.
ばっきばきの目を瞋(いか)らせているのは市民課長(志村喬)で,「ミイラ」ともあだ名されている.彼は気味悪がられており,脂性で,男寡でいるものだから,不潔とも感じられている.自身の生についても,池で溺れているような,ひとりぼっちで,どこか遠いという感覚がある.また,退屈で「忙しい」ともモノローグする.彼が病院で診察を受けようとすると,待合室では,そこにも不気味な男(渡辺篤)がいて,胃の病気について語り出す.この語りはどこか迫るものがある.
メフィストフェレスの役になる小説家(伊藤雄之助)は,課長に夜の街と歓楽を案内していく.マダムがいる.ダンスホールではホールを埋め尽くす群れがあり,鏡に映る物がある.歌い,ビールを飲みながらピアノを弾き,踊り,ストリップが催される.ネオンとクラクションが人間を刺激する.そして大正時代のラブソングが唸るようにして歌われる.
市民課の部下であった小田切(小田切みき)も彼に昼の世界の美しさを案内する.おしるこやおそば,スケート,遊園地,映画 といった通俗があり,そこに課長は生き始める.しかし,彼女は若々しく,老成した課長に嫌気もさしている.
エレベーターは下がっていく.「光男」「光男」と息子の名を繰り返し声を上げる過去の課長のフラッシュバックもある.その光男(金子信雄)は,しかし父の闇に接続することができない.また,道楽者を自称する課長の兄(小堀誠)も弟を理解しない.
あだ名が小田切によって聞かされる.糸ごんにゃく(日守新一),はえとり紙(千秋実),モゴモゴしているドブ板(左卜全),定食(山田巳之助)などであるが,公園課長(小川虎之助)や助役(中村伸郎)にまでその累は及ばない といった
事務所には山と積まれた書類が見える.工場では機械の音が聞こえて,サッシがずっと振動で揺れている.ただ働いて食べて,こんなものを作っているだけという小田切は,うさぎのぬいぐるみを見せている.「ハッピーバースデー」が聞こえ,サイレンも聞こえ,課長は「死んだ」とされる.黒江町の6人の女たち(三好栄子ら)がぞろぞろと蠢いている.そして,課長は通夜の噂話の中に降霊されるようでもある.

2024/08/29

85点

選択しない 


構成とシニカルさに感心

胃癌で死期が近く、尚且つ生きる意味を失っていた志村喬の役人がようやく公園建設という生きがいを見出した矢先に、通夜になっているという構成が凄い。そこから参列者が彼の最後の五ヶ月を回想する展開となる。有名な「ゴンドラの唄」をしみじみと歌いながら完成した公園のブランコに乗る場面はやはり名場面で泣けてくる。そしてラスト、志村喬の生き様に感化され、変わろうという気概を口にした役人達が、結局は変わらずお役所仕事をしている様子のシニカルさにやはり凄いドラマだなぁと感心する。

2024/08/17

2024/08/18

-点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 


過去の自分に反逆

ネタバレ

黒い犬 メフィストフェレス 小説家 新しい帽子
とよ『日本中の赤ん坊と仲良しになった気がする』
ゴンドラの唄 公園のブランコ 通夜の席 雪降る夜

2024/01/08

2024/05/12

100点

テレビ/無料放送/NHK 


幸せだったのか?

何度目になるだろうか、現在とはあまりにも異なる社会環境の下で、普段は自分の殻にこもっていたような小役人が、己が余命いくばくもない末期がんと思い込み、突然市民の請願を取り上げ小公園の整備に取り組み、上司への根回しといった難事を、まさしく粘り強く続ける姿には鬼気迫るものすらあります。

一方で、同じ職場の女子職員(小田切みき)が退職した後で、偶さかのデートは老いらくの恋にもならない、まるで孫と遊ぶ祖父みたいです。
紆余曲折しながらもなんとか完成させた公園と入れ替わるように亡くなる志村喬。
その通夜の席で、公園の完成はさも自分の手柄であると自慢話にする上司の醜悪さ。
完成したブランコを小雪降る中「ゴンドラの歌」をボソボソと唄いながら漕ぐ姿には彼の背負ってきたであろうあらゆる感情が込められています。これこそ名作の名に恥じない。

2024/04/27

2024/04/29

89点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/PC 


ナレーターは

ネタバレ

この映画のプロデューサーである本木莊二郎。どことなく貧相な声だがナレーターとしては素人なのであろうから仕方ないなどと思ったら早稲田大学を卒業後日本放送協会へアナウンサーとして入局とある。その後助監督として東宝へ入社するも後に企画担当の辞令を受け「雑兵物語」を担当するが召集令状を受けて入隊、その間に映画は「虎の尾を踏む男達」として完成していたようだ。黒澤とのタッグとしては「野良犬」「醜聞」「羅生門」「七人の侍」「生きものの記録」などがあるが1957年の「蜘蛛の巣城」を最後に決別したという。プロデューサーが何をするのか詳しくは知らないがそれなり以上に優秀だったといえよう。ところがだが、本木莊二郎氏はこのあと高木丈夫という名義で「肉体自由貿易」なる成人映画の監督としてデビューを飾るのである。まあどんな映画だかは知らないが。しかもその後複数の名義を使いつつ200本近いピンク映画を量産したらしい。1978年に死去したが6月23日に開催された偲ぶ会に黒澤明は姿を現さなかったということではある。こんな話をしたのはゼンゼン別の話をしたかったからであるが、それは私の勘違いであったらしくこういう文章になった。それは主として山田風太郎の小説の読み違えではあったのだがその小説について詳しい言及は避けておく。ともあれ肝腎の作品についてであるが、それについては先日観た「 生きる LIVING」の感想に記してある。こちらの方の点数を高くつけておいたがそれが私の評価であるといえるのだろうか。