朝鮮戦争に参加したハワイ在住の日系二世の物語である。彼らは米軍に入隊して過酷な訓練を経て日本の米軍基地に駐留したのち朝鮮半島に渡り参戦する。
隊員のメンバーひとり、オキは街で通りがかりの客の似顔絵を描いて収入を得ている雪子(桑野みゆき)と出会う。雪子は美大に進学して絵画を学びたいのだが経済的に無理だと諦めているのを知り、彼女に金銭を援助しようと申し出るが、誇り高い彼女の母親(山田五十鈴)に拒まれてしまう。
戦地でオキは雪子からの手紙を受け取る。手紙にはオキの似顔絵が同封されていた。雪子には、想像だけで彼の似顔絵が描けたのだ。雪子の想いが伝わってくる似顔絵をオキは心の支えにしながら凍えそうな戦場で生き抜こうとするが、あえなく戦死してしまう。
雪子に宛てた手紙には遺族補償金の受取人を雪子とする金銭と彼女が描いてくれた似顔絵が添えられていた。似顔絵はボロボロになっていて、過酷な戦場でも似顔絵を手元から離さなかったオキの熱い想いが伝わってくる。
小国英雄は優しい心情を言葉でなく映像で見せるのが巧い。そういえば、黒澤明が小国英雄を重用したのは「物語の精神性」にあると言っていたのを思い出した。
小国英雄らしい優しいエピソードはその前後に挿入された朝鮮戦争の拙劣な描写で効果を減殺させた。
そもそも全体の戦場における敵味方の状況が分かり難い。そして何よりも、爆撃シーンは迫力だけはあるが、ただ物理的に爆発させているだけで、ドラマとして恐怖感や緊迫感の効果を挙げていない。ドラマと爆発シーンが水と油のようにマッチングしていないのだ。その結果、爆撃の映像とセット撮影の彼らの戦場での動きが全然繋がっていない。内川清一郎が爆撃シーンには監督としてカメラワーク等でタッチしていなかった(タッチできなかった)のではないか(ちなみにこの映画の冒頭及びクレジットで、米国務省、米陸軍、自衛隊が協力したと記されている)。
寒々とした学芸会を見せられた感じが残る。
「君の名は」の数寄屋橋で男女が出会うシーンの方が爆撃の恐怖感や緊迫感がよく出ていた。
この映画の惹句に「松竹がこの映画の制作権利を巡り米国2大映画社(MGM・20世紀フォックス)と世界的争奪戦!独占製作を勝ち取った!」とある。それが本当だとすると「それでこの結果かよ!」と言いたくなる。企画倒れで監督内川清一郎にしては凡打となった。
せっかく小国英雄が書いた戦争を挟んだ男女の愛情物語は埋没してしまった。