ラピュタ阿佐ヶ谷の旧サヨク系独立プロ映画特集、「こころの山脈」は、初めて観る映画でした。
わたくしが中学・高校生の頃、東京で上映されている映画のうち何を観るのかという時、新作は監督の名前、旧作の場合はキネマ旬報のベストテンに選出されている映画というのが、取り敢えずの指針でした。まだ知識の浅い小僧にはそれくらいしかガイドラインがなかったのです。
そんな中、「こころの山脈」は、中学・高校生の頃から何度も観る機会があったものの食指が動かず、その後、「安城家の舞踏会」や「偽れる盛装」など吉村公三郎の映画を観たあとも、「こころの山脈」は観る気が起きず、というのも、タイトルからして“良心作でござい”と押し付けがましいし、“本宮方式映画”という謳われ方も胡散臭く思えて仕方ありませんでした。
2000年以降また映画を観るようになってからは、かつての偏見はなくなり、「こころの山脈」を観る機会があれば観たいと思ったものの、旧フィルムセンターでの吉村公三郎特集などでも時間の都合が合わず、結局今回ラピュタ阿佐ヶ谷で初めて観ましたが、真面目で良い映画だとは思いながら、吉村にしては面白くないというのが実感です。
映画の中身自体は、ラピュタ阿佐ヶ谷の解説文に書かれた “産休補助教員として久しぶりに教壇にたった“お母さん先生”が、戦後の民主教育に戸惑いながらも無事務めをはたして去っていく──。福島県本宮小学校のPTA、教師らによる映画教育運動の一環として近代映画協会の協力のもと製作された”という文章の通りの映画であり、実に教育的・道徳的で、なおかつ良心的な映画には違いありませんが、吉村公三郎の“主義者”映画の多くがそうであるように、中身はご立派ながら映画的な面白味に欠けると言うほかありません。