「カルメン」を聞くといつでもこの映画が想い出される
リアルタイムで映画館で鑑賞して、今回観直してみて面白かったことに変わりがない。
意外性の無いお約束通りの娯楽映画。それが心地いい。これが映画の王道と言わんばかりの後味の良さ。
そういう娯楽映画のマニュアル通りのつくり方であるのだが、最後に試合に負けるのがポイントだろう。
同時期に公開された「ロッキー」もそうだが、通常のつくり方だったら、最後には主人公が勝利してめでたし、めでたしであろう。
そうしなかったことにベトナム戦争の影響がある。この戦争の泥沼化、そして敗戦というのが、何でも一番であることを自負していたアメリカ合衆国の自信を失ってしまう。アメリカの正義、愛国精神も揺らいでしまう。
そしてアメリカン・ニューシネマで描かれるアメリカ社会の矛盾や不条理などを描いてアメリカが必ずしも一番でなくなった。
ハリウッド映画の定番、能天気なくらいのハッピーエンドなんか嘘っぽくてつまらないものとなってしまった。
そういう経緯を経て、またハリウッド映画は息を吹き返した。パニック映画のような大見世物娯楽大作に「ロッキー」や本作のような観ていてスッキリする作品、黄金期のハリウッド映画をとりもどした。
「ロッキー」や「がんばれ!ベアーズ」のラストで描かれる試合に負けても心意気では負けないよである。
というのは何でもアメリカが一番、勝利することが価値があるのではなく、自分のやることに自信を持つことが大切だということを感じさせる。ナンバーワンにならなくても、この世にひとつのオンリーワンですねえ。
わたしが映画ファンになったのはこの頃なのだ。それはとても幸運だったと思う。もう少し早く映画ファンになったらアメリカン・ニューシネマのような暗い映画を観てガックリしたら少年から今のジジイになるまで映画を観続けることはなかったかも知れない。こういう映画こそ映画の王道であって、観終わってなんらかの希望や気持ちが軽くなるような映画を観続けたから、映画って良いもんだなと思う。一生付き合う価値があるものに出会ったと思う。そういう映画に出会い続けて、映画ファンになったのだ。
今のハリウッド映画は米同時多発テロの影響を受けて、アメコミのヒーロー映画も単純明快、勧善懲悪なものでない。またアメリカの観客もそういうものは嘘っぱちで面白く感じないかもしれない。でも、映画としてはクオリティの高い映画でも「ジョーカー」は二度と観る気が起こらないほどに落ち込んだ。もし、私がいまの時代に映画ファンになったら、映画ファンを辞めたかもしれない。ラース・フォン・トリアーやデヴィッド・フィンチャーのような映画ばっかり観ていたら、死にたくなるよ。
今こそ、ハリウッド映画の楽天主義、ハッピーエンドが必要なのだ。