大阪から出張帰りの多賀谷新蔵(山村聰)は、羽田へ帰る飛行機の中で、偶然元妻のあさ子(淡島千景)と再会します。新蔵の現在の妻・とも子(草笛光子)があさ子から彼を奪つた過去があるやうです。略奪婚ですか。離婚後23年経つてをり、あさ子も再婚して新蔵と同様に一男一女を儲けてゐます。羽田ではあさ子の息子・新太郎(加山雄三)が迎へに来てをり、その爽やかな若者ぶりに、新蔵は好印象を持ちます。
新蔵の娘・たね子(星由里子)は、母が父を前妻から奪つたと知りショックを受けてゐます。自分の生はあさ子の不幸の元に存在してゐるのかと......
たね子と新太郎は同じ大学に通ひ、交際を始めてゐます。学友に小川安三を起用するとは、ワザとミスマッチを狙つたのでせうか。違和感バリバリで可笑しい。とも子は新太郎があさ子の息子と知り動揺します。新蔵からあさ子との再会を聞いてゐただけに、心穏やかではありません。
たね子と親しくなつた新太郎は、信子(池内淳子)と云ふ年上の女性と関係を持つた事を告白します。自分の醜い部分を知つて貰ひ、その上で自分を好きかどうかを判断して欲しいと思つたのですが、潔癖なたね子は泣いて彼を罵倒します。
一方あさ子は新蔵と上野の展覧会に出かけます。これは所謂デートですな。お互ひ敬語で語り合ひ他人行儀な感じですが。これをきつかけにズルズルいくのかと思つたら、あさ子はとも子に会ひたくて新蔵と付き合つてゐた事に気付きます。それであさ子は、意を決して電撃的に多賀谷家を訪ね、遂にとも子と対面するのでした......
と云ふ事で、千葉泰樹監督の1963年作品「河のほとりで」であります。脚本は井手俊郎で、音楽は黛敏郎。原作は、1960年代に若者たちから絶大な支持を得てゐた石坂洋次郎。加山と星の若いコンビを中心に、夫々の恋愛模様を生々しく描いてゐます。
加山と星はいつになく激しいラヴシーンがあり、水辺で二人とも全裸になり過ごすシーンが印象的であります。この二人、若大将シリーズでは接吻さへなかつたのです。加山と池内の関係は、同じ石坂洋次郎原作の「あいつと私」での裕次郎と渡辺美佐子の関係を連想させます。古い道徳よおさらばと云ひたいのでせうか。一寸ドロドロ感があります。
寧ろ小父さん(お爺さん含む)や小母さん連の方が、純粋なものを感じます。山村聰・淡島千景・草笛光子の三人のエピソードは、普通なら家庭崩壊に繋がりかねない危うさを持つてゐるのですが、強引な東宝的ラストシーンに持つて行きます。どうせならこのシーン、加東大介も同じ画面に入れたかつた。
あと、ストオリイ的には傍系ですが、小林桂樹と池内淳子も好いし、東野英治郎と乙羽信子の不思議な関係も良かつた。東野と乙羽は長年同棲してゐるのに、籍を入れない東野が責められ、その説得役として加山の妹役の桜井浩子が活躍します。スリーチャッピーズ。
かうして見ると、配役に無駄がなく、動きも理詰めで、千葉演出の確かさが確認できます。やはりこの人、突出した作品は無いかも知れませんが、各作品の完成度にムラが無いですな。藤本真澄プロデューサーに重宝がられたのも宜なるかな。