現代ならば、差別でいっぱいの話だが、現在でも反面教師としなければならない話
「君は3、4?」
笠智衆のこのセリフ。
一瞬、何のことだかわからなかった。
そうか、「20を抜かしての言葉なのか」と気がついたときに、女性の人権をまるで無視していた、昭和の時代を思い出した。
私たちの世代では、男女別の出席簿が当たり前であったし、それも必ず、男からはじまるものであった。
いまだに、アンケートやなんらかの応募用紙は、男からはじまるのが常であるし(「性別:男・女」のように)、男女間の差別は、現在まで、脈々と続いている(そもそも、性別を質問することにマーケティングに利用する以上の何の意味があるのか。あるいは、性別を聞くこと自体が差別である)。
大学進学率だって、男性は5割近かったが、女性は3割に満たなかったように記憶している。
男女雇用機会均等法の第1世代であるが、雇用機会が均等だったとはいいがたい。
なにしろ、信じられないことに、某大手出版社でさえ「男性のみ採用」と謳っていた時代である。
いまでは、大問題となってしまうことも、私の世代においては疑問を挟めるような余地はなかった。
昭和24年に発表された『晩春』でもそうであったが、女性は嫁に行くまでは実家で父親や男兄弟の世話をし、嫁に行ってからは、嫁ぎ先で夫と、義夫・義母たちの世話をする。
こんな時代が長く続いてきた日本社会は、いまでもその習慣に束縛されてしまっている。
女性が自立することのできる日は、いつになったら来るのだろうか。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を見たときのことを思い出しつつ、そんなことを再び考えさせられた作品であった。