旧大映のレア映画を上映する企画で観せていただいた中川信夫の「悲しみはいつも母に」は、この映画を選んだ下村健氏のこだわりの現れとして、新東宝が製作しながら倒産してしまったあと、権利を大映が買い取って完成させた映画の一つで、出ている役者は新東宝の人たちだし、美術の黒沢治安の丁寧な仕事ぶりを堪能できる映画でした。
冒頭のクレジットバック、スコープサイズの画面が4分割されるように、右上の4分の1部分だけに望月優子と息子・山田幸男、娘・橘恵子の3人による食事風景が映り(あとの4分の3は黒味です)、いかにも不良という風情の山田が食事内容に文句をつけ、こんなもの食えるかと食器を投げつけて部屋を出てゆく様子を映すのですが、画面の4分の3を占める黒い闇が、この家族を押し込めているような効果を挙げています。
望月優子の息子を演じている山田幸男という男、どこかで観たことがあると思ったら、羽仁進「不良少年」の主役の少年で、この「悲しみはいつも母に」には彼のほかにも、不良仲間として出演している伊藤正幸、瀬川克弘、鷹理恵子という3人が、「不良少年」で生々しい不良たちの実態を見せてくれた人々です。
映画は、ブルジョワ家庭の家政婦や掃除婦などで生計を立てる母・望月優子や、化粧品店に勤めながら夜学に通う妹・橘恵子とは対照的に、ブルジョワ御曹司の学生からカツアゲして小金を手にする一方、母が貯めた僅かな金をくすねて不良仲間と夜遊びを繰り返す不良少年・山田幸男が、大空真弓扮する家出娘(父・中村彰が後妻の妹である市の教育委員・若杉嘉津子と浮気しているのを目撃して、家出します)と知り合って、恋心めいたものが芽生えるので、それをきっかけに山田が更生するという、ありふれた展開を示すのかと思いきや、そんな単純なお話にはせず、いわば不良少年という社会現象を風俗として紹介する新東宝的な風俗現象映画の一面を見せながら、「『粘土のお面』より かあちゃん」の望月優子を再び起用しているだけに、映画の底部には貧しき者たちへの共感を湛えており、中川信夫らしい誠実さが現れた映画になっていると思います。
原作は「ある母の死」という題名ですから、息子・山田幸男に殺人の疑いがかけられた際、嘘の証言をしてまでして息子を庇いながら、交通事故で死んでしまうという、悲惨で暗い結末が用意されているようですが、最終的に大映映画として公開された際には、息子の更生を促すために敢えて息子に殺人の罪を被せる形で嘘の証言をする望月を描く形にしており、そこには更生と再生への強い決意が感じられました。
望月優子ら家族が住むバラックの建物(引揚者住宅といった看板がチラッと見えますから、望月が引揚者であることをサラリと示しています)が、黒沢治安らしい奥行きのある装置として建てられており、新東宝末期の技術陣・美術陣のプロフェッショナルとしての職業倫理が貫かれているように感じられ、感銘を覚えます。