シネマヴェーラ渋谷の東映任侠特集で「花札渡世」を観るついでに観た「昭和極道史」は初めて観る映画でしたが、クライマックスの殴り込みに向かう梅宮は洋服なのに対し、弟分の渡瀬は着流しというところに、実録路線直前の時代(1972年10月公開)における、この映画が置かれた中途半端な立ち位置が象徴されていたと思いました。
「昭和極道史」は、大層なタイトルを付けた漫画が原作のようで、親分を殺された仇を討とうと敵方親分を斬り付けた梅宮が、刑務所から出所後、刑務所内で兄弟分になった待田京介の組に客分として厄介になるうち、待田とその親分・見明凡太朗の東京進出に利用されるという話で、よくある設定の寄せ集めです。こうした寄せ集めのような話を、台詞で逐一分かりやすく辿るあたりに佐伯清の律儀さが表れていると思う一方、東京に乗り込んだ大阪ヤクザ久保一と迎え撃つ東京ヤクザ中田博久が初対面でいきなり斬り付け合うなど、強引な作劇に唖然とする面も散見し、東映任侠の曲り角を感じさせました。
友人の映画ライター氏の呟き。
“『昭和極道史』はタイトルといい、監督・佐伯清、脚本・松本功+山本英明のスタッフィングといい、『昭和残俠伝』シリーズにあやかった節もみられますね。しかし、量産の果てに、このひとたちもむかしの歌の歌いかたを忘れてしまった……。”