1971年の石田勝心監督作品「父ちゃんのポーが聞える」。「聞こえる」ではありません。送り仮名はなるべく少ない方がよろしい。
原作は、難病と向き合ひながら闘病を続けた杉本則子さんといふ方の詩集ださうです。これを名人笠原良三が脚本化しました。
主演は小林桂樹、蒸気機関車(C56)の運転手・杉本役です。SLといふ呼称は未だに好きになれません。娘二人のうち長女は嫁ぎ、次女の吉沢京子はまだ学生。この人が杉本則子さん(ノッコ)役です。
杉本は初江(司葉子)といふ女性と再婚し、生活は安定するかと思はれました。しかし次女ノッコが病に侵されてゐたのです。当初は、よく転ぶ程度だつたのが、歩くのも困難な状態に。学校へは通へず、施設で療養しながら学習することになります。ここでは先生の富川徹夫や吉行和子の献身的指導や、絵の指導に来た佐々木勝彦らとの出会ひがあり、ノッコは明るさを取り戻します。
しかし難病のハンチントン病である事が判明し、より高度な治療が受けられる療養所に転院しなければならなくなり、更に慕情を募らせてゐた佐々木勝彦もパン屋の修行の為、東京へ行つてしまひます。更に父・杉本は、ディーゼル機関車の運転の勉強の為名古屋の鉄道学園に通はなければなりません。蒸機が全廃される方針が決つたからです。
最早死を待つだけのノッコに、杉本は自分の運転する蒸機が療養所の近くを通る時に汽笛で合図する、と告げます。これが「父ちゃんのポー」なんですねえ......
鉄道ものといふより、難病ものであります。この映画で、初めて「ハンチントン舞踏病」を知りました。薄幸の少女を当時アイドル的大人気を博した吉沢京子さんが演じました。この難病を演じるにはちと健康的な感じがします。どうでもいいが、ナースコールの呼び出しボタンは、何故あのやうに意地悪く手から遠い位置に存在するのでせうか。
小林桂樹はC56の運転手、相棒のカマ焚きは藤岡琢也で、ノッコを娘のやうに可愛がつてゐます。二人とも立派な中年ですが、まだ停年には間がある世代。変化にはついていけないタイプのやうです。この二人の関係は中中良い。
しかし、それ以外の人間関係がうまく描けてゐない気がします。再婚相手の司葉子は、美人過ぎて現実感がないですな。そもそも再婚話も唐突だし、なんだか取つてつけた感じです。
姉は嫁に行つてそれつきりだし、太郎とかいふ幼い弟は姿さへ見せず人工的な泣き声を聞かせるだけで、この杉本一家はうまくいつてないんぢやないか。
佐々木勝彦が精神的支柱になるかと思つたら、あつさり消えてしまふし。結局ノッコに対する温度差は桂樹とは雲泥の差がありました。無論佐々木が泥。むしろ吉行和子や川口節子、もしくは大前亘や千石規子らが示すさりげない親愛の情が印象的であります。
人物設定や描写には難アリと感じますが、それでもわたくし、かういふ路線に弱い。お涙頂戴では気前よくお涙を提供してしまふのでした。二か所で涙し、ティシューペイパアでびいむ、と鼻をかんだことであるなあ。