若い頃に観て傑作だと思った。特にラストシーンで流れる石川セリの「八月の濡れた砂」は絶品!と感じ
入った。私の中では和製「太陽がいっぱい」となった。たまたま藤田敏八監督と秋吉久美子コンビの映画
レビューを書いたので、本作を借りた。
早朝の湘南海岸にオープンカーのアメ車から降ろされる少女早苗(テレサ野田)のシーンは、かなり残酷、
下着を放られ、着ているワンピースはボロボロ。不良少年たちに回されたことは明らか。早苗は身体を
清めるためか全裸になり海に入る。一連を目撃していた清(広瀬昌助)は早苗を自宅に送るために、
バイクに乗せて、海の家に入る。自宅から女性の服を持ってきたが、すでに早苗の姿はなかった。
集団レイプは映画のテーマにはならず、ヒール役程度で、清と健一郎にオープンのアメ車を奪われ、
海に沈められる。つまり集団レイプの罪と罰はこの程度で終わってしまう。
高校を中退した健一郎も、行き場のない暗い怒りを女性をレイプすることでぶちまける。
ちなみに2013年の大森立嗣監督の「さよなら渓谷」では、集団レイプを行った大学野球部の面々は
社会的に厳しい扱いを受ける。しかしこの視点で1971年の映画は裁けない。
70年代幕開けの青春映画は男性の性衝動を描き、レイプのようなセックスにさらされる女性の声は
聞かれない。そういう時代なのだ。60年代後半の政治的に荒れた季節を過ごし、あっけないほどの
体制側の勝利に呆然としてしまう。反抗心の熱気は冷めないが、すでに終わってしまったステージに
シラケた風が吹く。
健一郎の養父となる亀井(渡辺文雄)は体制のメタファーだ。豪華なヨットで母雅子と健一郎を懐柔しよう
とする。健一郎はショットガンまで持ち出してヨットを奪う。若者たちだけの解放区だ。小革命が実行された
ということだ。
脚本には大和屋竺も加わっている。並の物語にはならない。藤田監督は自在なヨットのように、その時
代しか吹かない風を見事にとらえてフィルムに定着させた。
映画のラストになり、早苗は狂ったように赤いペンキで塗られた豪華ヨットの壁に、ショットガンでアナを
開ける。性衝動のはけ口だった早苗の復讐のようだ。
たぶん現代のレビューアーの眼には、やんちゃしているだけの自己満足の青春映画としか理解されない
かもしれない。しかし繰り返して言うが、当時は斬新だった。
昔は飲酒運転も普通だった。時代が変わり、社会規範も変わったのだ。