激動の昭和史 沖縄決戦

げきどうのしょうわしおきなわけっせん|Battle of Okinawa|Battle of Okinawa

激動の昭和史 沖縄決戦

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レビューの数

50

平均評点

72.8(221人)

観たひと

366

観たいひと

26

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 戦争
製作国 日本
製作年 1971
公開年月日 1971/8/14
上映時間 148分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング 一般映画
カラー カラー/シネスコ
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 4chステレオ

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督岡本喜八 
特殊技術中野昭慶 
脚本新藤兼人 
製作藤本真澄 
針生宏 
撮影村井博 
美術村木与四郎 
音楽佐藤勝 
録音渡会伸 
照明佐藤幸次郎 
編集黒岩義民 
衣裳百沢征一郎 
製作担当者古賀祥一 
助監督河崎義祐 
記録梶山弘子 
スチル中尾孝 
特技撮影富岡素敬 
特技照明原文良 
特技美術小村完 
操演小川昭二 
合成三瓶一信 
特殊効果渡辺忠昭 
石膏安丸信行 
特技監督助手川北紘一 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演小林桂樹 牛島中将
丹波哲郎 長参謀長
仲代達矢 八原高級参謀
森幹太 木村後方参謀
睦五郎 薬丸情報参謀
佐々木勝彦 三宅通信参謀
大丸二郎 長野作戦参謀
玉川伊佐男 釜井航空参謀
川津祐介 神航空参謀
橋本功 益永大尉
長谷川弘 坂口次級副官
阿知波信介 外間曹長
中山豊 吉崎上等兵
青野平義 渡辺中将
田中邦衛 比嘉三平
中谷一郎 上野参謀長
高橋悦史 賀谷中佐
大木正司 中村曹長
井川比佐志 伊藤大尉
平松慎吾 京僧参謀
東野英治郎 梅津参謀総長
北龍二 河辺参謀次長
藤岡重慶 真田少将
山内明 宮崎中将
阿部希郎 服部大佐
新田昌玄 天野少将
荒木保夫 作戦課員
北九州男 作戦課員
船戸順 作戦課員
石山健二郎 安藤大将
久野征四郎 第三戦大将
草野大悟 奥山大尉
木村豊幸 少年兵
当銀長太郎 諏訪部大尉
東野孝彦 広森中尉
池部良 太田少将
鈴木瑞穂 中島参謀
寺田農 吉田中尉
佐々木孝丸 宇垣長官
浜村純 泉知事
神山繁 島田知事
南風洋子 島田夫人
鷲尾愛里 島田黎子
田代真由美 島田幸子
加山雄三 比嘉主任軍医
岸田森 目軍医大尉
亀谷雅彦 平川見習士官
大空真弓 上原婦長
今福正雄 照屋校長
天本英世 野田校長
滝田裕介 仲宗根教諭
佐原健二 玉代勢教諭
佐藤宣丈 東風平教諭
永島岳 西平教諭
勝部義夫 与那嶺教諭
酒井和歌子 渡嘉敷良子
木村由貴子 嘉数ヤス
藤田漸 古波二等兵
熊谷敏樹 瀬底二等兵
沖田駿一 仲真二等兵
渡辺隆司 国場少年
高原勉 少年兵
小瀬格 船舶工兵隊長
樋浦勉 西岡少尉
鈴木治夫 曹長
山本清 山本憲兵隊長
草川直也 輸送指揮官少尉
江角英明 連隊区司令部将校
園田裕之 師範配属将校
永山一夫 抜刀の将校
原田力 伊東大隊の下士官
大前亘 海岸の歩哨
鈴木和夫 脳症の兵
桐原史雄 古兵
山本廉 大森軍曹
地井武男 小倉曹長
田中一 兵隊
丘ゆり子 シーちゃん
木浦すみ江 老婆
山崎みき 
大谷直子 抵抗する若い娘
小杉昇二 島の長老
三井弘次 老人
冨田浩太郎 島の駐在
浅若芳太郎 島の村長
藤原釜足 亀甲墓の爺さん
辻伊万里 亀甲墓の婆さん
佐田豊 亀甲墓の父
川瀬裕之 亀甲墓の子
堺左千夫 水を売る男
近藤そや 衛生所女子青年団
山添久美 女の子
中真千子 女の子の母
ナレーション小林清志 

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

沖縄戦を舞台に、十万の軍人と十五万の民間人の運命を描く。脚本は「裸の十九才」の新藤兼人。監督は「座頭市と用心棒」の岡本喜八。撮影は「学園祭の夜 甘い経験」の村井博がそれぞれ担当。1971年7月17日より、東京・日比谷映画にて先行ロードショー。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

昭和十六年十二月、ハワイ真珠湾奇襲で始まった太平洋戦争は、十七年五月のミッドウェー海戦で日米が攻守ところを換えた。同年八月米軍はソロモン群島のガダルカナル島に上陸した。これは、大本営の予想に約一カ月早い米軍大反撃の開始であった。タラワ、マキン、ギルバート、アーシャル群島と、太平洋を飛び石伝いに米軍は怒涛のように、日本本土を目指して北上して来た。圧倒的な物量差と、後手後手と廻った大本営の作戦によって十九年七月にはサイパン島が陥落。米軍は、日本の喉元に匕首を突きつけられた型で太平洋戦争は最終段階に突入しようとしていた。次は、フィリピンか、台湾か、沖縄か--大本営は米軍の進路が読めず迷った。いずれにしても、どんな犠牲を払っても本土に至る手前で敵を食い止めなければならない。今まで、ほとんど顧みられることのなかった沖縄に本土防衛の第一線として、急拠、大兵力が次々に送り込まれた。九師団、二十四師団、六十二師団を基幹とする約二十万の精鋭である。更にこの沖縄三十二軍に新司令官牛島中将が送り込まれた。陸軍士官学校の校長だった温厚な人格者である。「今、沖縄を任せられるのは、牛島以外にない」大本営からそういう期待を托されて沖縄に赴任した牛島を迎えたのは、豪傑型の参謀長の長少将と、あくまで冷静な秀才合理主義者の高級参謀八原大佐であった。八原参謀の作戦構想は、日本の航空戦力は米軍に太刀打ち出来ないとの分析から、洞窟陣地によって、決戦を行なうというものだった。これは、大本営の作戦と真向から対立した。大本営は沖縄各地に航空基地を設営し、島全体を不沈空母と化し、ハルゼー中将の米機動艦隊と航空決戦を行なう、という構想であった。大本営の意見を無視して陣地構築を進める三十二軍に業を煮やした大本営は、航空参謀を派遺して強引に飛行場を設営させた。しかし、その時すでにアメリカは沖縄戦略の方針を決定していた。十月十日、沖縄大空襲。那覇の町は一瞬にして灰になった。焼けだされた市民の中には、床屋の比嘉三平、接客婦のシーちゃんもいた。「日本軍の飛行機は何をしているんだ!」彼らは空いっぱいに飛ぶ米機の跳梁を見上げて口惜しがった。更に衝撃を与えたのは、最高の精鋭舞台といわれた九師団の台湾転出命令であった。市民たちは動揺した。役人は真っ先に逃げ腰になり、知事は公務と称して本土に出張したまま再び沖縄には帰ってこなかった。県民の不安は広がり、我先にと疎開を急いだが、疎開のあてさえない者の数の方が遥かに多かった。比嘉三平もその中の一人で、空襲で店を焼かれた彼は、ある日焼跡の電柱に“軍司令部の散髪要員を求む”という貼り紙を見つけ、三十二軍司令部内に床屋として入り込むことになった。昭和二十年一月、新知事島田叡が着任した。彼は死を覚悟の上で大阪から那覇に赴いた。島田は着任そうそう、北部山岳地帯への老幼婦女子の疎開を実施した。戦況の逼迫にともない、県庁も首里の壕へと引っ越し、軍司令部も首里城の大地下壕へと移動した。そして、防衛召集によって十七歳から四十五歳までの男子約二万の県民が陸軍二等兵となり、師範女子部と一高女生徒二百九十人名は特志看護婦として南風原陸軍病院に勤務、師範男子二百八十五名が卒業と同時に全員召集令状を受け勤皇隊として、斬込隊に、あるいは軍司令部情報部勤務の千早隊などに編成されていった。昭和二十四年四月一日、午前八時三十分。千五百のアメリカ艦艇は嘉手納の沖を埋め尽くし、二十万の米軍が怒涛のように海岸に殺到した。五日間で島を南北に両断した米軍は、日本軍司令部のある首里に向って南進した。だが、首里北方の丘陵地帯には、六十二師団が強固な陣地を構築して米軍を待ち受けていた。ここに第二次大戦最大の激戦といわれる首里攻防戦が開始されたのだ。沖縄戦を重視した大本営は世界一の巨大戦艦大和をも出撃させた。そして約一カ月後、六十二師団は大半の戦力を失っていた。五月に入り、激戦に激戦を重ねた兵力は日増しに減っていった。意を決した長は、持久戦を主張する八原を説得、最後の望みを総攻撃にかけた。五月四日、無傷で温存していた二十四師団を主力に総攻撃が開始された。あちこちで肉弾戦がくり返され、棚原一五四・九高地では自決の手榴弾が裂炸した。大本営は、沖縄へこれ以上力を注ぐのをやめ、本土決戦へのホゾを固めた。五月二十二日、沖縄軍司令本部は、持久戦に持ち込むための残存兵力をもって、島の最南端の摩文仁に司令部を移した。首里周辺の壕に重傷の身を横たえていた負傷兵たちは見殺しにされ、南風原陸軍病院では二千名が青酸カリを混入した牛乳で自決した。その中には重傷のひめゆり部隊員渡嘉敷良子もいた。沖縄県民は戦った。彼らの献身は酬いられないまま戦闘は末期を迎えた。六月二十三日、夜明け、司令部塹壕内で牛島司令官と長参謀長は最後の攻撃を断念して割腹した。「軍人は死ねばすむ、だが俺たちはそうはいかない。この島は俺たちの郷土だ」若い勤皇隊員たちは次々と斬り込んでいった。下半身のない母親の背中で泣く赤ん坊、洞窟の中から吹き飛んでくる身体、一人の教師と六人の女生徒が故郷の歌をうたいながら青酸カリを飲む。もう避難民もいない。戦いは終った。沖縄軍の死者十万。沖縄県民の死者十五万。それは県民の三分の一にあたる。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2015年7月下旬号

終戦70年 後世に伝えたい戦争映画:沖縄が伝える映画「激動の昭和史 沖縄決戦」

2024/02/19

2024/02/19

50点

購入/DVD 


徹底した負け戦をリアルに描いた作品だが・・・

徹底した負け戦をリアルに描いた作品。巻頭すぐに始まる負け戦。149分がずっと負け戦。これが史実なのだろうが、映画的にあまりに単調な展開ではっきり言って疲れるし飽きる。岡本喜八監督のテキパキした演出の頃が懐かしい。

2022/06/26

2022/09/18

80点

映画館/東京都/国立映画アーカイブ 


二項対立の戦争映画

きわめてわかりやすい二項対立(A対B)の図式で描かれている。それぞれの相対する視点から戦争を仮想体験することで、戦争を知らない世代にも、戦争を知っている岡本監督の反戦思想が伝わっていくだろう。同時に、戦後75年を経た沖縄の「今」を理解するためにも最良のテキストになっている。

さて、二項対立である。

「日本vs.連合国」で当時の世界情勢を、「日本vs.アメリカ」で太平洋戦争末期の沖縄戦を俯瞰する。日本軍に目を向ければ、「大本営vs.第32軍」で本土と沖縄の立場、中央の戦略的沖縄観(本土防衛戦準備のための捨て石)が浮かび上がり、続いて沖縄防衛軍の第32軍内の「持久戦vs.総攻撃」という作戦対立から一枚岩でない内実が明らかになる。これはそれぞれの作戦を立案、主導する「冷静沈着で事務的な八原参謀vs.豪放磊落で喜怒哀楽がはっきりしている長参謀」という人物像でより鮮明に描かれる。

「軍人vs.民間人」の描き方も辛らつだ。お前たちを守ってやっているんだという傲慢な軍人は、自決を強制し、スパイ容疑で老人を射殺し、ガマからの避難者の退去を叫ぶ。着の身着のままで逃げまどい、あるいは軍属・義勇軍・従軍看護婦となって戦場に駆り出された傷つき死んでいく民間人。「ドキュメント映像vs.人間ドラマ」のメリハリのある映像表現の違いも見事な演出だ。随所に挟み込まれる特攻隊員ら戦没学生の遺書、ひめゆり部隊ら女子学生の集合写真。理不尽に死と向き合わされた彼ら、彼女らの無念の思いを、黙して語る記録。余談だが、『シン・ゴジラ』で対ゴジラ核攻撃を語るシーンでインサートする広島と長崎の惨状のモノクロ写真に、庵野監督の岡本監督と本作へのリスペクトを感じるのはぼくだけではないだろう。

そして、忘れてはならないのが、物語の中盤あたりから登場する戦災孤児の少女。戦場をさまようこの少女が、すでにこの世のものではない実際に生きている少女ではないことは想像に難くない。少女は死んでいった沖縄県民の霊魂でもあり、沖縄の地霊そのものでもあるのだろう。ラスト――拾い上げた水筒から水を飲む少女に、現代に続く困難な日々を生き抜いた沖縄県民のたくましさを見る。

2022/08/25

2022/08/25

55点

テレビ/有料放送/日本映画専門チャンネル 


『沖繩の民』を知ってからは色褪せる

軍人は働いていない‼️民間人だけが大きな犠牲を払っている。

2022/08/11

2022/08/11

50点

テレビ/有料放送/日本映画専門チャンネル 


沖縄を舞台にした戦争映画

東宝の作った8・15シリーズ、岡本喜八監督作。
タイトル通り、第二次世界大戦末期の沖縄を舞台にした戦争映画。
記録フィルムを使用したりしながら、本編は基本的にカラー作品として作られている。

戦争の惨さを描いており、力作ではあり、「戦争は起こしてはいけない」と痛感する映画である。

しかし、沖縄で起きたことを万遍なく捉えようとしたためか、それとも主役級俳優が多数(小林桂樹、丹波哲郎、仲代達矢)いるためか、全体的に散漫な印象を受ける映画になってしまっているのが惜しい。
尺も約2時間30分とそれなりにあるが、細切れ感は否めない。

東宝作品なので、酒井和歌子も大勢の中の一人として出演しており、みすぼらしい戦時中の格好をしているが、やっぱり好きな女優の一人。

毎年、お盆近くになると、上映されたり放映されたりするが、今回は日本映画専門チャンネルにて鑑賞。

<映倫No.16757>

2022/07/27

2022/07/29

74点

映画館 


十万の兵士と十五万の市民が亡くなった沖縄戦。現場指揮をとる第32軍の作戦会議で沖縄全体を俯瞰した日米の戦力配置や現状をダイナミックに描きながら、同時に最前線の兵士や看護師らの悲惨な現実を目の当たりに映す。

感情を排したドキュメンタリーチックな映像と悲惨としか言いようのない現実の映像の挟み撃ちに当時の実情が浮かぶ

2022/06/26

2022/06/27

70点

VOD/U-NEXT 


「史上最大・最後の激戦!緑と生命を焦き尽くした激闘の90日!!」

岡本喜八監督作品、東宝8・15シリーズの5作目。
沖縄戦に関しては1953年版「ひめゆりの塔」を観てエグさを知った。
岡本喜八監督の東宝8・15シリーズ1作目「日本のいちばん長い日」は三船敏郎のおかげで一本筋が通っていると感じたが本作はそれに当たる人がいないため散文的に感じた。
事実を元にしているのだから仕方ないが。