何じゃこれ?!はじめは期待大だった。美しい倍賞千恵子!感じのいい山口崇。かわいい子供達。新幹線の中で遊ぶ兄と妹とか、走る列車から見える外の風景とかすごく映画的。
田舎の駅のホームで孫達を待っている森繁&高峰秀子とローカル線の窓から手を振る倍賞親子3人のつなぎ方から違和感を持つ。なんか位置関係が変なのだ。そもそも森繁と高峰が列車を見る方向が逆でしょ?森繁は右を高峰は左を見て待ってる。あり得ん!おじいちゃんおばあちゃんの家に着く。ミンミンゼミのアップが映るが聞こえる蝉の鳴き声はクマゼミである。お兄ちゃんが外に蝶を追っていくシークエンスでの蝶の飛ばせ方が超ダサい。糸で模型を動かしてる。ことほど左様に映画の作り方がプリミティブに過ぎる。音楽も木下忠司と思えんほどひどい。兄が夢でうなされる時の音楽というか音響の拙劣!椅子が田舎道を動いてくる音楽の珍妙!
●40分ぐらい経って、これが原爆の映画だとわかる。そして反原爆映画だということもわかるのだが、これがまあ、頭デッカチというか70年代の「左翼」的というか教条主義的というか恐ろしくつまらんのだ。そして取って付けたような展開が連続する。
●ジャーナリストの倍賞千恵子は被ばく者という坊さんに被ばく体験を語れと迫ると、その坊主はマッチを一本擦って火をつけその炎に自分の指を入れて、「みんなこの火の中で死んでいった!」と言う。原爆の炎とマッチ一本火事の元の火が同じですか???バカなの?脚本の山田洋次さん、正気ですか?
●川に落ちた木の椅子が川底に沈むと原爆で死んだ人の霊?なんかわからんが、川底から出てきて「私は紙屋町の誰それ」と名前を名乗って親に伝えてくれと言う。もう1人出てきて同じように親に自分の骨を拾いにきてくれと伝えてくれと頼む。これっていったい何なの?川底にチープな髑髏が転がってるとか神経疑っちゃう。
●倍賞千恵子も実は被ばく者だった。ってそんな展開かよ!二人の子供達の父親はどうなってるの?原爆症じゃないってすぐわかるの?森繁、高峰の両親は被ばくしてないの?なんで?わけわからん出鱈目御都合主義脚本。
●椅子の声を宇野重吉がやってるが、急に高峰秀子のナレーションで椅子の内心が語られるとか、めちゃくちゃ。
●兄が広島原爆写真集を持ってて椅子に原爆の惨状を見せる。黒焦げの遺体とかも出てくるが何のため?だったら『原爆写真集熟読して下さい』と写せばいいんじゃない?
こんな映画を作っちゃダメだよ。つまり反核反戦の理念だけが先走ってるだけで、映画表現として出鱈目なんです。反核反戦というテーマさえ馬鹿げたものに見えてしまう。
これが1976年キネ旬ベスト10で13位とは!
唯一、女の子イーダ役がすごくかわいいのがいいとこかな?
追記
一つひどい事思い出した。8月6日、高峰秀子の姉妹が原爆の犠牲になってるので、みんなで慰霊に行くのだが、森繁は十字架のついたロザリオを手にしている。高峰秀子は仏教の数珠、で、全員線香をたむける。前夜、森繁は川に流す灯篭に筆で文字を書いてるのだが、高峰の流す灯篭には南無阿弥陀佛と書かれている。森繁は何を信仰してるのだろう???