お遍路さんは、ちょっと食べきれないほどのデカいおにぎりを渡され当惑もしていない。うさぎを手に持った女おりん(原田美枝子)が山道を駆けて家に着いたところ、ババア(賀原夏子)はどうもコタツにあたったまま死んでしまったらしい。ババアの声がどこからか聞こえてくる。ババアの死体を見た男(山本廉)、おりんに棒でぶっ叩かれる。石柱には指差しの案内が浮き彫りにされている。石鎚山の麓でウサギの汁が煮られている。ビンビや麦の飯が語られ、御手洗という島が示され、海が志される。おりんは石と呼ばれ、石なごをお手玉のようにして戯れる。洗濯、掃除、肩叩き、姉さんたちの支度もしながら、富田屋の上客にバケツで水をぶっかける。おちょろ船を漕ぐこと(ちょろおし)をおりんは旦那(灰地順)に願い出る。船は揺れている。不動明王の像が見えている。豪雨の中、おりんは「ババア」と唱えながら船を漕いでいる。おりんはひしゃくを振るい、暴力に訴えて出る。あんころ餅、みかんが見え、魚は男に投げられて三匹、四匹と海に返されていく。おりんは三度折檻されて、血塗れになっている。棒で突かれ、足蹴にされて、さらに抱かれる。佐吉(木村元)を殺しかけ、酒をあおる。膳の椀を投げ割り、長崎土産のガラスの人形を叩き割り、土を食って、土を撫でている。ラザロ丸の牧師(岡田英次)は、一升瓶をあおり、おりんに福音を授けようとしている。
昭和10年、目の見えなくなったおりんは、それでも「見える」と言う。おりんは櫛けずりながら、甘茶に誘われる。停滞していたおりんは再び動き出す。おりんは牧師に担がれ、松の中を運び出されていく。船はまた揺れている。鈴(りん)が鳴っている。秋の虫の音がしている。炎の中に業がフラッシュバックしている。またしてもババアの声が聞こえ、牧師の声がして、全ての声が重なっていく。
おりんの運動は悲しくもあるが、心地よくもある。それは野生によって文明を批判している。女郎が文明的な制度の端緒にあるとすれば、おりんの運動によるぶち壊しは、まずそこから手始めに、身体的に批評されていくのである。