私は17歳の頃、映画好きの友達4人と一緒に劇場に本作を観に行った。
その頃の私はすでにクラシック映画にかぶれていて、NHK世界名画劇場で「嘆きのテレーズ」とか「真昼の決闘」とか、あるいは「天井桟敷の人々」とか「西部戦線異常なし」とか、はたまた「死刑台のエレベーター」とか「禁じられた遊び」といった、昔の映画をかなり観るようになっていた。
なので大変期待して劇場に足を運んだ本作だったのだが、私的にはスカーレット・オハラのキャラクターがどうしても好きになれず、また映画的に深みのある演出がされているとも思えず、テーマとしてもありきたりな印象の、大変苦痛な4時間であった。
だが昔観てイマイチだなと思っても、評価の高い作品を後年観直すと、その評価を改めるということはザラにある。
だから本作についても、いつか観直す必要があるかもな、とは思っていた。
それから38年。
先日、午前10時の映画祭でやっと本作を再見した。
再見した印象としては、やはり本作は単なる通俗ハリウッド映画でしかなかったし、スカーレット・オハラのキャラクターはどうしても好きになれないし、また映画的に深みのある表現がされている作品とも思わなかった。
そこの印象は全く変わらなかったのだが、38年前と唯一違った点は、この4時間が退屈でなく、なぜか大変面白く観る事ができてしまったことである。
本作はマーガレット・ミッチェルの有名な文学作品の映画化ではあるが、本作の魅力は文芸映画という雰囲気からは程遠い、通俗的で下世話でドロドロした、それでいてカラッとしたエネルギッシュな映画に仕上がっている点にある。
その意味では、大川おかかパパさんの「壮大な昼メロ」というレビューが大変的を射ている。
本作が、当時ハリウッドの大プロデューサーであったデビッド・O・セルズニックの意向に沿って演出されたことは有名である。
そして、そのことに対する反動(?)ではないかと思われるエピソードにも本作はこと欠かない。
例えば、名匠ジョージ・キューカー監督の下で始まった撮影だが、セルズニックはキューカーの格調高い演出を気に入らずにヴィクター・フレミングに交代したとか。
その一方でヴィヴィアン・リーやオリヴィア・デ・ハヴィランドらがフレミングの演出を気に入らず、監督交代後もキューカーに密かに演技指導を仰いでいたとか。
そんな監督冥利に尽きないヴィクター・フレミングが心労で倒れてしまい、サム・ウッドが後を引き継いだとか。
にも関わらず単独で監督のクレジットを得たフレミングはアカデミー監督賞にノミネートされるが「あれはセルズニックの作品である」と言って受賞式を欠席したとか。
しかもその上、受賞してしまうとか。
まさに本作の「監督の意向より興行的価値を優先したプロデューサー主導の映画」「通俗的かつ下世話で壮大な昼メロ」いう印象にふさわしいエピソードばかりで、もはや痛快な作品に仕上がっているとさえ言える。
そんな映画が、映画史上最大の観客動員数を記録し、映画史上不朽の名作と評価されているのだから、映画というのは本当に面白いものである。
なお私はかなりのアカデミー賞おたくで、歴代の受賞作・受賞者の中でベストなのはどの作品か、どの受賞者かということをよく考える。
私が考えている歴代の「アカデミー主演女優賞」受賞者の中で最高の受賞者は、本作のヴィヴィアン・リーである。
私はスカーレット・オハラのキャラは大嫌いだが、本作のヴィヴィアン・リーの演技は最高だと思っている。
それはこの映画をつまらないと思った昔から、38年ぶりに再見した今に至るまで変わらない。
スカーレット・オハラはどうしても好きになれないのだが、しかしそのような女性を彼女は見事に演じている。
本作におけるヴィヴィアン・リーの演技は大変素晴らしい。最高である。
また本作のクラーク・ゲイブルも素晴らしすぎる。まさにハリウッドが絶頂期であった頃の大スターの魅力がいかんなく発揮されている。
ゲイブルは「或る夜の出来事」ですでにオスカーを受賞しているが、むしろ本作のほうがいい。
この年の主演男優賞は「チップス先生さようなら」のロバート・ドーナットで、彼も悪くはなかったのだが、私の中では圧倒的にゲイブルのほうが上だと思っている。
38年前に観た10代の頃は超絶退屈で、ずっと大嫌いな映画だったのだが、今嫌いかと言われたらこの映画はもはや嫌いではない。むしろ好きになっているかもしれないw
ラストシーンなど、とても薄っぺらいと思うのだが、しかし何故だか鳥肌立つほど感動してしまった自分がいる。
マックス・スタイナーのあの名曲と、ヴィヴィアン・リーの名演のおかげかもしれないのだがw
本作は芸術的な観点で言えば大した作品ではない、と今でも思っているのだが、しかしアメリカ映画がその底力、大衆を魅了する力を存分に発揮して、人間ドラマやメロドラマさえも壮大なスペクタクルのように描いて面白く見せてしまった、まさにアメリカ映画らしい超大作である。
そのような意味でもやはり本作は映画史の歴史に残る、特筆すべき作品の一本と言っていいのではないかと思う。