山城新伍が後の作品に比べておとなしい。最初だからかな。
本作はもともと、ヒデとロザンナの出門英を主演に企画された。ヒデとロザンナが結婚することをデイリースポーツがすっぱ抜きして大騒ぎになる。ヒデとロザンナは共同記者会見とレコーディングをすっぽかして、各メディアが激怒して、ふたりは追放された。その騒動に眼を付けた東映・岡田茂社長はこういう生ものが大好きで、ロザンナが出産のために、ヒデの方も時間が空くだろうと思い、彼に出演依頼をする。
ところが、この映画のタイトルがこれじゃあね、ヒデはイメージが壊れると出演拒否する。ヒデの弁明にマスコミは前のすっぽかし事件と相まって芸人根性がないと批判し、ヒデもこれはまずいと察知して東映に謝罪したという。でも結局は出演しないとなり、代役で山城新伍になった。
監督の森崎東も作品にかならず便所を出し、ひげ面が汚いと城戸四郎松竹会長から、契約を打ち切られ、東映に移籍となった。
だが、これが作品にはプラスになった。作品には東映らしいバイタリティあふれる活力のあるパワーを感じる。松竹だったらもう少しおとなしいものであっただろうし、第一松竹でポルノをやらないよ。森崎東監督は松竹よりも東映の水にあったであろう。
映画の趣旨としてはポルノ映画として製作されているが、これは底辺に生きる人々の喜怒哀楽を描いた人情喜劇へと昇華させた。
映画に出てくる主演の山城新伍、川谷拓三、川地民夫、藤原釜足、みんなヒモになるのだが、とりわけ印象深いのは下条アトムと森崎由紀の聾唖の夫婦。
この夫婦は生まれてくる子供のためにお金が要るとして森崎友紀の妻はストリッパーに志願する。だが、音楽が聞えないのでは踊りもできない。そこはガッツをみせて聞えなくても踊りを特訓する。
そして本番、劇場で流しているレコードがプレイヤーが故障して音楽が止まる。それに気が付かない由紀は踊り続けるが、観客たちが騒いでいるのに事情が呑み込めないが異変が起こったことを感じ取る。だが、意を決した彼女は頭の中で音楽が流れるのを想像しながら踊り続けると言った場面が泣かせてくれる。
下条と由紀の夫婦は幼い頃障害者ゆえにいじめられたという過去がある。今だったら、こんないじめは許されないことだが、当時はそんな感覚である。子供は残酷、遠慮なしにいじめるのだが、この昔の社会の空気、差別感も盛り込まれていて、これが一番心をつかまれた。