天空の城ラピュタ

てんくうのしろらぴゅた|Laputa|Laputa

天空の城ラピュタ

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レビューの数

85

平均評点

85.4(1596人)

観たひと

3309

観たいひと

70

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル アニメーション / アクション / 冒険 / ファンタジー
製作国 日本
製作年 1986
公開年月日 1986/8/2
上映時間 124分
製作会社 徳間書店
配給 東映
レイティング 一般映画
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督宮崎駿 
脚本宮崎駿 
原作宮崎駿 
企画山下辰巳 
尾形英夫 
製作徳間康快 
プロデューサー高畑勲 
制作スタジオジブリ 
原徹 
作画監督丹内司 
撮影高橋宏固 
白神孝始 
美術野崎俊郎 
山本二三 
音楽久石譲 
主題歌井上杏美
(「君をのせて」)
イメージソング小幡洋子
(「もしも空を飛べたら」)
音響監督斯波重治 
編集瀬山武司 
笠原義宏 
原画頭金田伊功 
ハーモニー高屋法子 
宣伝プロデューサー徳山雅也 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演田中真弓 パズー
横沢啓子 シータ
初井言栄 ドーラ
寺田農 ムスカ
常田富士男 ポムじいさん
永井一郎 将軍
糸博 親方
鷲尾真知子 おかみ
神山卓三 シャルル
安原義人 ルイ
亀山助清 アンリ
槐柳二 老技師
TARAKO マッジ

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

莫大な財宝が眠るという空中の浮島を探しに冒険の旅に出る少年、少女を描くアニメ。脚本、監督は「風の谷のナウシカ」の宮崎駿が担当。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

少女シータは黒メガネをかけた男たちに捕われ、飛行船の中にいた。そこに女海賊のドーラを首領とする一味が乗り込んで来た。撃戦のさなか、シータは窓から船外に逃げだすが足場を失い落ちていく。だが、彼女の身体はふわりふわりと地上へ舞い降りて行き、その胸にはペンダントが青白い光を放って揺れていた。スラッグ渓谷にある鉱山町では、空から降ってきた光とシータを見た見習い機械工のパズーが、後を追い気を失った彼女を助けた。翌朝、パズーの家で目を覚ましたシータに、彼は自分の死んだ父親が見たという伝説の島の話をした。それはラピュタと呼ばれる財宝の眠る空中の浮島で、パズーはラピュタを信じてもらえず死んだ父の汚名をはらすため、いつの日かラピュタを見つけたいと思っていた。そこにドーラ一味が乗り込んで来た。彼らはシータのペンダントを狙っていたのだ。パズーはシータを連れ、坑内機関車で逃げだすが、行く手には別の敵、黒メガネの男たちが国防軍の装甲列車で現われた。再び逃げたパズーとシータは深い谷底へ落ちてしまう。だが、シータのペンダントが光を放つと二人の身体は空中に浮いていた。深い廃坑の底に降りた二人は、鉱山師のポムじいさんに出会い、彼からペンダントの石がラピュタを空中に支えている飛行石だと聞かされる。地上に出た二人は、黒メガネの男たちに捕われ、国防軍ティディス要塞へ連行された。パズーは地下牢に閉じ込められ、シータは軍の特務将校ムスカに空から降って来たラピュタの紋章の刻まれたロボットを見せられた。政府はこれによりラピュタの存在を確心し、軍を使って探索に乗りだしていたのだ。ムスカは、シータが母親からペンダントを譲られた時に授けられた名前のことを知っており「君はラピュタ王国の王女なんだ」と告げる。彼はパズーの命と引き換えに、ラピュタの位置を示す呪文を教えるよう迫るのだった。理由のわからないまま釈放されたパズーは、待ちぶせしていたドーラ一味と共にシータ奪還に同行することにした。軍は巨大飛行戦艦ゴリアテでシータを連れ、ラピュタをめざした。途方に暮れたシータは、幼い頃祖母に教わった困った時のおまじないをつぶやいた。すると胸のペンダントが強烈な光を発し、まっすぐ天の一点を指した。ムスカはペンダントを手に入れると飛行石の指すラピュタめざしてゴリアテを発進した。シータを救け出したパズーも、ドーラたちとラピュタをめざす。見張り台に立ったパズーとシータは、ドーラの命令で台を凧のように母船から切り離し雲の上に出た。突然の嵐に巻き込まれた彼らは、美しい花畑の中で目を覚ます。ついにラピュタに辿り着いたのだ。シータは突如あらわれたムスカたらに捕えられ、パズーは縄に縛りつけられたドーラたちを助ける。シータを連れたムスカはラピュタの中枢部にいた。彼はシータに、自分もラピュタの王家の一族のひとりだと告げる。そして、ラピュタの超科学兵器を操作する。かつてラピュタは、それで全世界を支配していたのだ。スキを見てムスカからペンダントを奪い返すシータ。ムスカの撃った弾が彼女のおさげを吹きとばした時、パズーが駆けつけた。パズーとシータはペンダントを手に滅びの呪文を叫ぶ。そのとたん光が爆発し、ラピュタを支えていた巨大な飛行石は上昇しはじめた。フラップターで逃げのびたドーラたちは、上昇していくラピュタを見ていた。そこにパズーとシータを乗せた凧が飛んできた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1986年10月下旬号

日本映画紹介:天空の城ラピュタ

1986年10月上旬号

日本映画批評:天空の城ラピュタ

1986年8月上旬号

グラビア:天空の城ラピュタ

特集 天空の城ラピュタ:宮崎駿監督 インタビュー

特集 天空の城ラピュタ:オマージュ

特集 天空の城ラピュタ:監督論

1986年7月上旬号

スペシャル・セレクション:天空の城ラピュタ

2019/09/02

2019/09/02

50点

テレビ/無料放送/日本テレビ 


(録画視聴)1986年キネマ旬報ベストテン日本映画八位読者選出二位

「ふしぎの海のナディア」ってラピュタだったんだな。
本作でも宮崎駿の残酷性は、何人のゴミのような扱いをされる人間を殺しているか!
こんな子供も楽しませる為の作品で平気で大虐殺に自然系の崩壊。
宮崎駿の残酷性を認識しないと。ジブリの残酷性は認識しないと。

2019/08/30

2019/09/01

70点

テレビ/無料放送 


設定はわからないのだけど,学校というものに少年少女が通っている形跡を感じない気がする.中世以来の徒弟制度というのもあるが,ジブリ映画のなかでの学校または公共の扱いというのは考えてみてもいいのだろう.
パズーが寄宿する小屋.この鉱山町では最高点に位置し,朝日が幸先よく町一番に入ってくる.円筒形のレンガ積は,何か製錬施設の名残りか,風車的な動力施設か.
ムスカはなぜサングラスをかけているのか,というのを考えたのは7年ほど前か.でも道は舗装されていない.轍がわずかに見えている.道路排水はどのようになっているか.このママ一派と親方一派の乱闘シーンもいい.野次馬が巻き込まれたりするあたりの感覚は今はもう.
誰がそのシャツを縫うんだい,という話.もちろんリサイクル社会を標榜もしているのだけど,町の産業も含意している.鉱山からの産物で現金は回るが,おそらく食料生産や衣類生産とは縁が少なく,消耗材の節約というあたりが関係しているのか.
坑道で.飛行石の青い光が消え,カンテラの赤い光が灯る.この対比も美しい.このへんの飛行石の原理の話は,ウランやラジウムを踏まえてのことだろう.雲のアニメ的な発見というのは,このラピュタ以前なのだろうか.
ムスカ,シータ,ロボット兵のこの密室.ハイライトなどの光や影の使い方,人物の配置,顔の影など,いろいろと参考になるシーン.ムスカのこの讒言,石の言葉を思い出せば,「君も自由になれる」,後の展開や破滅を考えると,深い.
このあたりでママが語る男と女の浪花節.ジェンダーとして彼女(家父長的な彼?)が語っているところに味というか皮肉がある.ところどころ,シータに十字が寓意されているのはなぜだろうか.
ロボット兵が鉄扉を熱線?で溶かすあたりの表現とかに,当時はとてもアニメ的な斬新を感じていた気がする.キュルキュルと回転する砲台もなんかカワイイ.
それでもロボット兵の熱視線?は雑魚たちに命中する悲惨は描かれていない.それを衛生的教育的と観るか,むしろそのギリギリ感がアニメの迫力を引き出していると考えるか.「女は度胸だ」のパロディ感とか.ママドーラのグラスが割れる意味.このシータ救出はいつも泣ける.
「働きます」という労働観.「お前の谷」の俯瞰も成長感をにじみ出す演出も混じって.なぜパズーは「きれ」が飛行船に張ってあることに驚くのだろうか.このじっちゃんはアルカディア号のトチローへのオマージュなのかどうか.
竜の巣突入からラピュタ着岸,漂着のあたり,もいい.時間を越えてパズーの父の詐欺が見える瞬間の印象.回転,浮遊,疾走などの運動や,実写ではありえないアングルやカメラ位置など,アニメの特性が,このラピュタ巡りでも遺漏なく発揮されている.そもそもが現実でない感動.
そしてラピュタの世界樹.園丁というモチーフは,カリオストロにも現れる.木の根は何を象徴しようというのか.パズーにとって木の根,細根は縋るべき藁のような機能を果たしている.滑るものというのもアニメな何か.
そしてパズーのラピュタのコア部への侵入路というのは,木の根が時間をかけてこじ開けた切石?の綻びにあるような感じも出ている.土,根,種,鳥という寓意がシータに語られる.この玉座の間で,三人がきれいな正三角形を構成する.パズーがその一角を壊すという.そして崩壊へ.
自分にはロボット兵は「種」のようにも見える.正確には「実」だろうか.休眠をする,散布される,飛行する,という.そうかここでも「僕たち」を木の根が守るのか.ラピュタから急速に遠ざかる凧,そこからの視線と,ふたりの表情のあたりの絶妙.最期は飛ぶ物が笑うように.

2019/08/31

2019/09/01

90点

テレビ/無料放送/日本テレビ 


名作は色褪せない。
なぜか今までラピュタは観なかったが…
今になって初めて、なぜ観た人たちがTwitterで「バルス!」とつぶやくのかがわかった!
あれは言いたくなる。

2019/08/30

2019/08/31

70点

テレビ/無料放送/日本テレビ 


宮崎監督の二律背反的テーマを抱えたの原点かも

初公開時に劇場で観ているのですが、その後、全編通して観たことがありません。さて、

少女シータは謎の男たちに飛行船に囚われていた。
そこへ女海賊のドーラの一味が乗り込んで来、撃戦の最中、シータは逃げ出すが、飛行船から墜落してしまう。
が、それを救ったのは見習い機械工のパズー。
シータの身体が、胸のペンダントの力で、ふわりふわりと浮いたからだった・・・

というところから始まる物語で、何度も観ているひとには、いまさらな説明。
ですが、初公開以来、冒頭から観る身としては、「あ、そうだったのか」です。

つまり、この映画、物語の佳境から始まっていて、その後に、シータが胸につけていたペンダントの秘密がわかり、かつ、彼女の出自がわかるという仕組み。
ということで、かなり乱暴な展開で、初公開時に鑑賞した際は、「なんだか、よくわからない」まま、パズーの冒険に巻き込まれてしまう。

そう、巻き込まれ型サスペンスなのだが、物語を引っ張るマクガフィンに意味があるので少々厄介。
映画作法では(この時分ぐらいまでは)映画を引っ張るマクガフィンには理由や説明は不要とされており(それを入れると話がややこしくなる。別に私が決めたわけではない。ヒッチコック先生がそう言っていたわけで)、そのマクガフィンになんらかの意味を持たすのは本当にめんどくさいこと。

なので、この映画、よく見ると二部構成になっていて、切れ目は「ラピュタ」の登場。

登場するまでは、明らかなヒッチコック型冒険映画なのだけれど、ラピュタが登場してからは、別の映画になる。

つまり、失われた世界であるラピュタにまつわるファンタジーと、そのラピュタに対する価値観のぶつかり合いである。

あまりよくわからないのだが、ラピュタが天空から地上を統べていたどうかはわからない。
シータの台詞からは、統べるまではいかないが、ある種の象徴のようなものだったと感じる(もとは空中に浮かんでいる、ちっぽけな島だった)。
が、ある時から機械化が進み、強大になっていく。

ここには、宮崎駿監督のアンビバレンツな思いが感じられる。
自然も愛すべきものだが、人工的なメカニズムも好き・・・

で、クライマックスは、シータと黒メガネ・ムスカとの対決になるわけだが、出自はほぼ同じ。
根っこが同じものが対立する・・・

で、結果、どうなるか?

前半の主人公であったパズーは、この対決から一歩引いた形になり、この「自然vsメカニズム」には参加しない(つまり、途中でヒッチコック映画のジェームズ・スチュワートやケイリー・グラントの影が薄くなってしまうということ)ので、初めて観たときに混乱したのかもしれない。
ま、パズーは最後までシータを守るのだから、それはそれでいい、という考え方もある。

さらに、はじめて観たときに混乱したのは、ラピュタの最後。
すべてが崩壊するわけではなく、根幹の巨大飛行石とそれに根を張る巨木だけが空中に浮かんで漂っていく・・・

70年代SF映画を観ていた身としては、この文明の勝利なのか、人工メカニズムの勝利なのかがよくわからなかった。
が、今回はよくわかる。

残ったラピュタはすべて自然のもの。
なるほど、そういうハナシでしたか。

そういう意味では、宮崎監督の二律背反的テーマ(Love自然、Loveメカニズム)を抱えたの原点かもしれませんね。
『風の谷のナウシカ』が、どれだけ「Loveメカニズム」かは憶えていないのですが・・・

2019/08/30

2019/08/31

90点

テレビ/無料放送/中京テレビ 


矛盾との闘い

ネタバレ

 何度この映画を鑑賞し、何度感動をもたらされたか覚えられない。そしてこの映画に流れる歌がどれほど多くの場で歌われどれほど多くの人に感動を与えたか。その普遍性を見る限り、この映画は永遠に価値を失うことはあるまい。その反面で、宮崎駿監督がナウシカから現在に至るまで、永遠に帰結しえない矛盾と闘い続けているか、という背景に胸を締め付けられる。矛盾とは自然界と人間の矛盾であり、宮崎監督の自己矛盾でもある。


(以下、、、)

 何度もテレビで見てきて思うのだが、日テレも宮崎作品、あるいはジブリを失うともう何もないのではなかろうか。高視聴率が取れるかから、という理由で何度も繰り返されるジブリ映画の再放送の裏には、テレビ局の資本不足と、ジブリもやはり追い詰められていることを示していると思う。そのうちジブリは崩壊する。もうコンテンツを作れない。
 この映画の前半部分の冒険活劇的なシーンは、かねてから面白くて目が離せない。登場する人物の相関関係も見事で、よく練られたている。
 今回は、ラピュタにたどり着いてからのシーンをいくつか確認したのだが、パズーとシータの船をロボット兵がどかすとそこに鳥の巣がある。ロボット兵が花をシータに渡す。こうした感動のシーンの数々が、どれほど矛盾に満ちているか認識する。
 人が自然を破壊し、ロボットが自然を守る。
 このテーマは宮崎監督が少なくとも『もののけ姫』まで抱え込んだ自己矛盾である。宮崎監督は破壊論者である。リセット論者。世界の地球の矛盾をリセットして破壊し、もとの形へもどす。そのために地球に生きとし生ける者が対立する。対立が対立を生み、憎しみが拡散する。
 それはまさに、いつこのようになっても誰も疑わない世界の趨勢なのだ。
 宮崎監督作品の根底には、こうした矛盾を大人も子供も少しは考えよ、という厳しく強いメッセージを散りばめている。しかし見る側は全く意図した部分とは違うところに感動している。見る側のレベルがどんどん落ちてゆくことへの警鐘が『風立ちぬ』だったりする。
 矛盾の原点を確認し、長くこの矛盾と闘争し続ける宮崎監督の意思を確認できる素晴らしい映画であった。感動とともに胸騒ぎを感じた。

2019/08/30

2019/08/31

80点

選択しない 


金曜ロードショーで。

もはや何回目かもわからぬくらい。

ジブリ、やっぱり駿のアニメーションはええなぁ。