香も高きケンタッキー

かおりもたかきけんたっきー|Kentucky Pride|Kentucky Pride

香も高きケンタッキー

レビューの数

6

平均評点

76.3(12人)

観たひと

25

観たいひと

3

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ラブロマンス / コメディ / ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1925
公開年月日 1926
上映時間 71分
製作会社 フォックス映画
配給
レイティング 一般映画
カラー モノクロ/スタンダ-ド
アスペクト比 1:1.33
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 無声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ドロシー・ヨースト女史の原作により「アイアン・ホース」「村の鍛冶屋」等と同じくジョン・フォード氏が監督した競馬劇で、主人公は馬である。それで俳優は全部二三流所でヘンリー・B・ウォルソール氏、J・ファーレル・マクドナルド氏、ガートルード・アスター嬢、ウィンストン・ミラー君、ビーチェス・ジャックソン嬢等が出演している。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

ケンタッキー州ウッドローンの町に住むロージャー・ボーモンは賭博癖がある上、2度目の妻を迎えたので娘のヴァージニアは淋しく暮していた。調馬師のマイク・ドノヴァンが優しくしてくれるのが頼みで愛馬ヴァージニアス・フィーチュア号の生長を楽しんだ。ロージーは遂にポーカーで全財産を取られてしまって競馬だけが望みだった。しかしヴァージニアの未来号が脚を折って負けたのですべては終った。それのみかボーモンの妻はあらぬ男と道行した。マイクは馬を売ってヴァージニアの名義で貯金した。彼の息子ダニーは競馬の騎手になった。ダービーの競馬が近づいた時ダニーはヴァージニアの未来号の子馬コンフェデラシー号に乗ることになった。ボーモンは比の馬に娘の貯金全部を賭けた。素晴らしい競争の後、遂に勝った彼たちの喜びの杯を挙げた。

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2024/03/17

2024/04/10

70点

レンタル 
字幕


数奇な運命

ネタバレ

サイレント映画の無伴奏という何だか味気ない状態の鑑賞ながら、72分それはそれなりに楽しめて何より。親が子を思い、子が親を思うのは人間も馬も同じ。互いに慈しみ合う人間と馬との数奇な運命を、時にユーモラスに、時にシミジミと紡ぎ出すJ・フォードのオーソドックスな語り口に引き込まれる。競馬場での疾走感あふれるレースシーンは見応えあり。もちろんのこと駄作とは思わないが、当方の素養感性不足のせいだろう、蓮實御大が大絶賛するほどの作品とは到底思えなかったのが正直なところ。

2023/09/08

2023/09/08

70点

VOD 
字幕


ドノバンが親子を見る視線

字幕は馬のセリフとしても見える.字の斜め上には馬の顔のイラストがあって可愛い.2頭でいることもあれば,1頭でいることもある.ケンタッキーの血をもつ2頭の母子の馬がダービーに挑戦する映画でもある.
親子という点では,馬のほかにも2組の親子が登場する.マイク・ドノバンとリトル・マイク(ウィンストン・ミラー)ことダニー・マイクの父子である.また,ボーモン(へンリー・B・ウォルソール)とその娘である.時間の経過があり,親から子へと世代も変わっていくように見える.そうした転機としては,親の「バージニアの未来」号の転倒がある.これによって馬主のボーモンは破綻し,調教師のドノバンも骨折したこの馬を射殺しなければいけなくなる.
こうしたそれぞれの苦境にあってドノバンのある選択が未来への布石となる.ドノバンは,銃を携えて厩舎に向かい,骨折した脚の痛々しい「バージニアの未来」号に向かう.銃声がして,その母馬の部屋の外では弾薬の煙までが吹き込んでくる.しかし,実はドノバンは殺していなかったという筋立てである.
ドノバンは調教師を辞め,交差点で信号の代わりとなる交通整理をしている.彼は,馬の群れにあって馬でもよけるかのように,行き交う車を避けている.そして厳格に交通ルールその他を適用し,違反した者たちをチェックしている.中には買収にも応じない者もおり,路上に唾を吐いている.
春,再びダービーの季節がやってくる.春の野と林の中では馬も心なしか踊っており,走り,佇み,跳び,寝転んでいる.競馬場では人物の後ろを競走馬たちがぞろぞろと歩いている.そうして騎手になったダニーがきっかけを与え,ボーモンとドノバンは再会する.ボーモンの娘は,ボーモンを後ろから手で目隠しをする.その姿にドノバンは涙する.ドノバン前には「パパ」と書かれたカップが置かれている.ボーモンは娘の手をさすり,匂いを嗅ぐような仕草までしている.ドノバンはその父と娘の姿を,おそらく馬の親子でも見るようにして見ている.
雨が降ると合羽を着て整理にあたっているドノバンがいる.
路上に立つドノバンは,どうやら合羽を雨に濡らしている.交差点を行き交う車に紛れ馬車がいて,その馬の尻のあたりを撫で叩くボーモンがいる.その手つきによってその馬,かつての「バージニアの未来」号はかつての主人を察する.しかしボーモンは鈍感なせいか察していない.馬車は,しかしルールに従い,交差点で進まなければならない.こうして三者は交錯する.濡れそぼった「バージニアの未来」号は今のオーナーに食べさせてもらえない.ドノバンはこの馬を取り返しにオーナーの徒党三人組と対決する.帽子を脱いで戦い,戦い終わると馬に乗り,帽子を被って去っていく.ドノバンは路上で颯爽と乗馬している.「バージニアの未来」号はドノバンと競馬場に乗り込み,ダービー馬となった子の「連合」号と対面する.「連合」号は興奮して荒れているが,騎手のダニーがそれを制し,レースを駆け抜けていく.
馬は乗せることで,あるいは触られることで,人に接する.人は馬に乗ることで,あるいは触ることで馬に接する.こうした接点には言葉と運動があり,あるいは無言もある.娘が父の目を隠すとき,娘は父に声をかけただろうか.

2022/11/26

2022/11/27

70点

VOD/YouTube 


馬の躍動感と詩情。

ネタバレ

配信タイトルは、「Kentucky Pride」。

ジョン・フォードのサイレント時代の作品で競走馬の視点で描かれる物語。優秀な競走馬でありながら脚を折り持ち主から売りに出されたヴァージニアスフューチャーの変転する運命。ギャンブル好きが災いして無一文になった持ち主、浮気症の妻、飼育係などの人間模様と共に描き出される。

馬を虐待する飼い主から飼育係が取り戻すシーンではサイレントコメディの表現が見られる一方で、フォードのその後の名作に見られる詩情などが生き生きと走る馬の中に見ることもできる。

(YouTube 日本語字幕なし)

2022/10/02

2022/10/02

-点

その他/ユーロライブ 
字幕

『香も高きケンタッキー』。MoMA修復版。1925年、無声。無音、DCP上映。画質超良好。複数素材で復元しているようだ。馬の放牧場面などは画質が落ちるので35mm以外の素材かも。挿絵入りの中間字幕もある。24fpsではやや速め。馬の視点で物語が進む。動物を使っての撮影は大変そう。馬の毛が輝いている。

2022/09/12

85点

映画館/東京都/シネマヴェーラ渋谷 


念願のジョン・フォード作品

数年前、フィルムセンターで門前払いされて以来、ずっと見たかった本作。ようやく観ることができて感無量である。

大したことない物語だが、わたしのような競馬好きは、シンボリルドルフとトウカイテイオーだったり、ディープインパクトとコントレイルの親子ダービー制覇だったり、そして何よりダイナカールから続くエアグルーヴ、アドマイヤグルーヴらの母子オークス制覇のようなサラブレッドの血統のロマンを勝手に想像してしまうので、それだけで大満足してしまう。競馬の魅力の一端があるだけで、この映画が好きなのだ。そんな個人的な嗜好はさておき、ジョン・フォードは騎馬だけでなく馬そのものの描写も巧みだったことに唸った。

言葉を話せない動物で、馬ほど人間と信頼関係を築け、それが瞳から伝わってくるものはいない。身近な生き物では犬がいるかもしれないが、犬は馬より逞しい。野良犬はいても野良馬はいない。もはや馬は人間がいなければ生きられないし、馬がいてくれるからこそ人間は豊かに暮らせる。少なくとも本作の主人(馬)公である「ヴァージニアフューチャー号」が言葉を話しても全く違和感がない。それは映画的なクレショフ効果の成果であり、馬の主観を丁寧に描いたジョン・フォードの演出の成果だが、何より馬の瞳が大事だった気がする。特に馬車馬となったヴァージニアフューチャーと彼女に気づかない元馬主の場面が印象的だ。馬主に振り返ってもらおうと脚を鳴らす彼女の姿が何故こんなにも健気に見えるのか。また飼い主から飼い葉を貰えずパンをちらつかせられる場面で、パンを食もうとする姿が何故これほど愛くるしいのか。どれも馬だからこそ。あの瞳だからこそだと思うのだ。さて、これは個人的な馬好きだからの感想だろうか?

いずれにせよ、馬たちの生活と馬をとりまく人間模様をおおらかに描いてみせたジョン・フォードは見事。馬が誉められたら、それを我がことのように喜ぶ調教師たちの微笑ましさも含め、とても気持ちいい優しい詩情に満ちている。観れば観るほどジョン・フォードのサイレント映画は面白い。本作は数年越しの念願だった作品だが、もっと面白い彼の作品はありそうだ。『誉の名手』も詩情たっぷりの傑作だった。もっと、もっとジョン・フォードを味わいたい気持ちにさせる佳作である。

2014/10/24

2015/02/13

60点

映画館/東京都/東京国立近代美術館 フィルムセンター 
字幕


粗いところが目立つ

 フィルムセンターでは、MOMA(NY近代美術館)所蔵の映画特集があり、蓮實重彦氏が大昔から繰り返し称揚し続けていたフォードの「香も高きケンタッキー」がラインナップされたため、世のハスミ信者がこぞってフィルムセンターに押しかけ、いつもの常連たちとは違うスノッブ臭を撒き散らしており、ついにはフィルムセンターの警備員が人数確認を間違えたのか、席の数より多い人員を入れてしまうという前代未聞の事態すら引き起こしていました。
 「香も高きケンタッキー」は、昔TVでやっていた米国ドラマで、エドという人間の言葉を喋る馬のような、人を喰った話を、フォードが嬉々として撮っている幸福な映画であることは事実ですが、ハスミ氏が褒めれば何があろうとそれに従う、とでも言わんばかりの世の中の風潮には抗いたくなる気持ちもあって、期待していたほどの出来ではないというか、粗いところの目立つ映画だと思いました。